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光影堂・桂修理工房「掛軸修復見学会」①西本願寺門主裏書きの「方便法身像」

クラウドファンディングでご支援頂いた掛け軸の修復は順調に進んでおります。昨日は、修復依頼先の(株)光影堂の桂文化財修理工房へ見学に行って参りました。(株) 光影堂は国の選定保存技術保存団体で、国宝などの修復をされています。見学に参加された皆様、有難うございました。


①西本願寺門主裏書きの「方便法身像」

<西本願寺と廣岡家>

廣岡家は西本願寺の有力門徒で、北御堂の講中総代でした。西本願寺の日記によると、初代の冨政はたびたび本願寺に参上し、季節の礼や節句の祝儀の進物を贈っています。本山から下賜された「方便法身像」(阿弥陀如来像)は、本願寺良如(1630~1662門主)が冨政(法名教西)に与えたものです。「廣岡氏系図」には冨政の妻、禄について「母は京西本願寺寂如様御腹揚徳院殿寂照様女也」としており、寂如とは兄妹であったと記しています。近年、禄(法名如意)が西本願寺の女官に宛てた書状も発見されました。冨政が延宝八年(1680年)に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100両を献上し、寂如が小広間で対面し返礼しています。更に元禄十五年(1702)の禄の三回忌には、寂如自身が読経しており、深い関係がうかがえます。廣岡家は江戸時代を通じて本願寺と強い絆で結ばれ、宝暦元年(1751)には西本願寺の学林(僧侶の教育機関)の講堂修復を支援し、天明八年(1788)の大火でも学林の再建に尽力しました。本願寺門主の和歌懐紙や書画が数多く残されているのはその表れと言えます。

以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用。

<作品の現状>

修復前の「方便法身像」 
右:法如(1743-1789門主)筆 約230年前 左:良如(1630-1662門主)筆 約360年前

裏書きから西本願寺第十三代良如上人(1612~1662,1630~1662門主在位)
からの下賜品と判明する方便法身像(阿弥陀如来像)です。

本紙(絵の部分)は、絹に岩絵具と金泥、截金を用いて描かれており、これらを絹に接着している膠の強度が低下して剥落が進行しています。

絹に描かれた絵画は、表からだけではなく裏からも絵具で彩色が施されていることが多く、表の絵具が剥落して絹だけになっている箇所は、絹の目から裏の絵具の色が透けて見えている状態です。

修復前のボロボロ状態 (左)表絹本著色方便法身像 表側  (右)同 裏側

濃い青色に見える部分は、銅の成分が含まれた絵具を使っているため、
酸化により裏打ちの紙の変色、強度低下を進行させています。

巻き解きの繰り返しにより折れが多数発生しており、
このことが原因で、絵具の剥落が今後さらに進行する恐れもあります。

絵が描かれた絹に直接裏打紙が打たれ、さらに周囲の裂(きれ)とあわせて複数回の裏打ちが施されて掛軸に仕立てられています。その際に使用される糊は「小麦澱粉糊」で、おおむね100年経つと接着力が弱まったり、逆に全体が硬くなってしなやかさが失われたりし、さまざまな損傷を引き起こす原因となるため、日本の絵画はおよそ100年ごとに定期的に解体修理(裏打ちの打ち直し、仕立て直し)が行われてきました。

この作品は、江戸時代初期に制作されたあと、江戸時代末期から明治ごろに少なくとも一度は解体修理が行われています(その時に、裏書きが再使用された痕跡があります)が、そこから起算しても優に150年以上は経過していると思われ、今後絵を維持していくためには、解体修理が必要な時期をすでに迎えているといえます。

<今回の本格的修理>


・絵具層の状態が危険であり、絹の両面に絵具層があることから、水をたくさん使用して短期間に裏打の取替、仕立て直しを行う一般的な方法では、絵の大切な表現が損なわれてしまう可能性があります。また、裏打紙はすでに絵や掛軸全体を保持する力を失ってしまっていることから、すべての裏打紙を取り除いて新たな手漉和紙に交換する必要があります。

・絵の表面を保護した上で、裏面の絵具を壊すことがないよう、少しずつ裏打紙を取り除いていくため、修理には半年以上の期間を必要とします。

・折れなどにより、絹自体がなくなってしまっている箇所には、補修絹(放射線照射により強度を弱めた補修専用の絹)をはめ込みます。

・周囲に付いている裂や金具は、絵に相応しい上質のもので、前回修理のときにも元のものを修理して使ったと思われますので、今回も、損傷している箇所を修理した上で再び使用します。

・将来の折れの発生を少しでも遅らせるため、軸を太く巻くための「太巻添軸」を作成し、新しい桐箱に納入します。

・裏書きは、前回修理では表装背面に貼り戻ししていましたが、前述のように、掛軸を保持するには強度が低下しているため、取り外して別に保存(散逸を防ぐため、本紙と同じ箱に納入)します。このことにより、作品と裏書きを並べて展示することも出来るようになります。

 本願寺第十七代法如上人(1707~1789、1743~1789門主在位)の下賜にかかるもう1幅の方便法身像についても、上記と全く同様の損傷が見られます。

以上、(株)光影堂様の修理所見より引用

<修復過程の見学>

少しずつ裏打紙を取り除いて、バラバラに分解された掛け軸「方便法身像」

バラバラに分解された掛け軸です。ここまでくるのに、半年以上のかかっています。今回は修復過程でないと見られない画の裏側の下書きなどを見せて頂いたり、修復担当者の苦労話なども大変興味深く伺うことが出来ました。参加者からも「修復作業の凄さには感嘆しました!」との感想を頂戴しました。 

続く~

いつも応援いただきまして誠にありがとうございます。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

今日もご先祖様のお力添えをいただけますよう、お願いいたします。

大阪の豪商・加島屋第10代、廣岡久右衛門正直の孫
神戸中医学院(芦屋薬膳)代表、西野久子(旧姓:廣岡)

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文化財修復活動の動画

100年先プロジェクト(45秒)
阿弥陀如来像(平安末)(70秒)
西本願寺門主裏書き「方便法身像」(江戸時代)(58秒)

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