240208(青空に逢えるよ)

青空に逢えるよ

流行りに乗っかってというのと、あと転ばぬ先の杖的なことも考えてブルスカのアカウントを作りました。

アカウント持ってなくても誰でも投稿見れるので気軽に見てください。普段のツイートと同じようなしょうもないことしか投稿しないつもりで、ちゃんと言いたいことは絶対ツイッターの方でやるつもりだし、あまり見られたくないからとブルスカの方に投稿することは(多分、原則)やらないように、むしろそこは意識するつもりです。  


ここからは持論というか、完全にお気持ち表明なので読まなくていいし、雑な部分とか論理の破綻とかあっても見過ごしてください。誰かを殴る意図は全くないです。  

僕は縮小鍵垢があまり好きではないのですが、その理由はこちら(表のアカウントのフォロワー目線)からは見えない人格がその人に存在しているのが嫌だからです。もちろんインターネットなのだから、現実とは違う顔を持っているのは当たり前なのですが、縮小鍵垢はインターネット上では表のアカウントと同一存在として運用することになるので複数の顔を使い分けられているということになります。いや、インターネットと言っても割とリアルで会ったり通話したりして人間関係が構築されていくうちに、自然と複数の顔を使い分ける必要が出てくることはあると思います。でも、その“身内”間のやりとりは、こっちが生活してるのと同じ土俵(ここではツイッターという場)でやるのは正直やめて欲しいと思っています。(かなり自分勝手な発言なんですが、昔はそもそも“身内”という概念自体嫌いだったのでこれでも成長してます)  
その上で、SNSの使い分けというのは結局のところ縮小鍵垢と変わらないと思っています。違う場で違う顔を使っていることには変わりないし、いくら誰でもアカウントが作れて、鍵(のようなシステム、存在するかは知らない)じゃないからウェルカムですよみたいな態度を取っていても、そのサービスを訪れない限り投稿が見られないのでは事実上の足切りというか、感覚的に鍵とあまり違いがないように思えてしまいます。  

なので、僕はブルスカにおいてツイッターとの使い分けを意識したくないし投稿の基準も設けたくなくて、どちらでも変わらないような投稿をしたいと思っています。でも、基本的にはツイッターを自分の居場所としてるので、ほとんどの投稿はツイッターにするし、あとから振り返りたくなるようなことはツイッターで言うように、と考えています。  
ただ、SNSの使い分けというのは投稿する側からするとメリットばかりで、特に僕のようななんでもツイートくん(でしかも自分のツイートが大好き)からすると例えば分野ごとに投稿する場所をわけておけば後で振り返るときに多少はやりやすくなるかも、みたいなことは考えてしまいます。あと、縮小鍵垢そのものも、使ってる側は相当楽しいだろうし僕は性格が悪いのでもしやってたら人一倍使いこなしてしまうような気もします。だからそういう場所をあえて作らないようようにしてるというのもありますが…。  

だから、今書いたことはとりあえずの所信表明であって、もしかしたら心変わりすることがあるかもしれないです。でも、だからこそこうやって文章にしておいて自分に釘を刺しておいているところもある気がします。(どっちなんだよ)

以上です。