NICO Touches the Walls 終了から半月が過ぎて。

2019年11月15日、NICO Touches the Wallsが終了した。

夏フェス以降の予定が全くなく、モバイルサイトの更新も止まり、毎年恒例の11月25日、「いいニコの日」についてのアナウンスもない。

なにかあったのか?という不安な思いと、いやいや、NICOのことだからなにか企んでいるに違いない、その発表が25日、あるいはその直前にゲリラ的にあるのでは?という希望的観測が入り混じるツイッターのタイムライン。「いろいろ心配ではあるけど、とにかく25日を待とう。」そんな空気の中、25日よりも10日も早い15日という完全ノーマークの日に、味もそっけもないテキスト1枚を残して、5年近く追いかけた大好きなバンドがあっさり終了してしまった。


それは正午のことだったのだけど、油断しきっていた私はツイッターを見ていなくて、1時間後くらいに公式LINEの通知で知った。公式LINE、実に3か月と14日ぶりのお知らせ。

公式仕事しろと言われて久しいが、仕事したと思ったらこれだし、間髪入れずにこれまた仕事しろと言われ続けているニコモバ(有料)から、もう何も更新しないから早めに解約してね(要約)という、こういう時だけ仕事早いな!と突っ込まざるを得ないメールが来るし、TLは混乱を極めてて、みんな短時間で何コンボ決められたかわからないピヨピヨの状態で。

それ以降はとにかく携帯を握りしめ、ひたすら支離滅裂なテンションのままにツイートを量産するマンと化した。たまたま仕事が休みで助かった(周りが)

この時点ではまだ悲しみよりも動揺が大きく、完全に親しい人が急に死んだときの状態。現実味がなくて、涙もろくに出やしない。

知った瞬間のツイート、妙に前向き。

「終了」の文字に意味を見出そうと必死。

必死すぎて変なところに着地してみたり

最終的には脳みそ使いすぎて疲れちゃってる…。

時間の経過とともに「何故」が膨らんで、怒り始める。

もやもや考え続けて、もやもやのピークにきたあたりで藤田たくみさんのツイキャスを見たんですね。ここで初めて泣きました。怒りで。

「なんでよその人の口から聞かなきゃいけないの」これが、自分のもやもやの一番の原因だったんだ、って自分でもこの時分かった。藤田さんが言ってくれたこと、それ全部本人たちの口から聞きたかった。

悲しいし、悔しいし、とにかく腹が立った。生きてるのに、死んだような終わり方。もちろん事情はあると思う。美学もあると思う。じゃあどんな終わり方が良かったのかと言われても、何も浮かばない。でも、なにもこんな終わり方しなくてもいいじゃないか。

最後のアルバムが「?」だらけだったのもあって、いろんなところにヒントがあって、その答えはそれぞれが見つけてください的なことなんじゃないかと、ツアー最後にあの曲を持ってきた意味とか、歌詞がどうとか、15日だったのはいい15年てことなんじゃないかとか、みんないろんな答え合わせをしてるけど、うるせえいいから顔出せやと思ってしまう武闘派の自分もいて。

本来ならみんなNICOが大好きであることを再確認する日であるはずのイイニコの日、一人で過ごすのは辛いし、仕事は休み取ってるし、とにかく会いましょうの会に参加させてもらいました。

当日駅で待ち合わせたお友達の顔を見た瞬間泣き、その後合流したお友達を見て泣き、途中国際フォーラムを見てまっすぐなツアー…と涙ぐみ、いくらを見ては古くん…となり…。

部屋についてみんなの顔をみたらもう涙腺崩壊で、まだなにも映ってないプロジェクターの画面を見て、これからここに楽しかった映像が流れるのだ、そしてそれはもう全部過去形でしか語れないのだと思うと自分で引くほど(周りはもっとだろう)涙が溢れ、止まらなかった。泣きながらお土産を配る謎のおばさんと化した。終了してからの10日間、自分の中だけでぐるぐる考えて、泣いて、怒って、激怒して、結構いっぱいいっぱいだったようです。さぁじゃねえよ!って何回言っただろうか。すごい吐き出させてもらった。

ツイッターでも、イイニコの日になにもなかったことで本当に終わったんだって実感した、という声をいくつか見たけど、やはりファンにとって特別な日だから、この日公式発表的なものがなにもなく終わったことでひとつの区切りがついた人は多かったのかも。(古くんのインスタの更新はあったけど)TLもこの日を境に少しゆっくりになった気がします。

バンドも長くなってくれば、例えば休止とか移籍とか脱退とか加入とかソロとか別名義とか、そういうことは起こりうると思うんです。だけど、NICOに限って、解散や終了はないと思ってた。ゆっくりペースでも、みっちゃんが好きなスピッツやサザンみたいに、おじさん、おじいちゃんになってもNICOとして続いていくもんだと信じて疑いもしなかった。それこそ「うちの子に限って」みたいな、過信があった。

そりゃ人は死ぬし、私も死ぬし、いつかは終わりがくることはわかってるけど、そんなのはもっとずっと先の話であって、4人にはとにかく心身ともに健康で、怪我せず、できればお金に困らず、笑顔で長生きしていつまでも楽しく音楽を続けてほしいと、お母さんを通り越してもはやおばあちゃんの気持ちでいたから、今もまだ少し信じられない自分もいる。いろんな自分が自分の中で喧嘩してる。

個人的な好みの話だけど、40歳以降のNICO Touches the Wallsを心待ちにしていたから、それがもう見られない、34歳までのNICOしか見られなかったというのは本当に悔いが残る。光村龍哉(40)、これ以上エロいワードがありますか。(おばあちゃんとは別の自分)

壁なしで一人で立つための筋力がこの5年ですっかり衰えてしまって、今はまだ太くて立派な足がついてるのに立って歩けない、前へ進めないという情けない状態ですが、NICOが終わっても悲しいほど確かに地球は回ってて、日々生きていかねばならないので、そんな今の気持ちをここに残しつつ、前へ進むための筋トレをしなきゃなと思う、もうすぐ40、新田でした。








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