雑誌「宇宙船」の想い出

1986年ごろの雑誌「宇宙船」に書いた原稿です。

当時自分は「仮面ライダー」というジャンル作品について、「スケバン刑事」と比較しながらいろいろと考えていた時期で、その率直な感情が吐露されています。

雑誌に掲載された原稿は、名編集者村山実さんに朱を入れられ、無駄のないものにシェイプアップされていたと思いますが、ここでは残っていたファイルをほぼそのまま掲載します。

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 「仮面ライダー」が、昭和46年を始めとし、昭和48年をピークとする、いわゆる第2次特撮ブームを象徴するスーパーヒーローである事は疑う余地の無い事実だ。そのエポックとも言うべき魅力については、様々な形で言及されてきたし、別に「宇宙船」等の雑誌で評論めいた事が書かれる前からある程度文章的結論は出ていたとも言える。例えば、手元に資料が無い状態で触れるのは気がひけるのだが、当時仮面ライダーが大人気となった時代、はっきりと一つの文化論の対象となっていたのは間違いないのだ。(暇な人は当時のテレビ評など探してみてね)
 これは弊社から発行されている「ウルトラマンA超獣事典」に収録されているものだが、当時円谷プロの文芸部(市川森一が書いたものだと言われているが…)が製作した、「ウルトラマンA」の企画書には次のような文章が見て取れる。“この『ウルトラシリーズ』はウルトラエイジと呼ばれる新語を児童心理の世界に生み出した程、影響の強いものであります”
 第1次特撮ブームの頂点に立ったウルトラシリーズは、それによって幾多ものファンを生み出し、恐らく彼らが成年した後もその作品から受けた影響は様々な形で残った筈である。具体的にどんな形で現れようと、センス・オブ・ワンダーーに始めて触れる素材としウルトラシリーズは確かに貴重だった。
 しかし月日が流れた第2次特撮ブームの立役者は既にウルトラシリーズではなかった。勿論、度重なる再放送によって作られた新たなるウルトラファンは存在したし、「帰ってきたウルトラマン」もまた新しい魅力を持ったシリーズであったことは否定できない。言うなれば時代が求めた、というしかないが「スペクトルマン」「帰ってきたウルトラマン」に次いで始まった「仮面ライダー」は正に時の趨勢を握ることの出来たシリーズであったのだ。それは例えば昭和35年頃「月光仮面」ごっこが流行り、昭和40年頃「ウルトラマン」ごっこが流行って、そして昭和46年以降、子供の「ごっこ」を占めたのは「仮面ライダー」に他ならなかったことからも想像に難くない。
 さて何を隠そう、私はそうしたライダーブームの渦中で貴重な幼年時代の体験を得た。(年がばれる)ウルトラエイジと同じように、仮面ライダーエイジというものもまた存在するだろう。それは単純に仮面ライダーに夢中になったということだけではなく、後々まで様々な要因をもたらした。それは現在の社会状況にも遠因として作用しているように思えてならないのだが、それはさておきこの文章では今まで語られる事のなかった仮面ライダーエイジの事を書いてみようと思う。
 例えば戦後の子供達の話は戦後派が書き、ウルトラ世代も自分の事をいくらかは書く機会を得てきた。少々時代的には早いかもしれないが、ここに仮面ライダー世代の回想を書くことで、新たなるライダーを、新たなるヒーローを生み出す礎になれば、と思う。と同時に「新世代」仮面ライダーエイジの秘密の一端が解明できないだろうか。
 私事に多く触れる事を御容赦戴きたい。

 仮面ライダーに始めて出会った日の事は、信じられない位鮮明に覚えている。それは「どうぶつ宝島」を上映中の、東映系映画館だった。(勿論「東映まんがまつり」ね)「キックの鬼」辺りが終了した休憩時間、新番組の宣伝用素材(宣材)が場内に配られた。その中に直径10cm程のステッカーがあった。
 「仮面ライダー」とロゴで飾られ、バックに蜘蛛男とさそり男が配され、中央にサイクロンに乗った旧1号ライダーのおなじみの写真が据えられている。いかにも4月から始まる大型新番組らしいステッカーだった。
 しかしそれに素直に喜んだ、という記憶はない。ただ「一体どれが仮面ライダーなんだ?」と思った事を覚えている。子供心にバッタをモチーフとしたあの独特のマスクは恐怖の対象でしかなく、そういった意味ではそのデザインに当たっての石森章太郎氏の狙いは十二分に成功していた、と言わざる御得ない。 そういった、余り好ましいとは思えない出会いをした仮面ライダーだけに、新番組としてスタートしても見る機会は回ってこなかった。実際、初期の仮面ライダーのムードにひかれて、ある程度年齢が上の連中は見ていても、小さい子供もみんな見ているという状況には全くならなかった。それが一変するのは勿論、仮面ライダーが一文字となってからである。
 陽性な作品として生まれ変わった仮面ライダーは十分年少者も喜ばせ、同時に派手になった変身ポーズが目をひきつけて離さなかった。また幼児誌等が取り上げるようになったのは、この頃からである。(例えば各雑誌社を調べて見ると、最初の仮面ライダーの撮影の頃カメラマンを派遣しているのは弊社の他、僅かである)勿論漫画連載と共に「ぼくらマガジン」では特集もあったが、ただでさえ怪奇漫画として描かれている原作版に加え、「デスハンター」なんて載っている雑誌を子供が買うわきゃあなかった。
 他にもこの偶然からの主役・作品傾向変更は、幾つかのメリットを残した。今になってみると邪魔でしょうがない、準レギュラーの子供達は、確かに異様な(微妙なのだが)親近感を与えたし、マニアの性癖から言えば貴重な「藤岡弘版主題歌」も、子供の耳には聞きづらく、テンポが僅かにアップされた「子門正人版」は歓迎されるべきものだった。(このフィーリングは「ロンリー仮面ライダー」などの試行錯誤を経て、「仮面ライダーV3」の主題歌で結実する)
 だから、一概に「一文字編」の登場によって「仮面ライダー」はその本来のテーマを失った、という批判はされるべきではないと、思える。何より当時夢中になっていた仮面ライダーエイジがそう思うのである。仮面ライダーは、旧1号編、2号編、ダブルライダー編、新1号編(ゲルショッカー編)それら総てがあって、初めて1本の作品として評価の対象になるべきだし、また仮面ライダーの真価はそこにこそ見いだされるべきではないか。確かに旧1号編は魅力的であるが、それ故の試行錯誤、失敗も多い。(コブラ男の前後編ストーリーなどはもっと整理されるべき)それらを乗り越えて、「改造人間の苦悩」というテーマはあくまでも内包する方向を持ちながら、人気作品に生まれ変わるためには捨てるべき要素も多々あった。
 今にして思うと仮面ライダーの再生にはそんな意味はなかっただろうか。
 とにもかくにも、仮面ライダーはやがて子供達の生活の中になくてはならないものとなった。毎日全く飽きることなく繰り返される「仮面ライダーごっこ」のもたらす、疑似体験カタルシスは並大抵のものではなかった。しかし一方で今の「いじめ」に通じる行為もあったような気もするが、あんなに陰湿だったかなあ。
 誰でも経験あるのではないか、と思うのだが、前述のように私の回りは殆ど旧1号編をオンエアで見ていなかった。雑誌などでやっと今まで登場した怪人の名を知っただけである。当然見たことのない初期怪人は人気が集まらず、その役を演る者は少なかったが(蜂女なんて最低)何故か死神カメレオンにだけは人気が集まった。これには情けない理由がある。シリーズ中盤から登場した天本英世演じる死神博士は、実に印象的なキャラクターだった。怖いだけに余計魅力的だったのだ。さて、同じ「死神」という名を冠していたために、「カメレオン」はショッカーの要職という設定で、ごっこの中に取り入れられたのだった。子供の論理も奥が深い(!?)
 閑話休題。
 しかし子供の世界に深いウエイトを占める玩具に関しては、余り仮面ライダーにまつわる記憶がない。勿論件の「光る、回る」変身ベルトや、出たてのポピニカに注意を払いはしたが、むしろジャンボマシンダーや変身サイボーグに興味が向いていたのはどういうわけだったのだろう。
 とにかく分かっていることは仮面ライダーが「体」で演じられるヒーローであり、所詮巨大にはなれない「ウルトラマンごっこ」とは違って、町中で自転車と変身ベルトを使ってやる「仮面ライダーごっこ」は決して嘘を秘めてはいなかった、という事は重要ではないだろうか。(だから玩具の方は、まねしても空しいだけの巨大ロボット物や、ウルトラに気をとられた、とするのはこじつけだろうか)
 仮面ライダーにまつわる事は他にも色々とあって、「カルビー仮面ライダースナック」のライダーカードも無視出来ない要素だろう。これはももう集めた人間にしか分からない符丁のようなものがあって、それ故にまた面白さもあった。
 余談になるがライダーカードは現在かなりコレクターズアイテム化しているようだ。しかしあれは当時だからこそ意味があったものなのだ、と言えると思うのだが。いくら集めても、それを今以上に熱心に集めていた時代の感情まで集められるわけではない。まあ、それでも集めるのが、ファン気質・コレクター気質なのかも知れないが。
 店頭で篭にぶつかった振りをして、ライダースナックをばらまき、、殊勝な顔をしてみせて拾い集めながら、外装フィルムに張り付けられたカードを奪う。などといった手段は朝飯前で随分とひどい事もやって集める子どももいたものだった。そのエネルギーを生んでくれたのも仮面ライダーという作品だったのだ。
 
 一体仮面ライダーのどこが最も私達を引き付けたのか、ということは分からない。例えば原作者が自作の中で再三呈示する「改造人間の苦悩」、「人間であるという意味、原罪」といったテーマが内包されている、そのロンリーヒーローとしての要素があったからの魅力だったのか。
 或はとにかくあのアクション、ぜい肉をそぎ落としたストーリー展開の妙と、キャラクターの魅力。
 はたまたややセコい作戦も繰り広げながらも、視聴者に恐怖のイメージを与え続けたショッカーという組織。
 そしてマンネリを恐れた、幹部交替・ダブルライダー・ロケ編といったイベント性。
 そのいずれもがそうであったのだ、という事はたやすいし、またこの内のどれが欠けても仮面ライダーという作品は成功しなかっただろう。
 しかしこういった、呈示された作品を見るだけではどうしてもつかみきれない、もっと全然別の要素が私達を「仮面ライダー」へと誘った。そんな事も考えてしまう。そうでなくては、以後多出した種種雑多なヒーローたちがついに仮面ライダーの存在を越えられなかったという事実をどう見るのか。
 誤解されないように書いておくなら、「イナズマンF」は、仮面ライダーに於いて最後まで未完成に終わった「ロンリーヒーロー」というテーマを完成させたし、「ゴレンジャー」の戦闘イメージは仮面ライダーの世界を大きく変えて見せた。しかしその他いずれにしても、仮面ライダー程時代に受け入れられた存在とはなっていない。いや、時代に好かれていない、と言った方がもしかしたら正しいのかも知れないが。
 その要因については誰も説き明かすことはない。ただここにこうして存在する仮面ライダーエイジだけが、その証明として機能できるのかも知れない。(それが何の役にも立たないことなら、それも良し)
 ご存じのように「ライダーシリーズ」は、ゲルショッカー編とV3初期に一つの頂点を極めた。その後「長坂秀佳版仮面ライダー」とでも言うべき「仮面ライダーX」(正し1~8話迄)が生まれ、最も正確に原作のテーマを継承してみせても、それはもう「仮面ライダー」ではなかった。ただまた幾人かの新しい仮面ライダーエイジを生み出したとはしても。
 何度となく繰り返された仮面ライダー復活は、しかし新しいファン層のためとは言い切れない部分がある事は注目に値する。仮面ライダー復活は常に、最初に生まれた「仮面ライダーエイジ」の存在抜きには考えられない所があった。そしてそうであるのなら、新しい子供達には、新しいヒーロー、彼らのためのヒーローが必要だろう。(ファンタスティックコレクション「電撃戦隊チェンジマン」における鈴木武幸プロデューサーの寄稿の一節“日本で子供が始めて見るアクション物、戦隊シリーズ”という指摘は全く間違っていないし、それが時代なのだろう)
 現在の子供達にマッチした仮面ライダーを見せてやりたい、と思う一方では仮面ライダーは自分達の世代だけのものだと感じている。こんな矛盾した感情はどうしたらいいのか。とにかくそれでも「仮面ライダーエイジ」はただファンを続けるしかないし、これから先またライダーが復活する可能性があるのなら、ノスタルジーではなく応援したい。それが本来のライダーのテーマを追及するものか、全く新しい物か。そのどちらにしても心は震える。現に、仮面ライダーの魂の一部、面白さの一部を正確に引き継いだ名作「スケバン刑事Ⅱ」ですら、私達の心に訴えかけてこずにはいられない。
 仮面ライダーとそれに連なる作品を見守ることで過ぎ去った時間を取り戻すのではなく、自分達が何を見、何に育てられたのかという再確認の時間を得ることが出来るような気がする。仮面ライダーに象徴されるあの時代に生まれてきたということの意味が見いだせるかも知れないと。(それほど大仰なもんか!?て。ええ、その通りですよ)

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いやあ若書き恥ずかしい。

これだけではただのお蔵出しなので、ここからは当時の「宇宙船」にまつわる想い出を書き下ろしでお話しさせていただきたいと思います。

どうして私が高校生なのに「宇宙船」に寄稿させていただいたり、アニメの脚本かとしてデビューできたのか。

そして一時期は「宇宙船」だけでなく「アニメック」「B-CLUB」「アニメージュ」「コミックボンボン」等多数の編集部に出入りさせていただき、最高で年に二十冊近くムック類を送り出していたのですが、あるときを境に編集の仕事から身を引くことになります。

その辺の心境についても、いろいろとりとめなく書いていたら百行超えちゃいましたが、かなりディープなお話しなので、興味のある方は引き続き最後まで読んでいただければと思います。

感想お待ちしています。

現在も出版社を変えながら、日本で最も老舗の特撮専門誌として健在の雑誌「宇宙船」。もちろんその始まりは必ずしも特撮オンリー誌を目指したわけではなく、現行の特撮ものなど日陰者扱いだったのですが、まあそんな想い出話は私などより、もっと先輩が語るのが適切でしょう(「まんだらけZENBU」では中島紳介さんが不定期連載中ですし)。

私は高校時代に、同人誌の原稿(山田太一「終わりに見た町」評)をキッカケに、聖咲奇さんに招かれる形で「宇宙船」に参加、ほぼ同時に「亜空大作戦スラングル」の脚本にもご紹介いただくことになりました。

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