皇紀2684年5月19日(第8回目)
皆様、こんばんわ。I Love 日本をまなぶ第8回目の放送でした!
いつもラジオを聴いてくださってありがとうございます。
第8回目知覧さくらの集いでの研修後半です。
さて、前回第7回目で一人語り恒例コーナーでしゃべりすぎたおかげで
研修のことをほぼお話しすることができませんでした。
そのため、今回は恒例コーナーを少し短めにしまして、残りの研修についての感想を述べさせていただきました。
まず、一人語り毎回恒例、ラジオ放送日、今日は何の日のコーナーです
■延暦21年4月15日(旧暦)坂上田村麻呂に蝦夷(エゾ)の頭領阿弖流為(アテルイ)が降伏した日
征夷大将軍→蝦夷を制圧する将軍というものが一般的な印象でした。が、
ちょっと違う説を見つけたのでご紹介します。
征夷の「征」は行くに正しいと書く。なので日本は「正しくを行う」
という意味で使っているようです。「夷」は朝廷とは違う考えを持っている人たちも一緒に仲良く暮らしていくための役職という意味で、日本は使っているようです。
今の世の中は善悪で二分化されているような傾向に感じます。
どちらかが正しい、どちらかが間違っているという考え方そのものが私は皆が共存するうえで少し違うんじゃないか。どちらかの情報に偏ったものの見方での判断がされがちではないかと思います。
歴史の教科書では一方的に蝦夷が朝廷の秩序を乱すものとして表記されていましたが、果たして本当にそうだったのでしょうか?
なぜ、蝦夷の人々は朝廷の決めたことに反発していたのか?
それにはこういった話があるそうです。
神武天皇が建国した際、皆で助け合って家族同然に生きていこうとお決めになられました。そこで、コメが作れる土地では米を備蓄して不作などが起こったときはその土地へ備蓄した作物を送って飢えを凌いでいったこともあったそうです。ただ、今でさえ様々な土地で米を作ることができるけれど、
当時寒い地域では作物ができにくい分、労働者を出してほしいとの要望があった。コメは1年に1回~2回収穫できる土地もあるが、労働者は、
けがをしたり、最悪死に至った場合、その土地の動ける人たちがどんどん
減っていってしまい、その土地で動ける人がいなくなってしまう。
それでは困るということで、朝廷の要求をのむことができず反乱がおこったといわれています。
教科書に載っていることすべてが善でそれ以外悪ではなく、どちらもそれぞれ理由や言い分があり、どちらにも譲れないものがあった。
では、どうすれば双方が納得いく結果になったのか?ということを考えることこそが本当の意味での調和というものではないかと、思うわけです。
坂上田村麻呂は「権力を弱い者のために使う」ということを信念としていた。
阿弖流為は坂上田村麻呂が攻めてくるとおもったが、共存を主張したため、戦をして負けて降伏したのではなく、貴方に命を預けますという意をもって、京の都へ一緒に行ったとのことでした。
私自身はこの説が日本人らしくてしっくりくるなと、思いました。
■知覧研修後半
知覧の平和記念会館の桜が本当に満開で私たちをまるで歓迎してくれているようでした。初めての知覧で満開の桜を見えることができて、
本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。
また、知覧護国神社で正式参拝をさせていただき、その際の巫女舞の最中に風も吹いていないのに、お供え物があるあたりから「カタン」と音が響きました。
宮司さん含め、その場にいた全員が聞いているので間違いないです。
きっと知覧護国神社にお祀りされている英霊さんが歓迎して下さっているんだよって、正式参拝が終わった後、口々に参加したメンバーと話をしたのを覚えています。
本当に私にもっと語彙力があればよかったんでしょうけど;;
来年もきっと同じ時期に桜の集いが開催されると思います。
その時までにもっともっと自分自身を磨いて英霊さんに胸を張って逢いに行こうと思いました。
さてさて、知覧のお話の続きは下のURLよりご視聴ください♪
https://yumepod14.xsrv.jp/wp-content/uploads/2024/04/5-3-4_ilovenihon_20240420.mp3
※こちらの音源はゆめのたね放送局の 許可を得て掲載しております
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