雨垂れ石を穿つまで②

「どうもー。 ごめんくださーい」

 不規則に入り組んだマンションの中、狭い通路を上へ下へと歩き、やっと辿り着いたその場所に、山形の『アテ』はあった。 ジャンク品の放り込まれた箱が積まれ、陳列された通信機器類が並ぶ。 店の奥へ声を掛けた山形に続き、ナタリアが踏み込んだそこは、どうやら電子機器類を販売する店舗であるらしかった。

「あっ、はいは~い! ちょっと待って~!」

 カウンターの奥、バックヤードから、応答する低い声が届く。 ガチャガチャという物音が響き、ややあって、声の主が姿を現す。

「あらやだ! 山形さんじゃなァ~い!! ご無沙汰ねぇ~!」

 隆々と大きな肉体、輝くスキンヘッド、青ヒゲの中に輝くルージュ。 フリフリの桃色エプロンに、機械油をべっとりと沁み込ませた店主が、山形を見て親し気な声を上げた。

「…前々から思ってたけど、この地区の住民、インパクト重視が過ぎない?」

 半目のナタリアと視線が合い、『あら、イケメン…』と店主が頬を赤らめる。

 やめろ。 怖気がする。

「わはは、お陰で自分なんかは影が薄くて。 参りますよ」
「いや! 山形さんはそのさっぱりさが逆にキャラ立ちしてるのよぉ。 いつまでも素朴なままで居てほしいわ~」

 顔を合わせ、高らかに2人が笑い合う。 付いていけん。 視線を外し、ナタリアは煙草に火を点けた。

「それで? 珍しく人なんか連れて、今日は何の御用かしら?」
「ああ、実はちょっと捜し物をしててね。 この辺りの事情通と見込んで、尋ねたいんだけど」

 よっこいせ、とカウンター近くの椅子へ山形が腰を下ろす。

「実は、1月くらい前から、この辺のアドレス発信で、環境課のサーバへクラッキングが仕掛けられてるんだ。 何か、この件に繋がる心当たりがあれば教えてほしい」

 尋ねる山形の口調に変化はない。 しかし店主は、すっと表情を曇らせ、声のトーンを落とす。

「…そっか、山形さん、そう言えば」

 山形が胸ポケットに突っ込んだIDから伸びる、ネオンイエローのストラップ。 背後では、壁にもたれるナタリアが、煙草を咥え、指先でIDを挟んで掲げている。

「それは、穏やかじゃないわねぇ」

 地区住民が外部とトラブルを起こす事は、地区へ無用な火の粉を振り撒く事態に繋がりかねない。 自らを守る力に乏しい地区住民達にとって、それは御法度だ。 地区の古参である店主は、これを良く知っている。

「こんなことを仕出かすのは、例えば、ルールを知らない流れ者。 あるいは、怖いもの知らずの、若さか。 どっちみち、なるべく大事にせずに収拾させたいと思ってる。 何か、この頃で変わったことがあれば、教えて欲しい」

 俯き、店主が考え込む。

「そうは言っても…。 最近は越してきた人も居ないし、揉め事の話も聞かないし、ピンとは来ないわねぇ…」
「クラッキングは、非電脳のデバイスから発信されてる。 その都度、カウンターでロックを掛けてるから、犯人はデバイスを大量に仕入れてる筈だ。 この店は、その辺の機器の扱いも多いと思って来たんだけど」

 大量のデバイス、と呟いた店主が、ハッと顔を上げた。 視線の先、戸口の傍のプラスチックコンテナの中には、新旧様々な通信デバイスが放り込まれ、積み重なっている。 それは?という言葉が山形の口から出掛かった時、店外からバタバタと、足音が駆け込んできた。

「母さん! 頼んでたやつ、準備できてる!?」

 顔にあどけなさを残す、小太りの少年が、店主へ声を飛ばす。

「あ、ああ。 あるわよ、その入り口の脇の箱」

 少し狼狽えた店主の様子を気にすることもなく、よし、と少年はプラスチックコンテナを持ち上げる。

「あ、ちょっと! 支払いは!?」
「待ってなって! 後で絶対、振り込むから! 今、段々良い感じになってきてるんだ!」

 そう言い残して、少年は踵を返し、どてどてと去っていく。 店内に僅かな沈黙が落ちた後、山形が声を掛けようとして、既にナタリアが煙草の火を揉み消している事に気付く。

「連絡、お願いします。 後で追い付きますんで」

 山形に小さく頷いて返すと、ナタリアは少年の去った方向へ駆けていく。 静音性に特化した義体のようで、まるで気配を感じさせないまま、電灯の隙間の闇に溶けていった。 店内には、カウンターを挟み、山形と店主が残される。

「…彼、外で働き始めたんじゃなかった?」

 戸口の方を向いたまま、山形が尋ねる。 短く息を呑む気配があり、やがて店主は溜め息を落とす。

「クビにされちゃったんだって。 地区の出身だって事がバレて、2月くらい前に」
「…ああ、そうか」

 面倒を嫌う外の働き口が、厄介者の吹き溜まりと嘲られるR-1Nの出身者と知り、解雇する。 そう珍しく聞く話でもない。

「憧れてた所だったんだってさ。 あの子にしては珍しく頑張って、腕を認められて。 でも、ヤな先輩に目を付けられて、モメちゃったって」
「流れ着いて住めば都。 でも、ここから外へ向かうには、酷な世間だよな」

 そうね、と店主が同意する。

「ああ、バカだわ、私…。 あの子達が何をしようとしてたのか、ちゃんと聞いておけば…」

 両手で覆った顔から、店主の嘆きが漏れてくる。 少しの間を置き、さて、と山形が立ち上がった。

「急にお邪魔してすまんね。 後の事はまあ、上手くやるから」

 戸口に向かう山形の背に、店主の視線が縋る。

「山形さん、今まではアタシ達をいつも助けてくれてたけど――」

 それは、この頃聞き慣れた問い。

「今は、誰の味方なの?」

 足を止め、振り返り、いつものように返す。

「俺はいつでも、俺の家族の味方だよ」

 そっか、と店主が小さく息を吐き、片手を振る。 それに応じて、山形は店を後にする。 ナタリアから連絡の入った地点への近道を思い描きながら、狭い通路に、ゆっくりと山形の足音が響いていった。

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