映画「私の知らないわたしの素顔」を見ました

私は芸能人に関するコラムを書いており、現在、主婦と生活社が運営するサイトで「ヤバ女列伝」なる連載を担当させていただいております。そんなわけでご一緒させていただく編集者に「今、注目している芸能人(有名人)は誰ですか?」と聞かれることが多いのですが、頭に浮かぶのは女性ばかり。

なぜ男性にそそられないのかというと、男性には“矛盾”がないからだと思うのです。

なぜオンナはヤバいと言われがちなのか?

男性はカネが稼げると、その他のことは自動的に手に入るようになっています。たとえば、一代で財をなした富豪が女優とつきあうことは珍しくありませんし、何回結婚や離婚をしても、それは「よくあること」で終わってしまう。売れた芸能人が売れない時代に尽くしてくれた妻を捨てても、誰にも責められません。

しかし、女性はそうはいかないのです。「美人すぎる〇〇(職業名)」という言い方が示すように、仕事で名を成した女性を紹介するときに、なぜか外見に対する説明が入る。ルックスだけでなく、育ちがどうのと言われたり、過去の行状まで蒸し返される。

作家・瀬戸内寂聴センセイは結婚して一児の母となったころ、夫の教え子と恋に落ちてしまいます。そこで出奔するも、相手の男性に裏切られ、子どものころからの夢であった小説家としての修行に入り、売れっ子作家の仲間入り。文化勲章も受賞しています。捨てたお嬢さんも今ではセンセイの理解者となり「誇りに思っている」と言ってくれているそうです。

寂聴センセイのことを未だに「子どもを捨てた」と批判するもいますが、これ、男性の話にしてみたらどうでしょうか。

家庭持ちの男性が妻子を捨てて、オンナのもとに走る。しかし、オンナに裏切られ、本格的に小説修行の道に入る。幾多の恋愛を経て小説家として売れに売れて、文化勲章を受賞し、お嬢さんとも和解するー。

まるで、NHKの朝ドラか大河ドラマになりそうな“いい話”だと思いませんか?
オトコがやると無頼といわれるけれど、オンナが同じことをすると“ヤバい”と言われるわけです。

ヤバい女はほめ言葉

しかし、その一方で、私はヤバい女というのは、奇妙な魅力にあふれていると感じるのです。瀬戸内センセイの先輩にあたる宇野千代センセイは、恋多きオンナとして名をはせました。「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で、テツコ・クロヤナギに文壇の男性の人となりを聞かれて「あの人とは寝た」とか「寝ない」と答えるのは、千代センセイくらいでしょう。がんがん恋愛もしたけれど、それと同じくらい働き、オンナの細腕で家を11軒も立てた。恋愛をして病んで書けなくなっては本末転倒ですが、もりもり書いているわけだから、全く損はしていないわけです。健康で仕事をして、警察のお世話にならないのであれば、人生やったもん勝ちとも言えるでしょう。

まとめますと、「あれもできなきゃダメ、これもできなきゃダメ」という女性への要求が多い社会でおいつめられるのは、まじめな人、優秀な人です。なんでもできるが故に、規範からはずれた自分が許せずに挙動不審になり、ヤバい女になってしまいがちです。

しかし、その一方で、宇野千代のように突き抜けて明るい、生命力にあふれたヤバ女もいる。自分で食べていけて、警察のお世話にならないという条件がつきますが、どうせ誰もヤバいと言われてしまうのなら、ヤバさを楽しんで生きたほうが“勝ち”ではないでしょうか。

映画「私の知らないわたしの素顔」がヤバい

前書きが長くなりましたが、映画「私の知らないわたしの素顔」の主人公・クレール。50代で大学教授として働く彼女は、知性も美貌も申し分ない存在です。離婚した夫との間に子どもが二人います。週末、子どもたちが夫の家庭に出かけた際、クレールは若い男を家に入れ、セックスを楽しみます。恋人だと思ったのはクレールだけで、コトが済むとそっけなくなるオトコ。しまいには電話すらつながらなくなってしまいます。

ヤリ逃げ男の動向がしりたくなったクレールは、SNSに偽名のアカウントを創設。20代半ばの若い女性クララになりすまし、ヤリ逃げ男のルームメイト・アレックスとつながることに成功します。しかし、思いがけないことに、ルームメイト・アレックスはクララに恋をし、クレールも自分に直接的な欲望をぶつけてくるアレックスを愛し始めるのです。

二人をつなぐものは、電話だけ。そのため、片時も電話を手放さず、同世代の飲み会で「年下の彼が情熱的」とノロけますが、友人らはぎょっとするだけ。オトコが若いオンナとつきあうことは「よくあること」でも、反対は「ヤバいこと」だとみられてしまうのです。クレールの頭の中はアレックスのことでいっぱいになり、講義中もデスクに電話を置き、路上に止めた車の中でテレフォン・セックスまでする始末。イヤな意味でのヤバい状態に陥っていきます。

アレックスは当然クレールに会いたがりますが、もし会ったら自分が嘘をついていたことがバレてしまう。ここでクレールは新しい作戦に出るのですが・・・。

どうしてもヤバくなりたくないと思うなら・・・

クレールのようになってしまうのが嫌だから、恋はしない。そう自分にブレーキをかける人もいるかもしれませんが、私にはこれは恋ではなくて“自傷”に見えました。自分は本当に価値がある人間なのか、ずっと「あの時」から知りたいのではないかと。

それはさておき、自分の社会的地位を落とすヤバ化を食い止めるために有効なのは、「人に話すこと」ではないかと私は思っています。自分一人で考えていると、自分に都合のいいように考えてしまったり、逆に悲観的になりすぎたりする。

どうぞ親しい人と「私がヤバくなったら、言ってね」を合言葉に、劇場までお出かけください。

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