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強い言葉 強い立体

『人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ』("ノーサイド"より引用)

職場の新聞が読売新聞(巨人ファン的な)なため、"官邸寄り"と言われている政治欄とかは、確かに私にとってはキモい書き方メッチャされてるんだけども、興味深い記事やコラムも沢山載っているので、新聞は毎日色んな人が関わっているんだってことを意識しつつ、こーゆうのもまあ、読んでおります。でね、松任谷正隆氏がエッセイコーナーでコンスタントに書かれており、なかなか面白いので楽しみにしてて、というnote.です。1/28の読売新聞の夕刊に載ってるから身近にある人は読んでみてよ。川上未映子氏のインタビューも載ってたよ。

『みんなこぼれて 鍋の底』("チャイニーズ・スープ"より引用)

要約すっとね、ワンデイ、松任谷正隆氏は彼の妻であり仕事のパートナーでもあらせられる松任谷由実氏、通称yuming…、ユーミンのラジオ番組を聞いてみた、ゲストと共に"自分の旦那について"をテーマにトークをしていたと。そしたらばユーミンたら、"ウチの旦那はみんなの前で私にマウンティングし、自分の立場を確固たるものにするタイプだ"と評しやがったと。そんなつもりではない、とムカついたが、共同生活も長い故、その苛つきを表に出すのもオトナゲないかと帰宅した彼女には黙っていた。数日後なんかの折に、ユーミンが"あなたがいなければ今の自分はない"とウルウルしたりしゃあがったので、同じ口で何を言うかとブチ切れ、で暫く冷戦状態になってしまったが、これまた共同製作も長い故、性格はお互いよくわかっているので、階下から朝餉の支度をしている気配を感じるとまた元通りになり、いやあ年は取るものですなあ、みたいな(大まかには)話であった。

ユーミンはポップス職人として流行に敏感でなければならない、というのは自負というか生き様というか、そういった感覚を持っている方と推測しますし、"ユーミン"として表舞台に立つからにはやっぱし"BAD HOP"から"マウンティング"までナウな"言葉"を発言の端々に乗せてかなきゃなんねえ、みたいなノリで"私の旦那はマウンティングする"と言ったんだろう。そこには"自他共に認める天才、ユーミンことアタシを上から目線で説教できるのはアナタしかいないのよ。"という、最早ここでキスして。と言わんばかりのヒメっぷりを感じとることもできちゃったりもするのだ、ギャラリーである私は。当の正隆氏にとってみれば"マウンティングする男"として俺の存在を公共の電波に乗せやがってテメーの影響力考えろ、とフルフルするも無理はない。けれどもついでにクローズドな家の中の妻の様子まで大手新聞のコラムに書き、オチには朝餉にほだされるおれっちペロ★な正隆氏もなかなかのものであることよな。

…とまあ、天才夫婦のプレイでもあり、ノロケでもある、みたいな微笑ましいというかほぼBLだなってかんじの記事だったんだけど、

"言葉は必ずどこかのワンサイドしか表現できない けれど人の発言は常に立体"と松任谷正隆氏は考えている、とあり、思わず膝を打ってしまった。

なんて簡潔にまとめられた一文であろうか。"必ずどこかのワンサイドしか表現できない"からこそ言葉の主査選択は面白く、それと同時に歯痒く、そーゆう意味で言ったんぢゃないよォ、相手の目の前で七転八倒したところで、関係性修復不可能になることすらある…、この"関係"もまた儚く、信頼を築けていたから、「ったくオマエはダメだなあ、」とシンプルに失言として許されることもあれば、築けていたと思っていたのにそりゃねぇだろう、裏切られた!という想いを抱かせることだってある。勿論相手にそれをされることもあるよね。

『この世に真実はないの けれども幻じゃないの』("Miss BROADCAST"より引用)

人の発言は常に立体、というイメージは私も持っているんだけど、例えばSNSとかでさ、ものすごくオリジナリティがない、けれども語気は激しく、目立つ人を攻撃するだけのアカウントとか、あるじゃないですか?ああゆう呟きを読むだに、"で、アナタは一体普段どんな生活をしてて、何を考えてこんなこと書き込んでいるの??"と、最早ギモンにしか思わない…、てなってボンヤリしてしまうのは、"人の発言は立体"というのを前提にして読んでいるからこそで、"立体が想起できない発言"は不気味に思ってしまうのね。
AI美空ひばりが話題になってたけど、私は最初のMCが一番不気味だった(ア、私が見たのは開発ドキュメンタリーのほう、まあ紅白も内容は同じだったと思う)。『あなたたち、よく今までがんばりましたね、耐えましたね』的なこと言うねん、立体映像が。美空ひばりが居なくなってカナシイっつー寂しさに対して?違うよな?日々の我々の暮らしを慮って下さってるのか?ようわからん。…台詞なんだよね、それを考えた人は"美空ひばりならきっとこう言う"(YAZAWAか?)としたのか、"美空ひばりにこう声をかけて欲しい"、"美空ひばりがこう言ったら客は感極まるだろう"としたのか…、どれなんだろう(こういうのを時の権力者などに利用されるとヤバですよねー、なんて)。立体映像の美空ひばりの歌声ですら"人工的に作られた"という事実を共有した我々の前であっても、なんだかこう…ただの面(めん)という感じで、奥行きが感じられないんだよナ。不気味に思う、こういうの…(変な話だが、私は"不気味なもの"についつい魅力を感じてしまうので、ケシカラン!と本気で怒りを感じてるかというと…そうは言い切れないんですよね、でも"冒涜"っつう山下達郎氏の発言は立体だと感じる。)

『だって 人の心覗けない 今あなたを塗りつぶしてるか…』("罪と罰"より引用)

松任谷夫婦はどちらも音楽家。"ワンサイドの言葉"は歌詞、"立体の発言"は曲って感じで、思考を音楽に置き換えられる冷静さを感じました。ラジオ、新聞、シャングリラ(もうやってねえんだっけか)、広大なフィールドを駆ける二人のコミュニケーション。その日のユーミンの朝餉がまずかろうとうまかろうと、正隆が朝餉つくる日があっても、二人はうまくいってるんだねえ、と関心し、新聞をそっ閉じしたのですた。

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