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re. 壮大なるネズミ算

貨幣とは人類最大の発明であるなどと云われるのは耳慣れた話だろうが、しかし。

夏のスイカと冬のミカンは収穫時期が違うのだから、顔を並べるのは叶わぬ大自然の理であるのだが、貨幣はそれを解決するための便利な媒介であることに異論はない。

けれどそもそもボクたちは、貨幣のホント﹅﹅﹅のしくみについてどれだけ知っているのだろうか。便利なオールマイティパスであるなどと無邪気にこのまま笑っていてよいのだろうか。

ボクたちは、欲する殆どのことをカネで解決できると信じて疑わない。貨幣経済の海に生まれ、貨幣経済の波に揉まれ、貨幣経済の海に死んでゆく。この拝金主義に熱心な信者ほど、とりわけこの回し車をよくまわすものなのだ。言うなれば札束は盲信者の証文﹅﹅﹅﹅﹅﹅ってところだろう。

ところでこの貨幣経済は無限連鎖講という壮大なる詐欺であることに気がつている者は、この世にいったいどれだけいるのだろうか。いや、あるいは既に気づいてはいるのだが、このネズミ講から抜け出せずに悩みさまよう実験用マウスなのか。

カネなど所詮は借りた瞬間に湧きおこり、返した瞬間に消え去るメモ書き﹅﹅﹅﹅にすぎない。しかもそのアブクを産みだしているのは国家でもなければ政府でもなく、街の銀行屋﹅﹅﹅﹅﹅というのだから酷いはなしである。

例えばあなたがマイホームのローンを組むときのことを想像してほしい。仮に銀行屋から1千万円を借りたとしよう。あなたの口座には確かに「10,000,000-」と記載されるはずだ。そしてその資金を建築屋なり自動車屋なりへ支払いを済ませたなら、めでたく品物を手にすることができる。

その後、あなたはせっせと労働に勤しみながら少しずつ貨幣を集めて銀行屋へと返済する。それはまるで罪を償う﹅﹅﹅﹅かのように。しかも幾らかの利子をのせて﹅﹅﹅﹅﹅﹅

銀行屋へと戻ってきた'メモ書き'は、その約束が果たされたのだから、破り捨ててご破算になる。つまり1千万円はその瞬間に消滅﹅﹅するわけだ。

カネが消えるこの理屈に、あなたは違和感を覚えるかもしれない。しかしそこで思い出してほしいのだ。1千万円を借りたときに、あなたは現ナマ﹅﹅﹅を実際に手に取っただろうか。建設屋は実際に札束﹅﹅を手に取っただろうか。

すべては口座の中での数字遊びにしかすぎない。数字がコチラからアチラへ移動しただけの仮想ゲームではないだろうか。このことは、事業の場合もロジックは同じなのだ。例えば次のようになる。

●経営者の大工さんは、銀行から1,000円を借りました
(大工通帳1,000・銀行-1,000)
  ↓
●大工さんは1,000円で家を造りました
(大工通帳0・銀行-1,000)
  ↓
●大工さんは造った家を、お客へ1,500円で売りました
(大工通帳1,500・銀行-1,000)
  ↓
●大工さんは銀行へ借金1,000円を返しました。しかも'200円の利子を載せて'
(大工通帳1,500-1,200
    ・銀行-1,000+1,200)
  ↓
●大工さんの労働対価 300円
◇銀行屋のアブク銭 200円

カネは天下の持ちまわりという。銀行から産みおとされた貨幣は、一つ処にとどまっているものではなく、いま持っている者から程なくして去っていったり、いま持たない者へと程なくして手許に来たりする。そうやって俗世間を転々と巡り、やがて借金を返すかたちで銀行屋へと収斂するのだ。ただし「幾らかの利子をのせて」なのである。

メモ書きは所詮メモ書きなのであり、価値と呼ぶにはふさわしくない代物である。建築が得意な者はその建てた技術が'価値'であり、農業が得意な者は野菜を作ったノウハウが'価値'であり、歌が得意な人はその才能が'価値'なのである。そして皆が等しく対等だとするならば、それぞれの価値を超える対価は得られないはずだ。

ところが銀行屋は家屋を造らないし、野菜も作らないし、歌も披露しない。ただ通帳に数字を書き込むだけで報酬を得ている。あたかも打出の小槌みたく通帳へ数字を「1,000-」と書き込んで市中へとメモ書をばら撒くわけだ。それで浮世を巡ったあかつきには利息を孕ませて還ってくる。

価値を見い出していない者が対価を受け取る道理は、どうにも辻褄が合わない。エンピツを舐めて益を得たのなら、それは価値を生み出したのではなく、詐欺を生み出したのであるといえよう。

銀行が発行したカネが世間を転々と巡り、最後の一人が銀行へ利子というペナルティを負う。これはまるでババ抜きゲームだ。ジョーカーはプレイヤーを転々と巡り、最後にババを引いたら負けである。ジョーカーのなすり合い、つまり貨幣のなすり合いなのだ。

ゲームを永く楽しみたければプレーヤーを増やせばいい。けれども、この世は多くて80億、この地球はたったのひとつしかない。最後の80億番目の者は'利子'という罰ゲームを背負うハメになる結末に変わりはない。だが利子なんてものは初めからこの世に存在しない幻想であり、無い袖は振りようがないわけで、つまりこのゲームは理論破綻しているのだ。

胴元はそれがバレたくない。だから人々を踊らせゲームを続けるためにムダな物を大量に生産し、大量に消費させる。ムダな仕事を増やし、ムダな労働を課すのだ。ネズミの数に限りがあるならば、カードを増やせばゲームは長持ちするするといった寸法である。そうやって世界の幻想マーケットは無限連鎖的に今日もその膨張をやめようとしない。

こんなクレイジーなゲームをボクたちは生まれてから死ぬまでずっと回し車のネズミみたく続けるのだ。だが、そろそろこの詐欺のトリックもバレる頃合いだろう。もちろん胴元もそれは充分承知のうえである。だからまもなくゲームはリセットされるのだ。ならば、あなたの思考はこれからどう始末をつけるのか。

リセットへのシナリオは
いよいよ幕開けを迎えるのである

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