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これはだれも読まなくていい物語。

“ハラスメント町長”2人辞職へ 池田町長「裸の王様だった」 東郷町長は会見でも“不適切発言”(日テレNEWS)

たまたまテレビのニュースで、井俣憲治・東郷町長の会見を観た。
私は「不適切発言」については、まあまあ寛容な方だとは思う。
しかし、東郷町長の方には会見を観て、たいへんイヤな気分になった。
この「イヤな気分」の正体は、
「学園祭のイベントで、毒舌芸人の芸風を模倣してダダすべっている大学生」を観たときの感じと同質のものだ。

(引用開始)
さらに、“ハラスメントの認識の違い”について、持論を展開しました。
愛知・東郷町 井俣憲治町長(57) 「たとえばペット、(災害)避難所におけるペットの扱いでも、(ペットを)『家族』って考える人もいれば、『ペット』と考える人もいれば。不適切だったらご指摘ください、『犬畜生』だと思っている方と、範囲広いと思うんです」
(引用終わり)

この発言をしたときの東郷町長の会見を動画で観たので、その言い方や表情などを観察できた。
それも含め、
「あえて『犬畜生』という言葉を使う」
ことに、彼自身の自己陶酔を観た。いわゆる「ドヤ顔」。
少なくとも私はそう感じた。

その後、東郷町・議長が「わざわざ犬畜生という言葉を言わなくてもすむのに、そういった発言をするのは不適切です」と指摘した。

「犬畜生発言」の前に、東郷町長は、

(引用開始)
――うまく連携がとれていなかったとは、具体的にどういうこと?
愛知・東郷町 井俣憲治町長(57) 「具体的に言うと、誰のどの事案か分かってしまいますけども、お話しした方がいいですか? それ、ハラスメントですよ?」
(引用終わり)

このとき、彼はにこやかにしていた。
「言い返してやった」
という表情だった。これまた「ドヤ顔」だった。
しかしおそらく、あの場で「やり返したった!!」と思っていたのは彼一人だけだろう。

その後、テレビでは切り取られているのかもしれないが、とにかく時間軸としては後に、

「(ペットを)『家族』って考える人もいれば、『ペット』と考える人もいれば。不適切だったらご指摘ください、『犬畜生』だと思っている方と、範囲広いと思うんです」

という発言をしている。

このように「わざと品のない物言いをする」、「言ってはいけないようなことをあえて言う」ことが、失言とみなされて責任を取らされた政治家は数多い。

森元首相くらいの高齢になると、ナチュラルに失礼発言をブチかますことはあると思うのだが、「犬畜生」と言った町長は57歳、私とほぼ同世代である。

これはね、私の個人的見解なんですけど、中途半端にテレビバラエティやサブカル的なものを観てきた影響だと思うね。
要するに、普通の人が芸人やタレントのまねをして、滑って、「怒られる」までの事態に行っているのだ。

みっともない話である。子供じゃないんだから。

とある新聞記事では、こうした政治家の失言は「上から目線」と「ジョークとそうでないことの区別がつかない」二点から発生していると書かれていたが、私は「いばっている」というところから「犬畜生」という物言いは出てこないと思う。犬にいばっても仕方ないからだ。
(別に「犬畜生」という物言いで彼が会見をしたわけではないが、会見でわざわざそういうことを言うことに、彼のパワハラ・セクハラの源流があるように感じたから書いている)。

問題となった事案としては、

(引用開始)
また、ある時は、命に関わる手術を控えた職員に対し…
愛知・東郷町 井俣憲治町長(57) 「お前、死んだら、香典いくらくらい?」
(引用終わり)

と言ったことが明らかになっている。

シチュエーションはわからないが、ものすごく親しい仲で、「手術から無事に帰って来いよ」ということが照れくさく、わざとそういうことを言う、ということもゼロではないとは思う。
だが、おそらくこの件はそうではない。言われた方はそうとうムカついたことだろう。
「あんたと、そこまでの関係性じゃねぇよ」
と思ったと思う。

「芸人はあえてブラックなことを言わなければならない」という時期が、テレビバラエティーでも長く続いた。
57歳といえば、「そういう番組」にどっぷり漬かってきた世代だから、「自分でもそういうジョークが言える」と思い込んでいる人は多いと思う。

また、かつては政治的発言でも、あえて卑近な言葉を使って親しみを演出する、または「ドキッ」とさせて耳目を集める、という手法があった。

80年代に、「フリークス」という映画上映前のトークショーで、とある評論家がさんざん、身体障碍者に対する差別的な言動を「あえて」していたことがあるという。しかし彼は決して障碍者差別をしたいわけではない。
あえて卑近な言葉を使って、「フリークス」という映画を見に来た観客の「変な緊張感」を取り除こうとしたに違いない。
上映後の質疑応答で、観客から「自分の家族が身体障碍者である」と言われたその評論家は、実に真摯な態度で受け答えをしていたと言いますからね。

しかし、もうそのテの手法は、通用しないと思う。これは不適切だからよくないとかいうことではない。手法として古いのだ。
Eテレ(昔の教育テレビ)も「きまじめでなんだか変」とさんざん芸人やら雑誌の投稿やらで嘲笑の対象になっていたが、今はそこまで時代遅れな感じではない。
それを、80年代気分でEテレいじりをしたら、2024年段階では痛いだけだろう。それと同じことだ。

また、考えもなしに冗談で言ったことがいらぬ誤解を招く可能性も、非常に高くなっている。
それでもあえてやるのなら、単なるアホか、当人のヒロイズムから来ると取られても仕方なかろう。

現に、東郷町長は「それってセクハラですよ?」と言って「言い返してやった」とご満悦だったから、「犬畜生」発言はそれにかぶせるコンボだったと観ていいだろう。
まったく観ていられない会見だった。

なお、彼は「着ぐるみの中身が女性だと知りながら抱き着いた」ことも問題になっているが、「おれたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で、芸人たちが女子アナのおしりを触ったりしてたいしたおとがめもなかったのは80年代前半、今から40年も前の話である。

この井俣って人は、40年前で時間が止まっているのだろう。

井俣さん、本当はメチャクチャいい人なのかもしれない。雨の日には野良犬に傘を差しだすこともあるのかもしれない(「この犬畜生……おまえもおれと同じだな……」とか言いながら。
しかし、テレビの記者会見を観るかぎり、自分の何が悪いのかよくわかってないトンチキにしか見えなかった。

自分を往年の大人気芸人や、毒舌が売り物の思想家や活動家などと同一視するのは、今すぐやめた方がいい。

まあ何にしても、現在五十代、六十代の政治家が、往年の毒舌芸人たちの影響を受けて「自分でもできる」と思って発言や行動で「やらかす」ことは今後も続くだろう。
まったく、恥ずかしくて観ていられない。

今すぐおれの目の前から消えてください。

おしまい

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