SHIROBAKOもう一度観に行ってクライマックスシーンの意味がやっとわかりました、という話(大ネタバレ)
前回、
SHIROBAKO観に行った感想を書くだけの話(ネタバレ大あり)|二岡せきぬ @kyojakupanda #note https://note.com/nioka_sekinu/n/n22a3028928d6
で劇場版『SHIROBAKO』の感想を書きました。前半パートは神で後半は普通だという意見は変わりませんが、やや説明し足りないように感じたのと、やや引っ掛かっていた部分があったので、もう一度観に行ったんです。
今回はその話をさせていただきます。前回に引き続いてネタバレしかしてません。それを考慮してご覧ください。
ーー以下感想ーー
クライマックスでSIVAのキャラクター達が圧倒的多数の敵に立ち向かっていくシーン、感動しましたね。ただ一回目観た時は、映画のポスターにも書いてあった「私たちは諦めない」をそのまま体現したのかなと思っておりました。いやその意味で合ってるとは思うのですが、少し気になった部分がありまして。
一回目の時、SIVAのロボットの声が今井みどり役の方だと気付きまして、まあわかりやすい声ですし気付いた方もたくさんいらっしゃると思うのですが、その時はそのまま流してたんですね。でもちょっと待てと。
これテレビシリーズ19話『釣れますか?』のアンデスチャッキーのシーンと同じじゃん!と。
19話で丸川社長と武蔵野動画に行った宮森は、会社にあった映写機でアンデスチャッキーを観ます。そのシーンはチャッキーでありながらチャッキーではなく、チャッキーのキャラクターに模した武蔵野動画の人達がおそらく実際にあったであろう会話をしている。
過去の回想を虚構で見せる水島努監督らしい演出をしていたわけですね。
ならば、今回はどうなんだと。二回目を観て、エンドロールが流れた時、僕はずっと声優の名前を凝視していました。するとやはりSIVAのキャラクターにはそのままSHIROBAKOメインキャラ5人の名前が。
ただなんとなく5人を当て嵌めた、なんて事はもちろんないんですよ。
SHIROBAKOのメイン声優を使いながら、SIVAのセリフを言わせる。一語一句思い出せないのが悔しいですが、あそこには「諦めない」以上のメッセージが込められていると感じました。
僕の勘違いでなければ、水島努監督が込めたメッセージと最も似てるのはこの映画ではないでしょうか。
クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』
2006年に公開されたこの映画は第二次世界大戦中に硫黄島で行われた日米の戦いを描いています。『父親たちの星条旗』と対になっている作品であり、アメリカ人でありながら日本人の心情を描いた事で当時話題になりました。
個人的に戦争映画の中では一番好きな映画でして、なぜかというとイーストウッド監督が『なぜ日本人は自ら死を選んだのか』についてかなり深くまで掘り下げていたからです。
第二次世界大戦の時に日本兵が外国人から恐れられていたというのは有名な話ですが、神風特攻隊であったり集団自決であったり、降参すればいいものを死ぬ道を選ぶ。しかも攻撃手段として自分の身を投げ出す。そりゃ怖がるのも当然の話です。
しかしイーストウッド監督はそういう風に日本兵を描きませんでした。映画に出てきた日本兵はほとんど皆、他の人を生かそうとして自分を犠牲にしていた。仲間であり、日本にいる家族の為にです。アメリカ人にとっては理解できない存在であった当時の日本人も同じ人間であり、自分達と同じように誰かを守るために死んでいった…。そう解釈してくれたわけですね。
で、これがSHIROBAKOとどう同じなのか。ストーリーを時系列順に思い出してください。ムサニはタイムヒポポタマスを作っていた時、ちょっとしたすれ違いから作品が全ボツになってしまった。丸川社長が辞任する事で倒産だけは免れたが下請けに逆戻り。宮森は腐り、仲間な散り散りになって、更にはテレビシリーズで成功させた第三少女飛行隊は見るも無惨な二期をタイタニックに作られてしまった。ていうか出版社もなんでタイタニックに二期を任せたんだよ!(笑)というのはともかく…。
作中の前半では理不尽が宮森達を襲います。それをキャラ一人一人が乗り越えてSIVAを作り、クライマックスを迎える。最初は敗北エンドで終わるはずだったのが、公開3週間前に全員でシーンを付け足す事を選ぶ。
で、仲間を逃がした後でSIVAのウサギのキャラクターが言うわけですよ。
「強行突破して船を乗っ取って脱出する」
僕はここで、水島監督の死生観を感じました。
というのも、水島監督って自分の作品でキャラクターを死なせないんですよね。ガルパンでは戦車を扱っておきながら怪我をするシーンすら出てこない。僕が個人的に失敗作だと思っている(笑)『迷家』では、どう考えてもキャラを殺すべき作品にも関わらず誰も死なせずに作品をダメにしてしまっている。
おそらく直接的な死が書けない監督なんですよね。
それが今まで気になっていたんですが、今日二回目の劇場版SHIROBAKOを観た時にはっきりと理解しました。
水島監督にとって、死とは諦めの象徴なんでしょうね。
SIVAのシーンで、絶望的な状況の中で仲間を逃がす為にキャラクター達が戦う。どんな理不尽が襲いかかってきてもいろんな人が自分を犠牲にして仲間や会社を救ってきた。時には自分が犠牲になった。そして何度倒れても諦めずにアニメを作り続けてきた。僕の中でその姿は『硫黄島からの手紙』で仲間のために命を投げ出した日本兵と重なります。イーストウッド監督は戦争映画というのもありますが人の死を使って表現してくださりました。対して水島監督はそこで死を使わないわけです。
時には自分を犠牲にして仲間を生かす。しかし俺はそこで死なない。絶対に諦めず、悪あがきをしてでも生きてやる!
その意図を確かに感じ取りましたね。
エンドロール後、ロロが「ちゃんと伝わったかな?」と言います。そのセリフも一回目と二回目とでは味わいが違いました。
…といって後半パートが前半に比べて劣っていたという評価は二回目でも変わりませんでしたね。SIVAのシーンでもそうなんですが、それって先程ご紹介したテレビシリーズ19話『釣れますか?』ですでにやってるんですよ。やる事自体は文句ないですし、テレビシリーズからメッセージ性は一歩進めてたと思うのですが…。
まあこれはしょうがない事なんですけど、なにせSIVAに感情移入ができないんですね(笑)
アンデスチャッキーは宮森が子供の頃から好きだったというのもあってテレビシリーズで散々触れられてきて、19話になる頃には愛着がめちゃくちゃあったので泣いたんですけど、SIVAは劇場版でしか知らないのでそこらへんがしょうがないけど、伝わりにくかったなと。
あとげ~ぺ~う~に乗り込んでいくシーンで時代劇っぽくしたのは当然テレビシリーズ23話のセルフパロ。仲間が次々と集まっていくのはセルフパロではないにしても劇場版『ガールズアンドパンツァー』ですでにやった手法と、ストーリーを進める為の手段としてテレビシリーズや過去作と敢えて同じにしたのかなというのが感じられて、面白くはあったのですが前半に負けてたかなというのが正直な感想です。
前半のダンスシーンも実は水島監督がわりとやる演出なんですけど、あれに関してはこれまでの作品の中で最高傑作レベルの演出だったと感じました。だからこそあれが個人的に作品の頂点になっちゃったんですけども。
で、大筋はここまでにしてあとは細々とした感想。
キャラクターの成長は良かったですね。人間として図太くなった絵麻や安藤、立ち直った平岡、子供たちと接するなかでリーダーとは何かを感じ取った美沙、「商売敵だよ」と言われた事で完全に舞茸に認められたみどり。変わらないタロー(笑)
あと一回目は気付かなかったのですが、ラストシーンでホワイトボードに『真・第三少女飛行隊』と書かれてたのがわかってテンション上がりましたね(笑)ああ、だから野亀先生はムサニに来てたのかと!これから失われた尊厳を取り戻しにいくんだとちょっと興奮しました。
おそらく三回目は観ませんが、語りまくれる良い作品でありました。水島監督のこれからの作品とSHIROBAKO二期(願望)に期待しております!そして最後まで読んでいただいた皆様に感謝申し上げます。それでは。
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