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『三猿ベイベー』製作委員会
三猿ベイベー:Day 22
事務所には「あと一週間」という墨字が掲げられている。
「なんなんこれ?」
舞が後ろを指差しながら石田に聞く。
「光乃に聞けよ。」
石田は座りながら、愚痴るように顎を使って、舞の隣を指し示す。
「はーい。説明します。」
光乃は手をあげて、元気よく声をあげる。朝の事務所に朗らかな声が響く。
「これから、『三猿ベイベー』製作委員会を発足したいと思います。」
「はあ?」
舞が声をあげると、それを静止するように光乃が口に人差し指を当てる。
「委員長は私です。参加するかしないかはみなさんの自由になります。意義ありますか?」
光乃は事務所のローテーブルの周りに座る面々の顔を見回す。メンバーはいつもの通り三猿と、舞である。
「まあ、別にええけど。なんやのこれ。」
舞が言う。
『とりあえず意義なし』
と、ハルのPパッド。
「意義なし」
と、ボクもゲームから顔を上げずに言う。
「あとは、石田くん。」
「……、いいから進めろ。」
石田も、今後の三猿ベイベーの展開に心配があるのか、仕方なく認める。いつもはソファーを1人占領して寝そべっているのだが、今日は床に足をついてまじまじとローテーブルを見ている。光乃はソファに腰掛けずに、コンクリートの床に座布団を引いてその上に正座している。ボールペンでノートに何やら書き留めているようだ。
「それでは、みなさまの了承を経て『三猿ベイベー』製作委員会を発足いたします。でしたら速やかに第一回制作会議を始めたいと思います。議長は私、徳川光乃がつとめさせていただきます。」
光乃が恭しく着物の襟のあたりに手を当てて礼をする。礼を返すものは1人もいない。しかし、妙な緊張感があった。ボクもゲームする手を少し緩めて光乃の挙動を見守っている。いつもならスマホをいじっている舞も今日はポケットにしまって話を聞いている。ハルは、アジア風のドレスを着ている。髪を上にまとめ煌びやかな模様が散りばめられた赤い一色のものである。真顔で明後日の方向を見ながら耳を傾けているらしい。
「それでは、早速、委員の皆様には発言権が与えられます。議題は『三猿ベイベーの今後について』です。どうぞ。」
光乃が手のひらを皆に向けて発言を待つ。しかし、日本式会議あるあるで誰も声をあげずに周りの空気を見る。光乃もそれを察しているのか、一番話そうな舞に話を振った。「舞さん、どうぞ。」
「あ、アタシ? アタシは別になんも知らんけど。そもそも会議って何を話せばいいんや。」
「いい質問ですね。舞さん。」
光乃は丁寧に舞の言葉を回収する。
「この会議は、私たちがこの小説『三猿ベイベー』の今後の展開をどうするかを話し合うためにあります。この会議で決まったことをなぞって今後の展開が書かれるようです。」
「…………」
場に奇妙な沈黙が走る。
あるものは他のものの様子をうかがう。別のものはまた何も知らない風にポカンとする。
「はい!」
舞が突然立ち上がった。
「わたし、津込舞は主人公として日本一のお笑い芸人になり、億万長者になる展開を希望しますっ!!!」
「…………」
またも奇妙な沈黙。光乃だけがサラサラとノートにペンを走らせる。舞は興奮して顔が蒸気している。息が荒い。光乃がペンの動きを止めるのを確認すると、ドサリと力尽きたようにソファーに倒れた。
「この展開について、みなさんはどう思いますか?」
『賞金でおごってくれるなら可』ハルがPパッドにそう表示した。
「新しいゲーム買ってくれるなら可」ボクがゲームしながらそう呟いた。
「……こいつらマジか。」石田が額に冷や汗を浮かべてつぶやく。
「石田くんは何かコメントあるの?」
光乃が言う。
「いや、だったら俺も!」
石田が立ち上がる。
「俺もなんやかんや言って億万長者になる展開を希望しますっ!」
「…………」
またも事務所に不思議な沈黙が走る。
『おごってくれるなら可』
「新しいゲーム買ってくれるなら可」
光乃がサラサラとノートに書き込む音。
「…………」
舞と石田は睨み合ったまま動かない。
「ちょお待て、これってなんでも言えば実現されるん?」
舞が我に返って、議長に確認する。
「うーん。多分。でも小説の展開上、都合がつかないこともあるかも。」
光乃は唇にペン先を当てて考え込む。
「じゃあ、アタシが億万長者になるので決まりやな。」
舞の声は震えている。それは興奮からか、それとも億万長者という言葉の響きの重さをリアルに感じているからか。
「だって、石田のん見てみい。『なんやかんや億万長者になる』ってなんや。ちっとも具体的じゃあらへん。アタシの方がよっぽどふさわしいわ。」
「…………」
舞の意見はもっともだった。石田が膝の上に腕を置いたまま何も言わずに睨み続ける。舞はそのサングラス越しの視線をもろともせずに、軽くニヤリと笑う。
「うーんでも、いいんじゃない。だってこの小説だし。なんでもありな気がするけどなぁ……。」
「あかんあかんあかんアカン!」
光乃がそうつぶやいた矢先、舞が光乃の肩を掴んで揺さぶる。光乃はそのままガクガクと頭を振って揺れるに任せる。
「光乃さん。それじゃあかん。アタシは主人公や! ぜったい報われなあかん! 億万長者になるのはアタシや! それが世の中の小説のルールや!」
光乃はポカンとしたまま、舞の目を見る。
光乃は何も言わなかったが、白々しい目が舞に集中していた。おそらく漫画だったら、舞の瞳には大きく「¥」マークが書かれていただろう。
「……別に、どっちかじゃなくても2人同時に億万長者になればいいんじゃない? とにかくみんなの意見聞こうよ。」
「ええんか……?」
冷静な言葉に舞は我に返る。光乃から腕を離してソファーに戻る。そして軽く咳払いすると、黄色いジャージの襟を直した。
「みんな、取り乱して悪かったなぁ。ええで、みんなも言いたいこといいや。」
手を開いて、余裕ぶる。
「……お前……」石田が小さくつぶやくが舞はそれを無視する。
「ハルちゃん、なんかこうしたいこととかないん?」
すると、ハルはいきなり立ち上がった。そしてそのあと、Pパッドの画面が光り輝いた。
『うまい棒一生分、ポッキー一生分、料亭「龍」のチャーハン一生分ください。』
「おおーええでええで。光乃さん書いて書いて。」
「うん!」
光乃が頷いてノートにうまい棒、ポッキー、チャーハンと次々に書き留めていく。それを確認するとハルはステージを終えたアイドルのようにスッと席に座った。
「ボクは?」
「ゲームを、一生分ください……あと、遊ぶ時間もください……」
そういうと、また手元の画面に目を戻した。
光乃が頷いてノートに「ゲームと時間」と書き留めた。
「ええなあ……」
と舞がいう。しかし、その時事務所に絶叫が響いた。
声の主は石田だった。
「グアアアアアアアアッ!」
石田は立ち上がって、天井に向かって咆哮した。
「どうしたんや、びっくりしたあ!」
舞がいう。
「グアアアアアア!」
石田の叫びはしばらく続いた。
そしてしばらくのあと、石田は声を荒げて一同に怒鳴りつけた。
「制作会議はシェンロンじゃねえぇぇぇ!」
バシッとソファーの上に置いてあったクッションを地面に叩きつける。
そして、崩れ落ちるように顔に手を当てて肩を揺すり始めた。
「うう……、俺は悲しいよ。お前ら、健気な願望ばっかり言いやがって……。戦時中の子供か! 惨めな思いさせるんじゃねえよ……。」
石田は声を震わせて泣いていた。
「情けねえ。この小説が情けねえよ!」
「石田くん!」
光乃がペンを置いて石田のそばに駆け寄って、肩をさする。
「泣かないで。この小説が情けないことはみんなわかってる。確かに石田くんは特徴的なキャラクターで、だからこそ面白くしなきゃって責任感じてるのもわかる。でも、これは石田くんだけが抱えることじゃないの。みんなの問題なの。だからこうして制作会議をしてるんじゃない!」
「……グスッ」
「ねえ、だから泣いたりしないで聞いてくれる? 会議してくれる?」
「……グスッ。いい。いいんだ。泣いたりして悪かったな。」
石田は肩から光乃の手を払い除けた。顔を上げると、サングラスの下に涙の跡が流れていた。それを見ると、他のメンバーもなんだか真面目な雰囲気になってしまうのを禁じ得ない。
石田は立ち上がると、「ちょっと外の空気を浴びてくる」と言って事務所から出て行ってしまった。
残された事務所にしゅんとした空気が残る。
「……すまんな。」
「どうして舞ちゃんが謝るの。」
「いや、……なんとなく。億万長者とか言って。」
「別にいいよ。そのための会議だったもの。それに、わたし舞ちゃんが本当にお笑いで成功して、億万長者になってもいいと思ってるもの。」
「ぐ……、なんや! 光乃さんまで!」
舞が声を荒げて立ち上がる。
しかし、その勢いは長くは続かなかった。すぐに顔に手を当てて泣き始める。
「アタシだってこの小説をなんとかしたいって思っとる! でも、何が何だかわからんのや!」
声が震えていた。しかし、ボクとハルの面前、大声で喚くことをかろうじて抑えた。
「光乃さんありがとな。本当に億万長者になれるように、今日は返ってネタ作るわ。」
そう言って、舞は石田の後を追うように事務所からでた。鉄のドアノブがいつもより冷たく感じた。石田が触ったばかりのはずなのに。
(続く)
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!