自分と同じ歳にあの先輩はなにを書いていたか

ほぼ、タイトルで書き尽くしている気もしますが、三十後半辺りから、自分のキャリアの限界を強く感じるようになり、自分と同じ歳の頃、尊敬する先輩たちは一体どのような仕事をされていたのだろうか、と気になるようになりました。

今年も無事に誕生日を迎えられたので、ちょっと調べてみます。

笠原和夫さんは「仁義なき戦い」「県警対組織暴力」「実録・共産党」という代表作を全て書き終えられ、東映の契約を切ってフリーになられた歳です。ハイペースの仕事を一旦やめて、二年後の「二百三高地」への雌伏の時を迎えます。

上原正三さんはメタルヒーローシリーズとしては最後のメイン担当作品となる「時空戦士スピルパン」をお書きになられています。何を隠そう、上原さんと、ソノラマの村山さんの推薦で、私も一本だけ書かせていただいたシリーズです。翌年の「仮面ライダーBlack」で長い東映でのキャリアに一度ピリオドを打たれます。よく東映の子ども番組脚本家50歳引退説というのがありますが、最近それについてひしひしと感じていたりします。

佐々木守さんは前年にシナリオ集「怪獣墓場」が出版され、業界での地位が確定していました。しかしNHK「思い出のメロディー」はじめ多くのバラエティ番組の構成、「宮本武蔵」(小島剛夕)「ソルジャーボーイ」(川原由美子)などの漫画原作、そして翌年には負け戦と承知しながら大映テレビ版大河ドラマであった「おんな風林火山」に挑まれます。

長坂秀佳さんは子ども番組より刑事ドラマなどで仕事をしていたので、むしろ円熟期であり(平均的に子供向け番組より、二時間ドラマなどの方が作家の引退は遅い)傑作「燃えよ剣」「袖の下捕物帖」で時代劇に才を見せ、一方「都会の森」「七人の女弁護士」で法廷ドラマを再生、「犬神家の一族」「女王蜂」で横溝原作に挑んでいる。実際には前年の「浅草エノケン一座の嵐」が乱歩賞を獲りながら望んでいたような評価を得られなかったことで、脚本と言うフィールドで新たな道を模索し始めておられました。既に準備に入っていたゲーム「弟切草」の発売は二年後(ちなみに長坂師をゲーム界に紹介したのは、「アンジェラス」でエニックスと仕事していた不肖この私の、唯一の恩返しでありました)。

市川森一さんは既にワイドショーのコメンテーターなどもつとめる文化人となっておられ、脚本は年に数本のスペシャルが多くなっていました。だがこれには前年の日本テレビ版大河ドラマであった「野望の国」の失敗が影響しているとも。数年後から「わたしが愛したウルトラセブン」「ゴールデンボーイズ」という自伝的ドラマに積極的になり、また三度目の大河ドラマ「花の乱」では個性を爆発させます。

ちなみに藤川桂介さんが「宇宙皇子」で小説家に転身されるのも、今の私の歳の翌年。辻真先さんもまだ「サザエさん」等お書きになっておられたが、小説家にシフトされ始めていた時期と記憶しています。

面白いことにこうして書くとやはりどこか共通点が感じ取れます。これまで書いてきた脚本や環境から離れて新しいものに挑戦したり、より大きなものを得ようという意志が感じられる。意地悪な目で見れば、我々がよく記憶する作品群は殆ど作り終えられた後の時代、とも見え、若干の寂しさは漂います。

だが一方で手塚治虫さんは今の私の歳で「ブラックジャック」「三つ目が通る」によって再び少年マンガの王座に、宮崎駿さんは「となりのトトロ」での引退説を「魔女の宅急便」で払拭、趣味性の強い「紅の豚」への挑戦をはじめておられた頃です。それを思えば、まだまだこれからという勇気もわいてくる……でしょうか。

(本文はここまでですが、以下に「アニメ・特撮脚本家50歳定年説」について、自分なりの解釈を書いておきます。ちょっと赤裸々なので、課金にして隠させていただきます)

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