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幸せの咲くこの国で

北欧で暮らす。いつか叶えたいと思っていた,長年の夢。

父親は外科医。周囲は大半が理系。それもほとんどの進路は東大か医学部。まあ将来は医者になるんだろう。父親と同じ様な生活だけはしたくないから,外科医になるのだけはやめておこう。周囲の環境に受動的だった高校生の頃の自分は,自分の未来なんてそれくらいにしか考えていなかった。

そんな自分だったが,唯一,医療を支える制度に関しては当時から興味を持っていた。思えば昔から,委員会やら部活やら,大枠を決める仕組み自体を考えることが好きだった。医療の仕組みは,社会の仕組みの一部分。東大を受験した理由も,そうした社会的な要素を学ぶためには,他の学部へのアクセスがしやすい環境があった方が良いだろうと思ったからだった。

大学に入ってからは,部活やらバイトやらの片手間ではあったものの,少しずつ医療制度について学んできた。医療の仕組みは,各国の政治体制,およびそれらを形作ってきた歴史とは切り離せず,国の現代の制度を学ぶ事はその歴史を学ぶことでもあった。様々なしがらみの中で成り立ってきた制度は,正しさ・効率の良さだけでは成り立たない人間社会の難しさを反映していた。学べば学ぶほどに,興味は深くなっていた。

そうして様々な国の制度を学んでいく中で,逐一目に入ってきたのが,「福祉大国」の異名を持つ北欧の国々。男女平等,教育,幸福度。社会部門のランキングでは,何をとっても上位に陣取る北欧の国々だった。その中でも,「幸福度」において自分たちよりも遥かに上位の国々が存在する。このことが気になっていた。

運の良いことに自分は,それなりに恵まれた日本という国,その中でも不自由のない家庭に生まれたと自覚している。「幸せ」を掴むことのできる環境には,十分身を置いているはずだった。英語,ピアノ,テニス,鉄緑会,東大受験。自分から「あれをやってみたい」と言ったことは,全てやらせてもらえた。大した向上心は持ち合わせていなかったので,受験以外はどれも大成したとはお世辞にも言い難い。が,それでも「やってみる」ことができたというだけでも十分に恵まれていた。そのはずなのに,「自分は幸せだ。」この一言に,自信が持てなかった。

周りには自分より優秀な学生が溢れ,彼らの成し遂げていく実績の横で,大した成果は何一つ出せていない。成果で評価される社会において,成果を出し続けなければいけない焦燥感に駆られながら,日々を走り続けていた。「本当にこれで幸せか?」いつしか,寝る前に自問を繰り返す日々が増えてきていた。

平均寿命は世界トップクラス。名目GDPも今のところは世界3位。自分が生まれた日本という国は,少なくとも健康・経済といった側面においては,そこまで大きく劣っているとは思えない。それなのに,自分たちよりも遥かに幸福度の高い生活を送っている国々が存在する。どういうことか,気になって少し調べてみた。

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世界幸福度ランキング
(表はWikipediaより)

かくして調べたところによると,この「幸福度」は0~10の値からなる各国の国民の回答の数値の平均値であるに基づいているらしい。日本人はその国民性として極端に行きすぎないことを望む。本当に幸せであったとしても,多くの日本人は少し遠慮して7とか8とか,その辺の数字を答えるだろう。アンケートの取り方の問題だ。そう割り切ってしまっていた。

しかしながら,そうは言うものの,「自分は本当に幸せか?」この問いは常に心の片隅に残っていた。心の底から幸せであるとは思えていないことは,明らかだった。周囲を見ていても,「日本の幸福度が世界トップクラスである」と言えるようには、やはり思えなかった。

何が幸福度の違いを生んでいるのか?幸福度の高い国々は,何が日本と違うのか?そうした国々で暮らす経験ができれば,幸福度を上げる社会の作り方を何かは持って帰ることができるのではないか?自分,そして自分と関わってくれる人たちの生活を,豊かにする道しるべとなるのではないか?
とは言え,いつかそんな機会があると良いな。まあ,死ぬまでに一度叶えば良い。それくらいにしか思っていなかった。

一方その裏では,2017年に東大とスウェーデン・カロリンスカ大学の間で戦略的パートナーシップ全学協定が結ばれていた。その頃はまだ1年生。まさかその恩恵を自分が被る未来が訪れるなんて,一ミリも考えていなかった。が,時が流れ,2021年4月より,毎年東大医学部からカロリンスカ大学附属病院に実習留学生を派遣できるようになったという情報を得た。ここしかない。何としても行きたかった。6年生の選択実習期間,別にそれほど海外に行きたいと思っていたわけではなかったが,北欧が候補に入ったと聞き,180度風向きが変わった。

それでも,留学に派遣してもらえるには,学内での成績,英語力,選考面接。これら3つで選考に値する成果を発揮する必要があった。越えなければいけない壁は,あまりにも多かった。CBT,TOEFL,国連英検,面接対策,USMLE。必ず乗り越えると決めたひとつひとつの壁。医学にしても英語にしても、大して頑張って来なかった自分にとっては,あまりにも過酷な道のりだった。そのひとつひとつを,各々の道に秀でた知人達に助けられながら,全力で越えてここまで来た。無事派遣してもらえる連絡を受けとった時は,心の底から嬉しかった。

2022年4月。こうして数年来の夢が叶い,北欧の地に降り立った。街を歩く中で真っ先に感じたのは,道行く人々の笑顔の多さだ。まだまだコートが必要な寒さ。快適な街とは言い難いが,それでも人々は笑顔を浮かべる。

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて,スウェーデンは隣国フィンランドと共にNATO加盟への意欲を見せた。2世紀に渡って軍事的中立を保ってきた本国にとって,大きな歴史の転換点を迎えようとしているのかも知れない。不安がないわけなんてないが,それでも人々は前を向いている。

この笑顔の中に,探していた答えを見つけられるか。夢はまだ,始まったばかり。幸せの咲くこの国で,悔いのないよう歩んで行こう。

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