陋巷の修理屋

 遠く見据えた先に、聳え立つ壁がある。 壁の向こうには、整備された都市があり、環境課の庁舎もその中に立つ。 一方で、壁の反対側のこちらは、背丈の揃わない建造物が、雑然とした街並みを作っている。 為政者は居らず、はみ出し者達が寄り添うように作られたこの街に、誇るべき名前は無い。 ただ、誰かの都合によって付けられた、「R-1N」という記号が、住民の嘲笑を受けながらも、地区名として存在していた。

「いやもう、全然わっかんねーッスけど…」

 べしんと、泣き言を言う後頭部を山形は平手で叩く。

「いだっ、何するんスか山形さん!」
「大人しく観察しろよ。 次に集中切らしたらレンチだぞ」
「いや死ぬわ!! だって、こんな俺の生まれた前に作られたような機械、わかんねーッスよ!!」

 古い発電機を前に喚いているのは、まだ新米の機械技師だ。 山形は今日、この新米に修理の技術レクチャーを行っている。

「わかんねーじゃ困るんだよ、これが直らなきゃ、おやっさんが仕事できないじゃねぇか」

 山形が振り向いた先では、発電機の持ち主である中華屋台の主人が、シンクを磨いている。 今晩まで発電機が故障したままでは、地区で評判の中華を楽しみに集まってくる、住民達の腹を満たせない。

「この地区で仕事するなら、相手するのは古い機械ばっかだぞ。 こいつが扱えないようじゃ、やってけねーよ」
「こういうのは山形さんが専門だったじゃないスか。 急に店辞めて、環境課なんかに入ったりするから…」

 環境課所属に伴い、山形はこの地区で長く営んでいた修理屋を畳んだ。 その為現在は、自分の持っていた顧客を、こうして同業に引き継ぐ活動を行っている。 これは環境課の業務の傍らに行っており、課長も了解済みだ。

「それにしても山形さん、急にどうしてお役人になんかなったんだい? 正直この地区じゃあ、環境課のことを良く思ってない人間が多いってのに」

 屋台の主人が、使い込まれた鍋を洗いながら言葉を投げる。 確かに、脛に傷を持つことの多いここの住人達は、風紀を取り締まる環境課に苦い思いをさせられている事も少なくない。 問われた山形は、傍らの電柱にもたれ掛かったまま、うーんと宙に視線を漂わせる。

「まあ、老け込んじまう前に、一つ挑戦と言いますかね。 もう少し大きなことがやれるんじゃないかと思ったんですよ」

 自身が生まれ育った、このR-1N地区。 粗暴で薄汚く、そこかしこに危険もある街だが、人間臭さに溢れたこの街を、山形は気に入っていた。 山形は、住民が生活の頼りとする古い機械を修理することで、地区の生活インフラを下支えてきた。 だが、もう一つ踏み込んで、この地区の抱える課題に向き合えるんじゃないか。 山形は、その可能性を環境課という組織に見出したのだった。

「俺のしたい事はここへの恩返しですから。 まあ、なるべく裏切り者とは思わず、暖かく見といて下さいよ」
「世話になった山形さんに限って、そんな事は思わないけどね。 昔の客もこうしてフォローしてくれてるしさ」
「いや、仕事増やされた俺らからしたら裏切り者ッスよ。 結局、給料良いから環境課に行ったんじゃあ無いんスか?」
「なんだお前、俺を金にがめついと思ってるなら、これから授業料取るぞ? ま、そこそこには貰ってるけどな」

 わはは、と山形が笑うと、新米技師はげんなりと溜息を付いた。 さっきから殆ど手が進んでいないのを見るに、そろそろ助け船の出し所だろう。

「何度も言ってるが、この地区にあるオンボロ機械どもに修理のマニュアルなんか無いぞ。 作りをよく観察して、直すべき所を探すんだ。 回路の流れ、パーツの繋がりをしっかり見ろ」

 学校出身の育ちの良い技師には、この地区の機械の相手は難しい事だろう。 スラム然とした土地柄、この地区の住民達は機械を長く買い換えない。 メーカにも忘れ去られたような機械達を相手にするには、己の五感で構造を理解し、対峙していく事が求められる。 回路の流れを指で指し示し、暫くの後、新米技師にようやく問題箇所を発見させる事に成功する。 壊れた部品の交換に着手し、修理完了の目途が立つ頃には、既に陽が傾き始める頃となっていた。

「こんなもんかな。 おやっさん、この分なら夕方には間に合いますよ」
「おお、ありがとうな山形さん。 坊主も助かったぜ、これから頼むよ」

 コツを掴んだ新米技師は、目を離さず黙々と作業に没頭している。 店主の言葉に片手だけを挙げて答える口の端には笑みが浮かび、手応えを感じている様子だ。

「坊主、直ったら飯食ってってくれよ。 山形さんもどうだい?」
「あー、有難いんですが、庁舎に戻らなくちゃいけなくて。 また今度寄らせて貰いますよ」

 工具箱を持ち上げ、それじゃあ、と山形は踵を返す。 気を付けてな、という声を背中に受け、壁のある方向へと歩き始める。 数十歩程度歩いた頃、ブオオン!という、発電機の始動音が耳に届く。 調子は良さそうだな、と小さく笑い、山形は路地の角を曲がった。


 庁舎に戻る前に、必要な物を回収するべく、山形は自身の店へと向かう。 既に営業はしていないが、店の二階は変わらず山形の住居となっている。 暫く歩くと、馴染みの風景に変わり、店の外観が見えてくる。 そして山形は、店の前に、小さな人影がある事に気付いた。 女の子が、その腕には大きな犬型のロボットを抱え、シャッターに貼られた「休業中」の紙を見上げている。
 
 「よう、どうした?」

 山形が声を掛けると、沈んでいた女の子の表情が驚きに変わった。 この子と、このロボットの事を、山形は知っている。 この子が更に小さかった頃、母親に手を引かれ、店に初めてやって来たのだった。 その時もロボットは動かず、今のようにぐったりとしていた。

 「この子ね、動かなくなっちゃったの」

 再び表情を曇らせて、女の子は言う。 ロボットは、よく今日まで動いていると思うほど、古い型のものだ。 しかし、外装を綺麗に磨かれ、首輪の掛かったその様子からは、ロボットが丁寧に扱われてきたことを窺わせている。

 「この子を診てもらいに、来たんだけど」

 閉まった店のシャッターを見て、女の子の表情は、今にも泣きだしそうに変わっていく。 ロボットの関節から異音のする時など、散歩のついでに、女の子はよくこの店を訪れていた。

 「おじさん、ロボットのお医者さん、辞めちゃったの?」

 心底悲しそうな声で、女の子は言う。
 確かに、店は閉めた。 だがしかし、自身の生き方は、これまでと何も変えてはいない。

 「いや、辞めてないさ。 この子を預かってもいいかな。 少しだけ時間を貰うよ」

 ぱあっと明るくなる女の子の表情を見て、山形はにかりと笑う。 自分の技術は、これまでも、これからも、この腕を必要としてくれる人達のものだ。
 山形の「良い環境」は、どんな場所に居ても変わらず、この街から始まっていく。 

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