許せない父の嘘から始まる小話
私は西日本のど田舎県のやや中心地の出身
母と父はそこそこケチでそこそこ変わり者だったと思う
昔の実家は今築40数年ぐらいだと思う(実家引越し済み)
その昔の家は私のコンプレックスの根本があった
当時はそこまで古くはなかったが、こじんまりとした家だと思う
庭が広かったのが好きだった
砂場と小さなブランコがあり、木が何本か立っていた
柿の木、さくらんぼができる桜の木
金木犀の木、キンカンにキイチゴと庭にはおやつがあった
縁側もあり、夏は花火をした
母は小さな畑をし、小さなカブを作って漬物にしてくれた
畑の横にはちょっとした水が流れていた、ドブと呼んでいたが水はキレイだった、浅いのでよくザリガニが釣れた
たまに蛇の抜け殻を見つけることがあった
幼い頃は、毎日、庭を探検した
小学生になり、うちは他と違うとこがあると気付く
トイレだ
うちはボットン便所だった
それだけのことだけど、それがどうしようもなかった
私の年齢ではかなり珍しいと思う
友達を呼びたいが呼びたくない
来てはくれたが、トイレに行かないで欲しい
トイレに行った友達を祈る思いで待っていた
なんて言われるだろうと
友達はみんな優しかったと思う
私が言わないでというオーラを出していたのが見えたのかもしれない
家に帰ったり、どこがで誰かと陰口は言うだろうなと思っていた
父に何度かトイレが恥ずかしいどうにかしてと泣いてお願いした
父はこの家はどうしようもないんだよ、変えられないのと言う。詳しいことはわからないので唇を噛み締め地面を見つめる
ただ、父は新しい家を作るからそれまで我慢して欲しいと言う
トイレが嫌だったのは私だけではなかったと思う
母は社交的な人だったが、友人を一度も招待したことがなかったのはトイレのせいだと思っている
新しい家待つ、友達を心置きなく呼べる!と待てど、、、建たない
結局できたのは、私が上京した後だった
そしてびっくりしたのは、元々住んでいた家を人に貸していると言う
え?トイレは?
父に聞くと、
水洗トイレに変えたよ〜
怒りを通り越したて、諦め
この人はめんどくさくて私に変えられないと嘘をついた
私がトイレで虐められたかもしれない
そうじゃなくても、家族はみんなずっと嫌だった
できることをできないと言った
今更いいトイレにされても
意味がない
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