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雑記 夏が来そうで来ない

M1の春がこんなに過ぎ去るのが早いなんて思ってもないなかったよ!と声を大にして言いたい。それもそのはず。研究とアルバイト、教習所etc…を行ったり来たりしていたら、あっという間に五月連休も終わってしまった!!大学院入学以降、学生という身分のタイムリミットを毎日意識するようになってしまった。

就活。6月には多くの企業のインターン情報が解禁されるはずなので、今のうちにWEBテストの対策もろもろをやらなくてはならない。いまの生活サイクルに就活取り入れたら確実に生活崩壊するんですけど。仕方ない。教習の休憩時間に青い冊子と向き合い、己の情報処理能力のポンコツさを思い知る。運転の能力値も限りなく低いし、WEBテストも大の苦手。

終わりが決まっていたら人は効率的にこなすというけれど、わたしは時間に複数のタスクをこなすのが不得手である。ウィンカー忘れてる!確認甘い!と教官の叱責が飛ぶ。ああ、公道出たらあかんやつ…と思う。(たしか車校の適性検査では咄嗟の判断が最低値を示していた。マーク式で計算をたくさん解いた。あれ?これWEBテストと同じことが言えるのでは?)安全第一。シートベルトも、気も、引き締めよう。(うまいこと言ったつもりでスベっている。)

こんな教習の合間に大嫌いなWEBテストをこなすのだから、案外わたしは強いかもしれない。いや、ただ苦手なものが多いだけである。

大好きな音楽かけてドライブしたい〜という言葉でなんとか自分を鼓舞する。免許取ったら、どこか週末に高速道路乗って、知らない街に行くんだ、と頭の中お花畑な妄想をする。BGMはサニーデイ・サービスのスロウライダーかな。遠くに行く時のマイアンセム。鉄道の曲であることはいったん、忘れておく。

試験に落ちまくった人は、強くなるらしいね。
泣きながら教習を受けたことがある人は生きていけます。(某ドラマ)

文学、文化人類学、社会学…を論じる時に「まなざし/まなざされる」の関係、要するに他者として対象化の話をするじゃないですか。(サイードのオリエンタリズムを参照されたい。)

まなざされるものは、まなざすものよりも列位にある、というもの。卑近な例を出せば、某国の人たちがカタコトの日本語を話す某動画がそれに当てはまる。まさに典型的な「まなざされる」対象である。(本記事はその批判を主旨としたものはないのだが。)

セルフィーってどうなんだろうね。
自分を「まなざす」装置になるよね、アレ。
ソーシャルメディアの台頭によって、自分を劇場化することも増えたけど。

こんなことを思いついたのも、髪の毛をうまいこと整えられたので写真でも撮ろう!と思って柄にもなく自撮りをしたからである。

鏡と違って静止画じゃん、セルフィーって。
自分こんな顔してたの?となる時もある。
いや、この話はカメラの登場によって変わったのかもしれないから、セルフィーから議論をはじめるのは不適当かもしれない。

自分と切り離された自己。
あれ、これって近代化の議論+映像技術っていう既に議論されたテーマじゃん!!!!!


ーー

自分のことを院生だと思っているから、院生らしく振る舞おうと思い、演習でも負けじと議論する。所属が人を規定する側面、絶対あります。

社会人になった友達よ、たぶん話のネタがこれから変わってくると思いますがあと2年でそこに行きます、待っててください。

こんなふうに自己を規定するのだから、他者に対しても要らぬジャッジメントをしてしまっている。

学部生なのにこんなに素晴らしい論文が書けるなんて!とかね。学部生だろーが院生だろーが関係ないだろー!と学部生のときは思っていたので、そんな言葉は慎みたい。


教習の話に戻るが、厳しそうな教官にダメ出しされて落ち込んでるなう。公道出たら事故るよ、とか。まぁそうなんだろうけど〜(受け入れるな)
やっぱりストレートで教習進んでる人と比較して自己嫌悪に陥ってしまう。体育の成績はいつだって五段階評価3以下。球技が特に苦手。咄嗟の判断力が低すぎる。

学生といえばドライブ!ってほんとう????
よくドライブするね!でも私は何度も友人が運転する車に乗った!友達ありがとう!

そのお礼に今度私が…とはならないだろう。
免許取ったとしても運転したくない!
めざせゴールド免許(ペーパードライバー)!
帰る場所が田舎で辛い!ああ!

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