本当のハッピーエンドとはなんだろうか【ツイステ】
今や少しの情報で瞬く間にトレンド入りするツイステッドワンダーランド。そのコンテンツで度々謳われる『本当のハッピーエンド』について現代の問題と関連付けて考えていきたいと思う。
ディズニーの作品で主人公と対峙して最終的には自ら足を踏み外して追いやられ、やっつけられてしまう悪役たち、ヴィランズ。主人公たちはハッピーエンドだが、さて、悪役たちはどうだろう。自分の望みも叶わぬまま終わってしまっているように読み取れないだろうか。誰からの救いも得られず、墜ちていく姿。つまり俗にいう”バッドエンド”で終わってしまっているのだ。
人生において、道を間違えてしまうことは誰しもあるだろう。しかし間違えたことに気づけずに牢屋へ…そしてそこから出てもうまくいかずまた再犯などもざらにある。どうしても報われずに死んでいった人々をヴィランズで表現しているのではないかと思うのだ。オーバーブロットという、負の感情に支配された状態のこともまた、罪を犯した人にありがちな心情描写とも取れる。
ストーリーやパソストから家庭環境、国の情勢などが垣間見える。キャラによってさまざまではあるが、社会問題の比喩のようなものもあるように思う。
毒親による圧制、片親、スラム育ち、王族、身分社会……どれも現実で起きていることだ。地域によって全く異なるがそれら全般をこのツイステに盛り込んでいる気がする。
そんな中で幸せを見つけるためには……
私たち(監督生)はこの学園に呼ばれたのは何故だろう。果たして答えはあるのだろうか。まだそれは分からない。
幼いころ、なんとなく読んでいた童話。その物語を読み返したとき、私たちは何を思う。何か不平等な、不可抗力のようなものはないだろうか。それを問いかけているのが『本当のハッピーエンド』なのだと私は思っている。
何故、取り残してしまうのだ。
私は逮捕のニュースを見るたびに思う。犯人が何故その行動に出たか、深く知ることもなく一方的に社会から消されてしまうのか。犯人が道を間違えた原因も結局は同じ人間なのに、そのようなあぶれ者を作ってしまうのもまた社会の構造のせいなのに。分かり合えない、分かったつもりですれ違う。愚かだ。国と国での争いも、国の中での内戦もいつまで引きずっていくのかと時々不安になる。
ツイステではどうだろう。人間同士のより良い手のつなぎ方とでも言おうか。完全に分かり合う必要はない、心地よい距離感でいい。そのようなメッセージは4章や5章が顕著に出ていると感じる。
4章では初めて相手(ジャミル)の内面、見えなかった葛藤に触れたカリムが改めて友達になろうとジャミルに言うが、ジャミルはきっぱり断った。しかし、カリムはひどい仕打ちをされても尚、相手を思いやり、友達になることより相手が心地のいい距離を目指そうと奮闘しているのがパソストやスカラビア活躍回5章で分かる。
人類全員と分かり合えるわけがない、少しずつ、心地よい距離感を目指していけばいい。間違えたらまた最初から、一人でなくても誰かに助けてもらいながら、ゆっくり歩めばいい。そう教えてくれるのもツイステのストーリーならではの魅力ではないかと思う。
最後に
ハッピーエンドは捻じれた世界でも同等に与えられるべきだろう。
オーバーブロットで命を失いかけた生徒たち。あのまま助からなかったら間違いなくバッドエンドだった。生きていてよかった。そう声を掛けられたことが何よりも救いではないか。
これは、狭く暗い、縛られた牢獄(負の感情)から帰ってきた人々にとってのある種命の灯にも値しそうだ。
ツイステは非常にメッセ―ジ性に富んだコンテンツであると思う。リアルで、オバブロ時のモノローグ描写は特に生々しさを感じる場面も多々あるが、その苦しみを乗り越えて精一杯生きていく彼らに輝かしい未来があってほしいと私は願っている。
また、私たちもどこかで誰かの悪役になっている自分を見ている気分にもなるかもしれない。
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