パルワールドを遊んでみて思ったこと

この前発売して、いろんな意味で話題のパルワールド。自分でお金出さず周囲の評判だけであれこれ言うのは良くないと思うので発売日に買ってみました。いろんな感情が絡み合いますが一旦純粋にゲームプレイ体験としては面白いんじゃないかと思いました。実際、夜が明けて朝になるまでプレイしたことが数回…

でも、やっぱりいろんな感情が頭に浮かんできて、100%全力で楽しみきれない自分がいるような気がする。自分の気持ちの整理のために書き出してみようと思いました。

キャラデザ

言わずもがな、登場するキャラクターがポケモンを彷彿とさせまくるんですよね。おかげでいまだにパルの名前が全然頭に入ってきません。(「ムクホークみたいなやつ」とか呼んじゃう)

でもネットの反応を見ていると、これに対する許容度・拒否感が人によって全然違うなと思いました。似ていることはみんな認識している。が、その上で「別によくね?」と捉える人もいれば「だから嫌だ!」と捉える人もいる。この差は一体なんなんだろう?

拒否感や嫌悪感を深ぼってみると以下のような要素に分解されそうだなと思いました。

オリジナルこそが正義、他は二流だという価値観

これはたとえば「公式の設定は絶対」という、オタクによくある発想かなと思います。原作のイラストでキャラクターが付けているイヤリングが右耳だったということから、左耳にイヤリングを付けたイラストを「わかってない!ダメだ!」と毛嫌いしたり。あるいは公式に出されたものであっても原作のゲームをアニメ化に際して大幅にストーリーや登場キャラクターが変更されたことに対して「解釈違いだ!」と受け入れられなかったり。

そういう気持ち、わからないわけではないんですけど…正直自分も「いや、そこまで嫌わなくても…」と思ってしまうところはあります。

誰かのアイデアをパクることは、0→1でオリジナルのものを作り上げることの大変さを軽視した行為だという価値観

これはなんらか創作活動を行っている人(特に一次創作)にありがちなのではないかと思いました。0→1で何かを生み出すのはすごくエネルギーがいることです。そして、自分のオリジナリティを最大限に込めたはずの作品が「これって◯◯に似てますね」って言われたりすると、自分のオリジナリティを否定されたような気がして怒りたくなるのです。

これ、私はある程度わかる部分があります。実際、そんな感じのことを言われて「あんま気持ちよくないなー」ってなった経験もあります。言った方は純粋に作品の良さを褒めたかっただけなんでしょうけどね。たぶん。

成果を上げるには相応の努力・コストを払うべきだという価値観

あるいは、成果物そのものよりもそれを手に入れるために努力をしたこと・コストをかけたこと自体に価値を感じる人。フリーのVST音源よりも何万もするVST音源の方を使いたくなるみたいなやつですかね。これもめっちゃわかる…

この価値観があると、先程の「0→1でオリジナルのものを作り上げることの大変さを軽視した行為」という考えと相まって「アイデアをパクるのは楽をしている。楽をして手に入れた成果物なんて価値が低いものだ!」ということになります。

自分がダメなものと判断したものをみんなが称賛している

ここまでの理由により、パクリ=価値の低いものという判断をしています。ですが実際には自分の判断に反して周りの人々が称賛したりビジネス的に成功したりしているのです。そんな状態を見ることで、「なぜみんな私の考えをわかってくれないの!?」という疎外感のような気持ちが生まれる。こういうのが嫌悪感というか拒否感というか、「なんか気持ち悪い」複雑な感情の正体なのかもしれないですね。

価値観は人によってバラバラ

先に挙げたような価値観の判断基準は、人によってバラバラです。なんなら真逆の方向を向いている人だっています。

成果物そのものよりもそれを手に入れるためのプロセスに重きを置く人もいれば、成果物が全てでどのようなプロセスで得られたかはどうでも良いという人もいる。

他の作品と違うことによる独自性に重きを置く人もいれば、他の作品と似てようがなんだろうがより良い作品であることに重きを置く人もいる。

どっちが良い・悪いではなく、その人にとっての主観的な価値観の座標系の向いてる方向が違うだけなのかなと。そりゃお互い理解し合うのも難しい。

不気味の谷

ちょっと観点を変えて、自分が感じるパクリ作品に対する嫌悪感の正体ってなんだろう?と考えてみました。自分の場合、ポケモンのパクリだということにはすごく拒否感を覚えたのに、だからといって世の中のあらゆるパクリ作品が絶対無理なのかというとそうでもないのです。この差は何なんだろう?

もしかしたら、その人の脳内にあるカテゴリ分類と合いそうで合わないいびつな形を認知したときに、嫌悪感が大きくなるのではないか?と思いました。

人間は生まれてからずーっと脳の中であらゆる事柄をカテゴリ分けしています。親の顔、声、周りの人の言葉、周囲の環境、身の回りのモノ、動物の名前、などなど……学習済み分類モデルは、ハマるものはすんなり受け入れられるし、全く当てはまらないものだったら新しいカテゴリとして受け入れられるのだと思います。

しかし、ここに「既存の分類モデルに当てはまるような当てはまらないような微妙なもの。しかも新しいカテゴリを作るほどではないが既存のカテゴリには収まりの悪いもの」がやってきたときに、脳がどう処理したら良いかわからなくなってしまって、とにかく拒絶したくなってしまう強い嫌悪感を覚えるのではないかと考えました。

これって、ロボットが人間に似れば似るほどキモくなる不気味の谷と同じ感じってことかなと思いました。

パクリの嫌悪感が不気味の谷と同じだとすると、パクリ作品への嫌悪感が人によって様々なのは、世の中の作品を脳内でカテゴライズする方法が人によって異なるためと説明することができるでしょう。

たとえば、「ポケモンと似ているゲームは何ですか?」という質問をしたら、きっと人によって答えが全然違うのでしょう。ある人はポケモンに似た外見のキャラクターが登場する作品を答えるだろうし、ある人はロールプレイングゲームを答えるだろう、育成ゲームの類似作品を挙げる人もいるでしょうし、アニメ作品を挙げる人もいるでしょう。それは人によって作品を脳内でカテゴライズする際の仕切りの置き方が異なるためです。

また、脳内カテゴリの強度にも人それぞれあり、幼少期から作られた強いカテゴリ分けほど強固であるのではないでしょうか?カテゴリ分けが強固であればあるほど、そこに微妙に当てはまらないモノを認知した時の嫌悪感は強くなるのだと思います。

つまり、幼少期にポケモンに出会い、ポケモンというジャンルをキャラクターを中心に脳内カテゴライズしてきた人にとっては、ポケモンの外見をパクった作品に対して強い嫌悪感を示すのではないでしょうか?

それはそれとして

ここまで書いといてなんですが、パルワールドは楽しく遊ばせてもらってます。ただ、このまま遊び続けていると永遠に時間を吸われ続けて他に何もできなくなりそうだと気づきました。なので、ここらで一旦距離を置いておこうかなと思います…

そう、M3の準備とかしないとだしね!!

というわけで、M3-2024春に参加します。

サークルカットです

サークルはMETALITY UNITED。リアルイベントスペース: コ-20bです。
会場にお越しの際は、ぜひ遊びに来てください。

M3とは

M3のバナー

同人音楽をやる人たちが集まるイベントです。多数のサークルが出展し、各自思い思いの自主制作作品を頒布します。必ずしも音楽作品だけというわけではないですが、頒布される作品の大半はCDです。

私は2008年からずっとM3に参加していて、コロナの時期にちょっと休みましたが2022年からまたサークル参加を復帰しました。コロナで一時期はどうなることかと思いましたが、最近はまた以前のような活気を取り戻してきています。M3はこれからも成長していくと思います。

「同人音楽って何?」という方も、音楽が好きだったらきっと楽しめるイベントかなと思います。よかったら遊びに来てください!

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