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誰かのメッセージ

ふと、Instagramのメッセージを開いてみる。
別に暇なわけじゃないけど、ただ、なんとなく。

ずっとさかのぼると、名前が「Instagramユーザー」となっているものがちらほら現れる。
どうやら、アカウントを削除した人がそのように表示されるらしい。

とある「Instagramユーザー」をタップしてみる。

『これすごい!どこで撮った写真?』
『大丈夫?』
『仕事大変やろ?頑張ってなあ』

何往復も交わしたメッセージを見ても、それが誰と交わしたやりとりか、まったく思い出せない。

なんだか、申し訳ない気持ちになる。

いくつもの「Instagramユーザー」に挟まれるように、懐かしい名前を見つけた。イニシャルからKとしよう。

Kは小学6年のときの同級生だ。女の子ながら空手がめちゃくちゃ強いと、男子からは恐れられていた。
席が隣だったとき、Kは授業中に鉛筆をボキッと折っては、笑っていた。放課後もよく一緒に遊んだ。趣味も性格もまるで違うのに、なんで仲良かったんだろう。

中学でヤンキーになったと風のうわさで聞いた。それから会うことはなかったけれど、なぜかInstagramはつながっている。LINEは知らないのに、不思議だ。

『体気ぃつけや(´・Д・)」』

社会人1~2年目の辛い季節。ストーリーに励ましのメッセージを連日たくさんくれていた。

不慣れな東京。忙殺を極め、毎晩のように終電で帰宅。たまの休みは一日中寝るだけで、友達ともほとんど遊ばなかった僕は、ストーリーにその時の感情を投稿することだけが唯一の自己主張だった。いま見返すと、目も当てられないような投稿ばかりで驚いた。

このころの記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。

『お疲れ!(´∇`)笑 地元恋しいけどお互い違う所でがんばろな。』

揺れ動く感情を心配してか、Kはそんな言葉をかけてくれていたのだろう。

『昔の映画とかドラマめっちゃえぇよな( ̄∀ ̄)!
 最近みにくいあひるの子みてるわ( ̄∀ ̄)笑』

「時代を超えて愛される作品は良い…
 みにくいアヒルの子はなぜ。笑」

『母親になったからこそハマる作品が
 昔のやつは多いのよね(≧∀≦)!』

「北の国からとか?笑」

『見たわ( ̄∀ ̄)笑
 次男生まれてからもう一回見たけど
 感じるものが違うよね(>人<;)
 私オールマイティやからいろいろ観たけど、
 おススメはビーチボーイズと
 やっぱりみにくいアヒルの子(≧∀≦)!』

そんなメッセージを交わした2019年の秋を最後に、連絡をとっていない。
連絡が来なくなったことも、多忙の日々のなかで気付いていなかった。

「めちゃくちゃひさしぶり!お変わりなくお過ごし?」

メッセージを送ってみたが返事はない。
アカウント、変わったのかな。

▼▼▼

それから。

学生時代の夢があきらめきれず、自作し続けていた動画が初めてバズったり、下積みからようやく自分の意志で仕事ができるようになったり。

公私ともに作品づくりを通していろんな経験をさせてもらううちに、周囲の環境も、社会もずいぶん変わった。あれだけ振り回されたコロナのあれこれも、ずっと前のことのように感じてしまう。

先日、地元の友達と飲んだ。懐かしい友人たちの最新事情を聞いて盛り上がった。下世話だけど、面白いから仕方ない。

が、それまで楽しく話していた友達のトーンが、突然変わった。

『そういえば、Kちゃん亡くなったって知ってる?』

えっ

『もう4~5年前やけど、家で倒れてたらしい。子どもの迎えに来なくて発見された時にはもう亡くなってて…』

それからもいろんな話をしたけれど、よく覚えていない。素直には信じられなかった。

深夜、改めてInstagramを開いてみる。
今も「Instagramユーザー」になってないし、離れた場所でまだ生きている気がした。

でも、やっぱりKから返事はない。投稿も2020年を最後にとまっている。2児の母親だった彼女。幸せそうな家族の姿がたくさん写っていた。

普段からずっとKのことを考えて過ごしていたわけではなかったけれど、身近に感じていた友人がいなくなったのは辛い。返事を忘れて、白色の吹き出しばかり並ぶメッセージを見て、いたたまれない気持ちに襲われた。

それからというもの、飲み会の帰り道とか、仕事終わりとか。誰かと別れる時には、相手の背中を少し見送るようになった。
いつもどおりは当たり前なんかじゃない、と使い古された言葉が頭をよぎるようになった。

▼▼▼

仕事でしばらく家を空けたせいで、気に入っていた苔玉を枯らしてしまった。ずっと水やりできず、すっかりパサパサになってしまっていた。

もうすぐ30歳。そろそろ、生き方を見つめなおしたい。


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