見出し画像

雨垂れ石を穿つまで①

「このところ続いているクラッキングですが、質としては粗末なものです。
 現在までのところ、全てファイヤーウォールで自動的に対処しており、手を煩わされてはいません」

 場所は環境課庁舎、課長室。 ナタリアの報告を受けながら、ふむ、と皇は手元の資料に目を落とす。

「ですが、これが継続して1ヶ月。
 ボーパル先輩の分析によれば、徐々に精度が上がっていて、『筋が良い』そうです。
 ログを眺めて、毎日嬉しそうにしてますよ。
 いくら蹴散らされても諦めず、一生懸命にアクセスしてくるのがいじらしい、とか」

 それは結構なことだ。 溜め息混じりに皇が呟く。

「発信元については?」
「凡その地点は特定できてますが、非電脳経由のアクセスが行われていて、『警告』ができていません。
 発信デバイスをロックしても、すぐに代替のデバイスが用意され、鼬ごっこになってます」

 現代、情報を五感のように認識し、手足のように扱えるようにする『電脳』の技術は、この社会の様々なシーンに普及している。 それは、ビジネスやエンターテイメントに限らず、クラッキングといった情報犯罪のデバイスとしても同様だ。 そして、電脳のプロフェッショナルたる情報係のハッカー達は、クラッカーの電脳に対し、強烈な『警告』を与える事で、繰り返される攻撃たちをネットワーク越しに退けてきた。 しかし、発信元が非電脳となれば、この手段は行使できず、クラッカーの害意を削ぐに至らない。

「となれば、直接身柄を押さえるしかない、か」
「はい」

 今は小石程度の脅威でも、放置すれば忘れた頃に躓く事になりかねない。 厄介の芽は早々に摘むに限る。

「そして、この不正アクセスは、R-1N地区から行われています」
「ああ、それで」

 立ち尽くしていた山形が、ようやく気の抜けた声を上げる。

「自分が呼ばれた理由が見えなかったですが、地元の不始末でしたか」

 てっきり、課内で周知になりつつある、自身の『市民サービス』活動を、いよいよ叱られるものだと思っていた。

「本来であれば別の者に『対応』を頼む所だが、場所が場所だ。
 内情をよく知る人間に任せ、穏便に事を済ませたい」
「余所の干渉に神経質ですからねえ、あそこは」

 あらゆる庇護から遠く、弱者が寄り合い成り立ったR-1N地区は、外の権力と距離を保ち、堅く相互不干渉を求める。 部外者が、R-1N内に流れる曰くつきの品や、そこでしか知り得ない情報といった利益を求めて立ち入るからには、『郷に入っては郷に従う』ことを求められる。 そうして、立ち入る様々な組織の利害を水面下で牽制し合わせ、剣呑な中立地帯を作り上げることが、地区の弱者なりの生存戦略となっている。

「とすると、今回の件は地区側からのルール破りとも取れます」

 ナタリアの言うことは尤もだ。 外から内への干渉を許さないと同時に、内から外へも余計な手は出さない。 火種を作り、バランスを壊そうとする試みは、地区住民にとっての御法度のはず。

「うーん、そうですねえ」

 山形が顎に手を当てる。

「恐らく、この件は地区側も本意じゃ無いでしょう。 あっち、『管理組合』も金・薬・武器あたりの流れはトレースできてるでしょうが、サイバー分野は…その、ちと音痴です」

 自分みたいなアナログ人間が多いんでね、と山形は笑う。

「ルールに深く馴染みのない人間の仕業でしょうね。 自分から組合にアプローチしてみます。 門前払いにはならんでしょう、多分」

 皇が頷き、ナタリアと山形を改めて見据える。

「本件について、お前たち2人にクラッキング犯特定の為の調査を命じる。 進展があれば適時報告。 但し、お前たちの現場への知見を見込み、実地判断は一任する」

 了解、と2人が応じる。

「それでは、宜しく頼む」

--------------------------------------------------

 飲み屋、占い店、タトゥーショップ。 ネオンが怪しく光り、道路隅に雑然と物資の積まれる路地を、山形がすたすたと歩いていく。 その少し後、解析したクラッキングの発信元を確認しながら、ナタリアが続く。

「しかし今時、非電脳でクラッキングとはね」

 山形の背に向け、ナタリアが言葉を投げる。

「自分はイマイチ詳しくなくて。 珍しいもんなんです?」

 電脳について、概念は見聞きしているものの、山形自身がそれに触れた経験は少ない。 かたやナタリアは、身体の多くを義体化し、電脳にも精通する、情報係のエキスパートだ。

「電脳を使うと使わないとじゃ、効率が比較にならないよ。 今時、コンソールやらディスプレイに頼ってちゃ、流れる情報のスピードについていけないさ」

 いまいち理解が及ばないが、『なるほど』と山形が返す。

「しかし、敢えて非効率な手段を選んでくる辺りに、この街らしさを感じますよ。 偏屈なこだわりの強い人間が多いですからね、ここは」

 極端な所では、『アンチ・テクノロジー』の信条を掲げ、わざわざスクラップを積み上げた家に住む一団も居る。 その実、彼らが神聖視して食べる、天然成分をうたった食糧缶は、どこぞの企業の合成テクノロジーの産物であったりするのだが。

「まあ、厄介さはあるよ。 電脳からの発信なら、先輩がリモートで軽く蹴散らしちゃうけど、今回みたいなのは、こうして足を使わされる」
「経路を物理的に断絶させて、入り組んだねぐらに潜む。 案外、ネットワーク社会への賢い対抗手段なのかも知れないですねえ。 ほら丁度、こんな感じで」

 路地を抜けて立ち止まり、山形が見上げた先には、複数のビルが結合し、枝葉を伸ばすかのように膨張した、異様なマンションが聳えていた。 洗濯物の靡く窓、壁面に光る商店のネオン、不規則に散りばめられた通路や階段が、溶け合って混沌を生んでいる。

「この辺じゃ知られた『ギークハウス』ですよ。 コンピュータの好きな連中がこぞって入居して、大きなコミュニティを作ってます。 人の増える度に好き勝手増築されたもんで、住民でも迷うくらいの入り組み具合ですが」

 説明を終えると、山形はマンションの入口らしき方へ歩き出す。 少しの間、呆気に取られていたナタリアは、発信元を示す地点が、その建造物と符合する事を確認し、表情を苦々しく変える。

「…これはまた一層、面倒な仕事になってきたな」
「まあ、アテはありますよ。 当たる事を願いましょう」

 そうでなければ、この広大な空間を総ざらいだ。 やけに足取り軽く、いまいち胡散臭さの抜けないこの山形だが、アテとやらが外れれば、長い時間をここで浪費することになる。 頼るしかないか、と顔を上げ、ナタリアは山形の後へ続くのだった。

 --------------------------------------------------

扉イラスト提供:satius様(https://twitter.com/satius2)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?