メカ・ドッグによろしく①

 吾妻ブロック、R-1N地区内。 多くの声や足音の行き交う、とある通り。 そこで見上げる空は、上下を凸凹でこぼこのビルたちに縁取られ、ところどころを看板やケーブルたちに遮られながら、長細く伸びている。 その青の中を飛んでいく小鳥たちが、まるで川を泳ぐ魚のよう、などと思うなどして、午後のひと時をぼんやりと過ごすラパウィラが、そこに居た。
 ラパウィラは現在、環境課・市民生活係の同僚である山形に付き合い、R-1N地区の定期巡回に訪れている。 その最中、通りすがった食用品店から顔を出した店主に、調子の悪い機械を見てくれと、山形が引っ張られていってしまった。 山形の機械修理の様子などは、既に見慣れて興味を引くものでも無かった為、ラパウィラは店に入らず、路傍のビールケースに腰掛け、風景を眺めることとなっていた。
 眼前にある通りは、生活用品を扱う店が多く集まっており、R-1N地区の中でも人影が多い場所となっている。 人気の多さから、治安も他の場所と比べれば落ち着いているように見え、老若男女、様々な人影が行き交っている。 向かいを見れば、庁舎のある中心街では見かけない銘柄が並ぶ煙草店のカウンターで、老婆がサイケデリックな色の煙をくゆらせている。 視線をずらせば、中華料理店の軒先にて、他ブロックから中継されたサイバネ競馬の映像を前に、悲喜こもごもの声を上げる作業員風の一団がある。
 退屈しない風景たちをしげしげと眺め、時間を潰すラパウィラだったが、その中で一つ、気に掛かっている事があった。

(なんか、視線を感じるんっスよねー)

 自分の落ち着きが無いせいかとも思うが、人々と視線が合うことが、やけに多く感じていた。 特に睨まれている事は無いし、ジロジロと観察されているわけでもない。 しかし、道すがらに一瞥される気配は、そこらじゅうから察知できる。 そこまで居心地悪く思うものでもないが、余所者である自分がそんなに気になるのか、自分の風体が何か妙なのかと、どうにも気になってしまう。
 今もまた、ふと目の合ったクマの風体をした男性が、ひょいと視線を戻して歩き去るのを見送っていたところ、ようやく店の中から山形が抜け出てくる気配があった。

「いやーあんがとねぇ山形さん! 直りそうなら良かったわぁ!」
「ああ、替えた方が良い部品の見当は付けたから。 今度、若いのに連絡入れさせるよ」

 あいよ! と、店主は上機嫌で店の奥へと戻っていく。 のそのそと戸口を抜けてきた山形は、ぐっと腰を伸ばし、カビ臭い息を吐いた。

「毎度毎度、待たせて悪いね。 ラパちゃん」
「いや、のんびりできるし、この街も眺めて退屈しないし、大丈夫っス」
「そっか」

 山形がにかりと笑い、巡回業務が再開される。 飛び込んでくる野暮用も、路肩のゴミ袋の中で寝息を立てる酔っ払いも、全ては日常風景。 晴れ空の下、巡回はつつがなく進んでいた。

「ところで山形さん、聞いていいっスか?」
「お、何?」

 義足で軽やかに歩いていくラパウィラが、斜め前を行く背中に投げかける。

「自分、何か変だったりするんスかね?」
「変?」
「見た目とか」

 首だけ振り返った山形が、ラパウィラの頭から爪先まで視線を送る。

「髪もハネてないし、義足のネジも緩んでないし。 大丈夫だけど?」
「そうじゃなくて……いつもなんスけど、この地区にいると、チラチラ見られることが多い気がして。 なんかジブン、浮いちゃってたりするんスかね」
「ああ、そういう」

 山形は得心して声色を変える。

「まあ課員ってだけで、ここらじゃ目立ったりはするけど。 特別、変に見られてる訳じゃあないと思うよ」

 ふーん、と返事はしてみせても、納得しない様子で自身の身体を見回すラパウィラを見て、山形は苦笑する。

「変じゃない、変じゃない」

 重ねて言うが、ラパウィラは釈然としていない。 両の手を宙に彷徨わせ、陽に透かしてみるなどしている。 ややあって、ようやく気を取り直しかけたラパウィラが、顔を上げようとして、

「――え」

 黒い影が、突如として顔面を直撃し、ラパウィラは後方へ倒れ込んだ。

「ありゃ」
「ぶわっ!! うわわわ!?」

 呑気な声色の山形とは裏腹に、突然の衝撃と、顔に謎の物体が張り付いた混乱の最中のラパウィラは、手を振り回す。 何とか顔から引き剥がしてみれば、それは鉄の尻尾をぶんぶんと振り、ハッハッという電子音を吐きながら、四肢をじたばたさせていて、つまり、

「犬!? ――ロボットの」
「ご、ごめんなさーい!!」

 もぞもぞと動く機械の犬の向こうから、少女の大きな声が聞こえてきた。 ややあって、息を切らせた少女が走ってくると、ラパウィラの手の中にあったそれを、慌てて引き取った。

「ご、ごめんなさい、この子が……、怪我とか、しなかったですか?」
「あ、えーっと……」

 少し青ざめた風の少女の問い掛けに、ラパウィラは両手でぱんぱん、と顔を叩いてみたり、振ってみたりする。 五感は正常、異音も無し。 尻餅をついたくらいで、何も壊れたり破れたりはしていない。

「大丈夫っス。 ジブン、丈夫なのが自慢なんで」
「わ、良かった……あ、えと、本当にごめんなさい」
「全然、大丈夫っス。 びっくりはしたっスけど」

 よっ、とラパウィラは立ち上がり、ズボンの埃を払う。 少女に向き直り、ぴょんぴょんと跳ねて無事をアピールしてやると、少女はようやく安堵の表情を見せた。

「よう。 ジョージの散歩か」
「――あれ、おじさん」

 自身のすぐ傍から掛かった声に、少女はようやく、見知った人物がいた事に気が付いた。 機械の犬の名前らしきものを呼ぶ山形に、二人が知り合いであるらしいことを、ラパウィラは察する。

「えと、おつかい行くの。 お母さんのお願いで」
「お、偉いな」

 少女は少し照れた表情を浮かべ、ややあって、山形とラパウィラの姿を見比べる。

「おじさんとお姉さん、一緒のお仕事してるの?」
「そうっスよー、今はパトロール中っス」

 へぇー、と嘆息した少女が、ラパウィラをまじまじと見て、ふと、頭のてっぺんに目を止める。

「お姉さんの、頭の。 猫さんの耳みたいでかわいいね」
「おっ……」

 突然、ストレートにやってきた誉め言葉に、ラパウィラは目を丸くする。

「……そっスか?」
「うん、かわいい」

 向けられた瞳の色は純粋で、悪い気はしない。 しかし、どう返したものかと逡巡していたとき、少女の腕の中でもがき続けていたジョージが、ついに拘束を逃れ、ラパウィラの足元にじゃれついた。

「お、わたた」

 尻尾を振り乱し、ラパウィラの義足に前足を掛け続けるジョージは、どうやらラパウィラをいたく気に入った風だ。 義体の高エネルギーに惹きつけられるのか、或いは、何かしらを仲間だとでも感じるのかなと、山形は適当な事を思う。

「まぁ、犬にも子供にもこんなに好かれるんだから、自信持ちなって」

 跳ね回るジョージをわしゃわしゃと撫でる事に忙しい背中に、その声が届いたかは窺い知れない。 しかし、じゃれ合う声音の中に混ざるラパウィラの雰囲気は、先程よりは少し、明るくなったように感じられた。
 やがて、ひとしきりに少女とラパウィラに撫で回され、ジョージも少し落ち着いてきたところで、屈んでいた少女が立ち上がる。

「そろそろ行くね。 お邪魔しました」
「おう、気を付けてな」

 立って見送る二人に手を振って、少女とジョージは、山形とラパウィラが歩いてきた方へと去っていく。 名残惜しそうなジョージが何度か振り返って見せるが、やがて前を向いたことを見届けて、課員二人もまた、巡回業務の仕上げへと歩き出す。

「知り合いなんスね、あの子」
「おう、ジョージが時々調子悪くなるとな、俺が見てやってる。 あいつもベテランだから」

 ジョージは、最新のペット・ロボットたちと見比べると、かなりの型落ちだ。 聞けば、少女の母親が子供の頃からという家族の古参で、となればメーカーのサポートも既に当てにはならず、山形がかかりつけの修理屋をしている。 そんな老犬と少女の遠くなっていく背中を、ちらりとラパウィラは振り返ってから、山形へ視線を送る。

「ところで、あんなちっちゃい子だけで出歩いて、危なくないんスか」
「安全っちゃあ、言えないねえ」

 確かに、ここは有象無象の厄介事の集積地、R-1N地区。 ある程度は地区の『管理組合』による秩序が存在しているとは言え、ここには弱者を狙う落とし穴が少なからず開いている。

「しかし、ここで生きていくなら多少の危険は付きもんだ。 あの子も勝手は身に付いてるだろうし――後はまぁ」

 華奢な少女の前、先を導くように、液晶の瞳を光らせて歩く、鈍色の獣を見る。

「頼れる忠犬も居るからね」

 予定の道程はほぼ消化しており、後はこの通りを踏破するのみだ。 本日は直帰とはならず、遠く見えるビル群の中に埋もれる庁舎に、陽のあるうちには帰り着かねばならない。 奇妙で雑多なこの地区が、なるべくは平穏であることを願うなどして、山形はラパウィラを伴い、地区の境の隔壁へと向かっていった。


 食べ物屋のおばちゃんに挨拶して、煙草屋のおばあちゃんに手を振って、私は通りを歩いていく。 お母さんと離れて外を歩くのは、心細いこともある。 でも、私だけだって、家の為に役に立つことがしたい。 この辺りを歩くだけなら、お店の人たちはみんな知り合いばかりなので、少しは安心できる。
 てくてく歩きながら、私はさっき別れた二人の事を思い出す。 いつも親切にしてくれる修理屋のおじさんと、かっこいい足のお姉さん。 お姉さんとは初めて会ったけど、オレンジの頭についた猫の耳と、ジョージを撫でる笑顔が可愛かった。
 思い出し笑いを一つ落とし、そこでふと、少女は自身の傍に細い路地があることに気が付き、足を止めた。

(ここ、お店への近道だっけ)

 そういえば、前にお母さんと目的地へ行ったたときは、一緒にこの路地を抜けたっけ。 少し暗くて緊張したけれど、あまり長い道ではなかった気がする。
 どうしようか。 少女は僅かな間、迷い、考えてから、

(大丈夫。 行こう)

 早くおつかいを済ませて、家に帰ろう。 そう考えて、少女は歩き出す。 突然、進行方向を変えた少女に、ジョージは躊躇うように、その場でくるりと回った。 しかし、先を進む主人から離れてはいけない。 その背中に追い付くべく、やがて路地へと飛び込んだ。

(おじさん達、街へ行くのかな)

 少し前、修理屋のおじさんはお店を閉め、街で働きだした。 環境課、というところらしい。 私はまだ、この辺りを出て、街へ行ったことがない。 いつか行けたら、どんな物が見れるのかな。 おじさん達の働いている場所も、見てみたいな。
 そんな事を考え、路地を歩いていたとき。 不意に、ざりっと、私以外の足音が聞こえて、ジョージが吠えた。 振り返ろうとした私の首元に、ちくりと、何かが刺さった感覚があって、
 ぐるりと、視界が回った。
 途端に熱が引き、カタカタと震えだした唇からは、空気は漏れても、音が出ない。 膝が折れ、ストンと力が抜け、私の身体は地面に崩れ落ちる。 霞む視界の前に迫ってくる、知らない誰かの靴と、遠く、微かに聞こえるジョージの声。 その声も、段々と、聞こえなくなって――私の意識は、闇へと落ちた。

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