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日記が読まれない。感想もない。あってもヒドイのが多い。これがもう25年続いている

たまたま、日記というか、ブログというか、なんかそんな感じの雑文を商業出版物にしている人が、「日記の書き方」を伝授するというテキストを読んでしまい、朝からたいへん陰鬱な気分になってしまった。

私は、論文とか小説ではない、気ままな文章は大学時代から書いているが、実際、多くの人の目に触れる可能性を確保できたのはインターネットができてから(同人誌でも出さないかぎり、だれでもそうか)。
それが30歳くらいのときからだから、かれこれ26年くらい経っているわけだ。

インターネットではテキストサイトめいたこともやったし(ブログ出現前の「テキストサイトブーム」なんて若い人は知らんだろう、いやインターネットの歴史をたどった人なら知ってるか)、ブログもやったし、こうしてnoteも書いているが、雑文に関してはとくに大きな評価はない。
当然商業出版の話なども来ないし、こちらから売り込む気もない。noteに関して言えば、両親が亡くなって完全に一人暮らしになってしまったので、他の家族に生存報告をするためだけに書いている。今さらnoteで儲けようとか、バズろうとかいう気もないのだが、やはり予想どおり、たいして読まれないのでときどきくじけそうになる。

そして突然、話が切り替わる。

以下のようなことを書くと「無粋だ」と言われると思うし、私もときどき後悔して「こんなことを書くのは無粋だ」と思うことが何度もあるのだが、

多くの注目を集めている人で、「人見知り」とか「コミュ障」とか言っている人は何なんだ?

いや私もわかってるんですよ。「人見知り」と自分が認識するのは、周囲がコミュ力おばけみたいな人ばかりのときなんだろう。

芸能界とか広告業界、文筆業界みたいな「おれがおれが」みたいな人ばっかりの世界で、「傍目から観てコミュ力的に普通の人」がギョーカイの「コミュ力がバケモノ級の人たち」と話したりして、「自分って人見知りだなぁ」って思ってしまうのはね。それはその人が人間関係の中で相対的に感じていることで、その人にとっては真実だから。

しかし「どう考えたって、おれの方が人見知りだろ」って、ときどき思ってしまうんだよね。本当に申し訳ない。
「人見知り芸人」で名前を売ったとある芸人も、「あんだけテレビにでまくって何が人見知りだ!」と言われていたという。やっぱり自分が思っていたとおりだったのだ。少々悪いことをしたな、とその芸人に直接、何か言ったわけでもないのに申し訳ない気持ちになった。

何が言いたいかというと「なにげない日記風エッセイ」で大注目を浴びて本が売れまくっている人が「日常の何でもないことを、気負いなく書けば日記って続くんですよ~」とか言っても、「そりゃそうだろうな」とは思うが「でもそれを本にしたりはできないでしょ?」と言いたくなってしまうのだ。
「人々に注目される、何気ない日常を書いた文章」は、やはり「芸能界などのきらびやかな世界で、キラキラした人たちの中で仕事をしていて、なおかつ客観的に成功していて、『それでも自分は人見知りだと思う』と嘆く矛盾」に共通するものを感じてしまうのだ。

いつも疑問に思うのがアイドルの「握手会」とか「一緒にチェキ撮影」とかである。
あれできるファンの人たち、全員、人見知りじゃないでしょ?
そんなさあ、自分が好きで、なおかつ話したこともないアイドルといきなり握手するんだから。
「いや私だって推しと握手したらドキドキしてますよ」と言う人も大勢いるんだろうが、そういうことを言いたいんじゃないんですよ。わかりますよね?
あの「アイドル握手会文化」みたいのが隆盛してから、「アイドルオタクって人見知りじゃないんだな~」ってすごく思うようになってしまった。
そんなやつら、全員、他人だよ!!(当たり前だが)

あー、自分ながらなんて卑しい文章を書いてしまったのだ、と思うが、反省はしない。反省なんかしたら、暗黒銀河のブラックサタンデビルダーク三世の思うつぼだからだ。

光の戦士を集め、暗黒銀河のブラックサタンデビルダーク三世に対抗しなければいけない!

集え、光の戦士たちよ!!

なーんて、ウソに決まってるだろうが!!!!!!

ウギャーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!

おしまい


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