観ないで書く・二題

まだ録画したM-1グランプリを観ていない。
そのうえで書くのだが、「真空ジェシカ」が、四十代、五十代(番組のプロデューサーや、大先輩の芸人たちの世代)にはわからないような、ネットで拾えるようなワードを入れていることに対し、過剰な絶賛や、逆に「そういう層に媚びているのではないか」という批判を目にする。
似たような批判を「バキ道チャンネル」について、過去のネットミームをネタにすることが多いことに関して展開している人がいた。

この問題は、さらに広げれば「THE SECOND」で、流れ星のたきうえが「お笑いファンにしかわからないようなネタをやった」として「三四郎」を批判したことにも通じるだろう。

「三四郎」に関しては、観客の審査員たちがお笑いファンであることを想定して、勝ち上がるためにネタをつくっていたと思うのでちょっと傾向が違うが、「真空ジェシカ」にしろ「バキ道チャンネル」にしろ、ファンでもない人たちからどうこう言われるのは筋違いだろう。
彼らは受けるためにやっているのであり、かたやM-1グランプリの決勝に二度も行き、かたやチャンネル登録者数126万人のユーチューバーだから、「マイナーなことやってるから売れないんだよ!」みたいな批判も通用しない。

確かに「匿名掲示板的なノリ自体が好きじゃない」という人は一定量いるんだろうし、それを表明することは自由だが、お笑いの場合、「選ぶ側の高齢化」が問題になっていると私は考えているので、ことはそう単純ではない。

お笑いにおける「たとえ」も、現状ではドラえもん、クレヨンしんちゃん、ドラゴンボール、ワンピース、あたりが主流。「北斗の拳」や「男塾」のたとえがそろそろ通用しなくなってくる頃だ(まあ「男塾名物!!」とか言ってたの、サンドウィッチマンくらいしか知らないけど)。「ジョジョ」のたとえでさえ地上波では厳しいし、「進撃の巨人」は単行本で5、6巻くらいまでのことしか通用しないだろう。
「鬼滅の刃」については、「無限列車編」のアニメ映画で人気が頂点になったような印象(あくまで印象だが)があり、「たとえ」としてはすでに古くなりつつある。

だいたい1980年に起こった「マンザイブーム」だって、熱狂したのは当時の若者だけで、三十代以上が付いて行ったかどうかはよくわからない。ツービートに至っては完全に「異端」であって、少なくとも1980年代前半当時は、ビートたけしも国民的な人気者というわけでもなかった。

批判者が「アニメ、ゲーム、特撮などのおたく」の場合となると、「どの口で言うんだ?」という気持ちがある。70年代後半以降出現した「おたく」こそ、「自分たちの中だけで通じる言葉」を楽しみ尽くした世代だからだ。
内輪ネタ、身内ネタ、楽屋落ちをそのまま拡大させて、一大勢力を築いたのがおたく第一~第二世代くらいなんだから、その世代が他ジャンルの若い衆に対して「内輪だけの笑いをやっている」なんて言う資格はないのだ。

おたくも現在四十代以下の「第二世代以降」となると、だいぶ「おたく第一世代~第二世代」の「偏見」から解放されているのだろうが、自分たちの世代が偏見から解放されていると言っても、先輩たちの「おたく特有の偏見」が消えてなくなったわけではない。
よくも悪くも。

その責任を後続世代が負う必要はないが、「そういうことがあった」ことに関しては無視できないだろう。

おしまい



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