【貴方はどう?】『(危機)意識高い系』はただのネガティブでデメリットだらけなのでやめた方がいいと思うよって話

私も昔はそうでした。
超ネガティブ人間でした。
空気が読めず、友達が上手く作れず、ボッチ系になり、不安や焦りや孤独感に苛まれて「このままだといじめられる」と思った私は、
「常に最悪の事態を想定しておけば、きっとそれ以上悪い事には遭わないだろうし、想定してる分心の準備もしてそんなに落ち込まないし、対策のしようもある」
という考えに至り、
常にネガティブで、被害妄想的な意識をする癖がついた。
それは自分の身を守る鎧であり『保険』であり、
「世の中は怖い、でもちゃんと私は考えているから大丈夫」
とある種自分を保つのに必要な要素になった。

実際、当時の私には必要だった。
お陰でマイペースを保てたし、そこまで病むこともなく、不登校にもならずいじめにも遭わなかった(いじめはたまたま運良くクラスにいじめっ子にあたる子が居なかっただけだろうけれど)

が、それが後々の私のメンタルの疾患の引き金になっていく。

世の中は怖いもの、信用ならないもの
自分は弱い、自信ない、常に疑いながら油断してはならない、
という前提でずっと生きていくとどうなるか。
なんでもない所でも常にストレスを無駄に抱え込み膨らますことになったり、
周囲の人間を信用出来ないので「助けを求める」という行動が取れない、

つまり限界を超えると「具体的な疾患」として表出するか発狂するか、という選択肢しか残されないのである。

逃げる。
自分の弱さや限界を認める。
助けを求める。

それができれば、メンタルの病はほぼ発症しないか軽いもので済むのに。
(※先天性や器質的なものを除く)

『危機意識を持つ』
というのは確かにある部分ではとても大切な事。
もしも大きな天災(地震など)がきたら?
もしも経済的に窮地に追い詰められたら?
もしも不慮の事故等に遭遇したら?

咄嗟に判断/対処出来るように、
いつかは起こるかもしれない/遭遇するかもしれない、その時の為にある程度意識はしておく、というのは大切だろう。

でも『全ての物事において』
もしもの「最悪の事態」を考え尽くしてたら本当にキリがない。
文字通り身動きが取れなくなったり、
不安に刈られて精神が蝕まれていくし
そうやって漠然とした不安に覆われていくと視界がどんどん曇り、真実や客観的事実はどんどん見えなくなる、冷静で合理的な判断力はどんどん失われていく。

結果的に、「良くない現実」を、
『自分で引き寄せている』状態になっていく。

「引き寄せの法則なんて嘘っぱち」?

いいや。
「自分でわざわざ引き寄せている」物事って、結構あると思う。
願望や夢だけでなく、ネガティブな事すらも。

わざわざ「信用ならない不安要素だらけの世界」に仕立てあげていたのは自分自身だった。

不安を煽るメディア。
声高に危険を叫ぶSNSアカウント。
そして間に受けて巻き込まれる人々。

一度、短期間でいいからテレビとSNSを絶ってみるとわかる。
いかに「自分がネガティブを引き寄せて、また引き寄せられていたか」というのを。

『危機意識』は、
「じゃあその恐れている事が起こりうる際に具体的にどうしたら解決(回避)できるか?」
という所まで考えて、ようやく意味がある。

「なんかみんながヤバいって言ってるからヤバい」
「ネガティブや不安要素にもちゃんと意識してる自分はそこら辺の奴らとは違う」

そう思ってる人、ちょっと改めた方がいい。
このご時世特に、どんどんネガティブに引き寄せられ飲み込まれていくこと間違いなしだから。

だからって、無理やり『ポジティブハッピー!』にシフトしなくてもいい。

ただただ、「事実と数字」、あと「自分は『本当は』どう思うのか」を冷静に見つめ続ける。

少し話し逸れるかもしれないけど、
「統計学」を学んでおくとこのご時世良いかもしれない。

出てくる数字/データ/分析、
そしてそれがどう解釈されどう表現されるか?
で、『真実』はどこにあるのか?

今求められるのは「危機意識」もそうかもしれないけどそれよりも
「どう転がろうと対処できる知識と自尊心(自己肯定感)」なのかもしれない、
と私は痛い程感じている。

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