特撮ヒーローものの脚本家になるということ
やや龍頭蛇尾な内容になりますことを、まずお詫びを。
これは三年ほど前に別のSNSで公開した文章ですが、昨日公開したテキストの補完になっていますので、一部訂正してこちらにも掲載しておきます。無課金で最後まで読むことができます。もし気にいったり、参考になったら【投げ銭】システムで、ポチッとしていただけるようにしてありますので、よろしくお願いします。
年配の方ならご存じでしょうが、昔「ザ・テレビジョン」が創刊する前は、テレビ雑誌は「TVガイド」と「週刊テレビ番組(昭和51年に「テレビファン」から改名)」の二強状態がありました。この「週刊テレビ番組」の特徴はA4(後にB5)という判型と、毎号その週に放送される作品の脚本が掲載されることで、私が脚本家を目指していた頃、雑誌ライターの先輩から大量にバックナンバーを譲っていただき、今でも大切にとってあります。
懐かしい話題になって、本棚からとり出してみました。HBCで放送された市川森一さんの珠玉のような日曜劇場の数々や、今では貴重な「必殺」シリーズなどに混じって、特撮もの「宇宙鉄人キョーダイン」が掲載された号がありました。
特撮やアニメが掲載されることもなくもなかったのですが、第一話というわけでもないし、脚本家は「熊谷たかし」となっています。メインの藤川さんや上原さんでもありません。一体どうしてこれが唐突に掲載されていたのか……。
記事を読んでわかったのですが、これはシナリオセンター出身の新人さんの第一作で、シナセンの広告の意味もあって掲載されたようなのですね。新人といっても『飛行機と漫画が大好きというお嬢さん。昭和二十八年生まれというから、新人中の新人』という年代でありますが。ここまで読んでやっと気づいたのですが、これは『(新)仮面ライダー』『スーパー1』の頃までご活躍された熊谷節さんのデビュー作だったんですね。私は活動の時期が違うので、女性ライターとは存じあげませんでした。
ところで、私は東映のテレビ部とは、割と長い間お付き合いが絶えたままでした。
勿論「宇宙刑事ギャバン」の頃から、当時作品数が減っていた円谷プロに較べて、特撮ファンを惹きつける作品を毎年送り出していましたから、是非参加したく、高校卒業後お付き合いがあったデザイナーの出渕裕さんを通じて、何度かチャレンジさせては、いたたきました。二十歳前後の頃ですね。
最初は出渕さん自身が「超電子バイオマン」の後半に提出したいアイデアがあるということで、それをまとめるのを手伝ったり、ついでに私の案ももっていっていただいたりということから始まりました。このとき、同じく出渕さんの紹介で、鳴海丈さんが参加されてますね。
翌年「電撃戦隊チェンジマン」では、具体的に試作脚本を書き、鈴木武幸さんに、何度も見ていただきましたが実りませんでした。
同じ頃、「特捜最前線」のプロット募集に採用され、同番組のPDだった阿部征司さんに、その後も脚本を見ていただいていたのですが、こちらは成立前に番組が終了してしまいました。
また同時期に石森プロで企画を手伝わせていただいており、それが結局「転生伝説バンガ」という漫画になったりするのですが。
そして「超新星フラッシュマン」では、東映テレビ部としても本格的に若い脚本家を入れるという方針を立てられていたので、お付き合いのあった長石監督のご推薦もあって、再びプロットを出させていただいたのですが、七条敬三プロデューサー経由で井上さん、島田さんはじめ、多くのアニメ脚本家が推挙されたこともあり、いつしかフェイドアウトする結果となりました(ちなみに井上敏樹さんが戦隊の脚本に参加されることは、ちゃんと宇宙船誌上で記事にしていたはずです)。
それからしばらくして、今度は「宇宙船」編集部から推薦していただく形で、「時空戦士スピルバン」の現場に飛び込み、ようやくここで一本だけ脚本を書かせていただきましたが、吉川進さんには初稿から「これは脚本じゃないね(ポーン)」とやられ、八稿ぐらいしてやっと放送、結局それ以来声はかからないままということになってしまいました。この時同時に参加された滝沢一穂さん(「剛神」の原作で有名ですね)は、まだ入社仕立ての高寺さんの推挙によるものだったと記憶しています。今にして思うと、私は『スケバン刑事』の現場に密着取材して、そちらの記事も書いたりしており(「宇宙船」でも記事を書いて、怒られた)、それがちょっとアレだったりもしたんだろうなあと思ったりしますが、言い訳はいたしません。当時の私の脚本は未熟なものであり、デザイナーとして参加されていた雨宮慶太さんも呆れられていたと後で井上さんを通してお聞きしました。
その後アニメ、それもオリジナルビデオの専業のようになってしまい、特撮ものも円谷プロで「ウルトラマンG」、東宝で「ガイファード」、円谷映像で「WARASHI」に参加させていただきましたが、東映作品は縁がなく、「爆竜戦隊アバレンジャー」で、日笠PDからお電話をいただくのはそれから十数年後ということになります。これはもちろんメインライターだった荒川さんの推薦によるものだったようで、作品のテーマがアバレなので、私や浦沢さんのようなライターを入れてみようということになったとお聞きしたような。おいおい。
さて、何故長々と自分の(ダメ)東映史を書いたかと言いますと、久しぶりに手にとった熊谷さんの「キョーダイン」の脚本に非常に既視感をおぼえたからです。熊谷さんのホンは、霧深い山に紛れ込んだ男女が、謎の敵に襲われる怪談仕立てになっているのですが、実は私の「スピルバン」冒頭もそのようになっています。私の場合、あれやこれやとこねくってもうまくいかなかった四稿目の頃「こうすればよい」と吉川さんが書いてこられたメモがそのようになっていたのですね。子どもと犬を出せ、というのも吉川さんの指定でした。
これは単なる偶然……なのかも知れませんが、七条さんと吉川さんという違いはあっても、同じ東映で子ども番組を作っておられると、一種の「外さないパターン(王道ではない)」というのが蓄えられて、新人にそれを与えるというのが癖になっているのではないかなあ、とか思ってしまいました(勿論脚本家はそのパターンを自分の中に、うまく整理していかなればならないのですが)。
うむうむ、と感心して、「キョーダイン」の監督名を見ると‥、あ、私の「スピルバン」と同じ方だ(爆笑)。私の記憶に間違いはないと思うのですが、もしかしたらこれは監督の方のお得意のパターンだったのかも知れません。
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