脚気 森鴎外 日露戦争

1905年5/27-5/28日本海海戦だったらしい。日露戦争でロシアに勝利。この時陸軍の兵隊は2.8万人くらい脚気で亡くなった。陸軍兵士の34%位が戦争で死ぬより脚気で死んだ。。引用。脚気は、かつて日本で「国民病」といわれるほど流行した歴史がある。江戸時代、玄米に代わって白米が徐々に普及するにつれ、脚気が広まり始めた。米の胚芽に多く含まれるビタミンB1は、精米によって取り除かれてしまうからだ。海軍軍医の高木兼寛は、脚気の原因が食べものにあることをいち早く見抜き、兵食に麦飯を取り入れ、海軍の脚気を激減させた。イギリスに留学経験のあった高木は、イギリス海軍に脚気がないことに注目し、洋食が解決の鍵であることに気づいたのだ。 一方、陸軍軍医であった森林太郎(森鴎外)は、脚気は「脚気菌」による細菌感染症であるとする説にこだわった。鴎外の責任は大きいらしい。「軍隊では白飯が腹いっぱい食べれる」は命とりだった。海軍発祥のカレー、肉じゃがも麦飯食べる工夫だったのかもしれない。戦後ビタミンB1を補う飲むアリナミンが誕生した。

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