在り来りという主観

 朝、心地のいい曲のアラームがけたたましく鳴り響く。
 時刻は昼過ぎを差し、仕事の支度をしてパソコンに向かう。
 通勤電車は酷く混み合い、交差点で横切る車を横目に、横断歩道を渡る。
 会社に着くなり部長からの嫌味をコーヒーで飲み干し、右ストレートの罵声を浴びせる。
 いつも通りの楽な仕事を急ピッチで進め、定時で帰る皆を見送る。
 終電間近に会社を出て、居酒屋で一杯引っ掻けてから、コンビニで買ったビールで弁当を食べる。
 友達と朝までゲームをして、翌日の仕事に備えて布団に潜る。
 
 『可能性』が混在する。
 知らない『現在』がある。
 それは矛盾なんかじゃなくて、複数の自分の同時再生なんだと思う。

 普通という自分の理想の平均なんてものは在り来りなんかじゃない。
 死にたくなるような世界にだって、人は這ってでも生きている。

 最悪も想定出来ない人間が
  生半可な多様性を詠うな。
 

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