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どこまで医療のお世話になりますか?

わたしたちの多くは、人生の最期を「病院」で迎えます。

① 長期療養入院 → 病院で最期の時を迎える。

② 自宅で突然倒れ、病院に救急搬送 → 病院で最期を迎える。

とくに、長期入院の末の臨終の場合、何処まで治療としての医療の提供を受けるのかが大きな問題になります。

なぜなら、私たちは①のときも②のときも、『自分で意思表示できる状態にない』ことが少なからずあるからです(あるいは、そのほうが多いかもしれません)。

では、「その時」に向けてどんな準備をしておきましょうか?


同意を与えるのは誰?


少し難しい話をすると、「医療契約」(診療・治療の依頼)は、本人が行うのが原則ですが、認知症など事理弁識能力が著しく低下するなどした場合、成年後見人などが本人に代わり、契約を締結することができます

しかし、「医療行為」については「医的侵襲」を伴うものとしてその違法性を阻却するための承諾は患者自身が行わなければなりません。医療行為に対する同意については「一身専属的」なものであり、本人以外が代わりに決めることができる性質のものとはされていません。

つまり、「受付」はご家族ができるけれども、具体的な「治療方法」などは本人しか決められないということです。

現実には、ご本人が医療行為について判断が困難(あるいは不可能)な場合、その判断はご家族がするわけですが、これはあくまでも「本人ならこうするだろう」という判断をすることになります。

ときに、ご家族は「命の終わり」を判断するという思い役割を担わなければなりません。これも本来は、ご本人にしか決めることができないことです。

「どこまで医療のお世話になるのか」は、事前に決めておきたいところです。


エンディングノートや尊厳死宣言書で大丈夫?


エンディングノートに終末期の希望を記載するページがついていたりします。ご本人の意思を「推認する」ための判断材料としては大変重要です。

しかし、ご家族(1人でも)が反対した場合、ご希望を叶えることはできません。

では、「尊厳死宣言書」はどうでしょうか?

公証人が作成に関与する点で、エンディングノートよりも効果がありそうですが、これもやはりご家族のうちお一人でも反対されるかたがいらっしゃれば、ご希望通りにはいかないと思われます。

一昔前よりも、医療機関もご本人の意思を尊重するようですが、いずれも法的拘束力があるとは言えません。

また、両方とも「作成時期」があまりに古い場合、その後のご本人の意思や心境の変化などが読み取れないため、やはり参考材料のひとつという位置づけになります。


「在宅医療」が注目される理由


在宅医療はよく「自分らしい最期」というワードと紐づけられますが、本当でしょうか?

在宅医療の歴史は古いのですが、注目を浴びているのはつい最近ですよね。介護保険制度のスタートがひとつのきっかけかな、と思います。

在宅医療は原則どの医療機関でも提供することができますが、どこの医療機関でも対応しているとは限りません。とくに、自宅での「看取り」までお考えであれば、かかりつけ医とよく相談することをお勧めします。

在宅医療の場合でも、ご本人の意思に基づくことには変わりません。そして、その判断がご家族にとってつらいもであることもです。

ただ、ご自宅(患者さんのフィールド)のほうが、医師をはじめ、訪問看護師やヘルパーたちの意見を聴きながら、(患者さんご本人の気持ちを)じっくりと考えることができるかもしれません。


さいごに


現在はご自宅でも十分な緩和ケアが受けられるようです。

どこで最期を迎えるのか、延命措置はどうするのかと考えるよりも、「どこまで医療のお世話になるのか」という視点で考えてみると、また違った考え方になるかもしれません。

もちろん、最後の最後まで打てる手段はすべてとって、徹底的に病気と闘う最期もありだと思います。

しかし、最期の判断をゆだねられるのは、「ご家族かもしれない」ということを頭の片隅に置いていただきたいということなんです。

エンディングノートや尊厳死宣言書のところでも書きましたが、「早すぎる準備」よりも、日頃からご自身のお考えを共有しておくことの方が重要なことかもしれません。

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