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タトゥーを彫っても人生は特に変わらない

お久しぶりですね。

ノートを更新しない間に、フリーランスから会社員へ転職しタトゥーを彫りました。

普通、逆ですよね。

いろいろと話したいことはあるのですが、とりあえずタトゥーを彫った話でもしましょう。

なんで彫ったの?

この質問をされると、いつも思うことがあります。

「聞いてどうする?」

私は、人にタトゥーの意味を聞きません。

誰かが亡くなった意味かもしれないし、自分との約束を示すためかもしれない。

理由は様々だけどそれを聞いたところで、私にとってその理由は「で?」程度でしかないと分かっているからです。

仮に私のタトゥーが、誰かが亡くなった日やその人との約束だったとしましょう。

そう話した反応は大概「へぇ」と、想像できますよね。

誰しもタトゥーを彫っている人は、彫りたかったから彫って、増やしたいから増やしているだけではないでしょうか。

タトゥーに意味を持たせることについては、さまざまな議論がなされています。意味のある無しに関わらず、彫りたいから彫ってるだけでしょう?

それでいいんじゃないかな。

タトゥーを彫って更にどうでもよくなった「他人の視線」

私はほとんどのタトゥーを見える場所に彫っているので、最初は電車に乗っても話してても人の視線が気になりました。

見られてるのは分かるもので、タトゥーはかなり人目を惹くんだと彫って知りました。

でもそんなのも、最初だけ。

1年も経つと人の視線を感じて改めて「あ、首にもあったっけ」と思い出したりします。

初対面の人はもしかしたら「タトゥーがある人」というレッテルを私に貼って、話し始めていたかもしれません。

しかし私にはタトゥーを彫っているという自覚が常にあるわけではないので、レッテルを貼られているかどうかは私にとって問題ではないんですよね。

人からどう見られるか

これはタトゥーを彫って、尚、どうでもよくなったことのひとつです。

どう見えててもいいよ!どうでもいいから!

そんな風に思います。

私のタトゥーはすべて私から正しく見えるように、人から見ると逆になっていたり上下が逆さまだったりします。

自分のために、自分の体に彫ったもの。

人からどう見えようが、どう見られようが、どんな受け止め方をされようとも、それは私にとってどうでもいいことです。

タトゥーを彫ったデメリットは?

正直、特記するほどのデメリットは感じられません。

温泉は貸切か内風呂があるところに泊まればいいだけで、海やプールは小学生以来行ってないくらい元々縁のない場所です。

着るものは選ぶこともありますが、冠婚葬祭であれば長袖長ズボンでも不自然ではないですよね。

私の会社は私以外にもタトゥーを彫っている人がいて、見えなければいいんじゃない?という社風です。もし見えていても…大概は気にしていません。

最悪タトゥーを理由に仕事をクビにされたら、前職だったフリーランスに戻ればいいだけですよね。

職種の制限についてデメリットを挙げる人もいますが、あまり関係ないように思います。

関係ないと言わせるまで結果を出すか、見せないキレイを追い求めてみるか、方法はいろいろあると思いました。

タトゥーを彫ったメリットは?

メリットもデメリット同様、特にないかもしれませんね。

痛い上にお金がかかるし、大きな絵を彫ろうと思ったらなにより時間がかかります。

そして得られるのは自己満足と消えないタトゥーだけであり、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれません。

それでもまだ彫り続ける理由は?

これだけ意味なんてないと言っているくせに、それでもまだ彫り続ける理由はなんでしょう。

その理由もまた「特にない」のが、事実です。

全身に彫ろうと思ったら、数百万はくだらないお金がかかります。何年という時間が必要で、わざわざ痛い思いをしに足を運ぶわけです。

なんでそんなこと…と母にも言われましたが、なんででしょうね。

例えば、車やバイク、釣りや筋トレ、メイクや買い物、それらの趣味はすべて自己満足ですよね。

仕事や勉強のように正解やゴールがあるわけではなく、自分がいいと思う感情が正解やゴールの判断基準です。

私にとってタトゥーはそのうちのひとつで、完全に自己満足の世界でしかありません。

全裸で鏡の前に立ったとき、「ここにタトゥーがあったらいいのに」そう思う日があったらそこにタトゥーを彫ります。

そうして少しずつコレクションが増える感覚なので、特にあれがどうこれがどうではありません。

いつ終わるのか、満足したときでしょうね。

それがいつかは私にも分かりません。

タトゥーを彫ることは勧められる?

自分がタトゥーを彫ってみて、他人が彫るのをどう思うか…

好きにしたらいいよ!

私はバツイチなので、結婚についても似たようなことを聞かれます。

でもタトゥーを彫った人生を生きるのも、その結婚が正解か不正解かを体験するのも、この世でひとりあなただけです。

アドバイスや経験談を話すことはできても、その責任や苦悩、幸せを体験するのは自分だけですよね。

私じゃないし、ほかの誰でもなく、あなただけです。

だからタトゥーを彫った人間として、

バツイチとして、

責任を持って

好きに生きたらいいと言いたい。

だって自分の人生じゃん。

こんなに親不孝な娘いるかな?

さすがに、思いましたよね。

少年院に入るほどの不良時代を過ごして、突然バックパッカーになったかと思いきや、記事を書いて飯を食うとかいう自営業を始める。

落ち着いたかと思ったら友達の会社に勤めると言い出し、会う度にタトゥーが増えていく。

なかなかエグいくらい、親の思う通りに育たなかった子ども代表レベルの人生です。

実際、親の望んでいた子どもとは似ても似つかないほど、真逆の選択をし続けています。

母の望む選択をしていた頃もありました。

いい子だねと言われたい一心で、ただそれだけのために自分の望むもの全てに蓋をしていた時期もあります。

でも胸を張って言えるのは、そうして我慢していたときよりもずっと、今の方が母と仲良しです。

親として納得いかないことも多いでしょうし、娘を思って口に出さないこともあると思います。

親不孝ってなにを持って言うのか難しいところですけど、私にとって私の毎日は決して親不孝ではないと言い切れます。

人より遠回りして、まっすぐ来ればいいところをわざわざ寄り道して来た。

しなくていいことをたくさんして、見る必要のないものをたくさん見た。

確かに目に見えることのほとんどは親不孝かもしれないけど、私は私の人生を生きてると胸を張って言うことができます。

それがこの人生をくれた母親への、最低限の親孝行かな。

自分の人生を楽しむこと、これができてれば見た目なんかどうでもいいじゃんね。

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