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オー!有害なるプリティ・シングス

映画『ジョジョ・ラビット』を観てきました。

楽しく見たよ〜、良い映画でした。劇中でかかるLOVEの曲『Everybody's gotta live』が良くて、久しぶりにLOVEのアルバムを聴いて通勤!ルンルン!

…しかし、私はなんか主人公のジョジョが最後までムカついて仕方なく、それは何故か?というnote.です。観た人に向けて書きます。でも観てなくもナルホドとなるように頑張ります。ネタバレってどこまでどうなんか知りませんが…私があんまし気にならないタイプだからなー、気をつけたつもりですが…!心配な人は読まないで下さい🐰

ハイル!イマジナリー・フレンド

私はこれ最初、『ヒトラーをイマジナリー・フレンドに置くってことは所謂"戦争映画"ではなかろう、少年のイニシエーションもので、ヒトラーを監督が演じる、てのにもなんか誠意を感じる。評判良いし、ボウイもかかると聞いた!是非劇場で観たいな!』という動機で観に行きました。(なんせ私は今でもイマジナリー・フレンドが居たりするタイプの35歳なんで…)衣装も美術も画面も愛らしい。その街に飛び出し、跳ね回るジョジョもまた愛らしい。色々起こるのだろうが、頑張れジョジョ!という気持ちでした。このワイルド・ワールドを生き抜くにはイマジナリー・フレンドが居ないと無理、な個人がいるってのはどの時代も変わらないと思います。たとえそれがヒトラーでも、トランプでも、安倍でも、そして日記帳でもね、ありうるのですよ。ハ?な人よ…わかってくれとは言わないが…そんなに俺が悪いのか…。

しかし、スカーレット・ヨハンセンが演じるジョジョの母、ロージー。彼女がカッケェと同時に物語がすすむごとに痛ましく、視点が途中で切り替わりました。

オバケの世界のコンサバ・ママ

愛する夫は戦場へ、その上長女を亡くしており("大人になるのを見たかった"という台詞が切ない)そして残った息子ジョジョはナチスに心酔。しかもイキッた結果大怪我までして心配させる…(あの傷は気狂いアラジン…アラジン・セインを想起させますネ)但し彼女にとっては可愛い、可愛い息子です。ロージーは葛藤しながらも、時にユーモアを交えて頑張って諭す。崩れるところは一切見せず、決してジョジョのナチ傾倒を咎めません。ロージーには、ただ信念があるのみ。屋根裏の少女エルサが、大人の女ってどーすんだ、と聞くんですが、"信じること。とにかく信じる。"と応えていましたね。息子を守ることよりも、信念を貫き通した結果ああなったとも言えるし、もしかしたらジョジョを止められない自責の念が、その貫き通す、という行為のブースターになった可能性すらあります。陽気な飲んだくれを装っていますが、あの行為も裏を返せば自傷です。

"The earth is a bitch
We’ve finished our news"(DAVID BOWIE / 『oh!you pretty things』より抜粋)

10歳、青い瞳に金髪の巻毛に白い肌。そんな見かけに惑わされるな。ジョジョは単なるイキッたクソ馬鹿、加護を受け、自らを顧みず、成長しない、子供のままの姿の、つまり"有害な男性性"そのものです。ロージーがああなったのは、(この映画の中では、ですよあくまでね!)ナチスの所為ではない。ジョジョの所為だと思います。ロージーとエルサ(トーマシン・マッケンジー。彼女もまたカッケェ!)はヒトラーに補強されている"有害な男性性"と対話しようと、何度もチャレンジしてますよね。(ロージーとエルサには風呂のシーンがあり、ジョジョに対峙する二人の間には結びつきを感じられます)いい加減"それ"に気付けと。そこから降りろと。ジョジョの現実には、バケモノ級に心が広い親友、ヨーキー(アーチー・イェーツ…ぶったまげた。兎に角素晴らしい!)がいます。代理父ともいえるキャプテン・K(大活躍のサム・ロックウェル。目が片方潰れているのも、もしや!とボウイを想起!)も彼を守ります。…それでも気がつかない。アイツ、最後まで気付いてなくないすか?エルサがラストにああしたときも、それでもアイツはイキりやがったんスよ。最低ッスよ。そこがまたリアルでしたね。"有害な男性性"は、死ぬまでイキる大迷惑。

人は何故イキるのか

…ボロカス書いたんですが、ジョジョ役のローマン・グリフィン・デイビスは素晴らしかった。抜群に愛嬌のある、繊細な演技で目が離せなかった。煙草を断るシーンとか最高!大人ぶった子供の生意気で、ちょっとイラッとくるようなね、可愛らしさに溢れてました。だからこそ惑わされてはアカンのや!と私が思ってしまったのは、丁度私がジョジョと同じ頃です、彼と同じような、可愛らしい見た目をしたクラスの男子から性的な加害を受けていたからかもしれません。もし私が彼の母親だったら、彼がそういうことをしていると知ったら、どんな態度をとったかなと思って、暗い気持ちになりました(スカヨハはちょい歳下くらいなんで、なんか感情移入しやすかったのかも)。ジョジョがキャンプでウサギを殺せなかったのは、"心が優しかったから"でしょうか?私は違うと思いますよ。単純にビビったから、怖かったからですよ。情けないよね。ナイフを持って、やったるでぃ!と前に出たのに、言われた事ができなかったらジョボいです。弱さを認められず、妄想のヒトラーに言い訳させた。エルサとコミュニケーションをとる中で、恋に近い感覚を持ったときも彼は逃げました。恋をするってことは、相手に惚れるってことは、相手より弱くなることだからです。人は何故イキるのか。弱いからです。(あ、私も自覚なくイキることはこれからの人生、まだあると思います。イキッた過去は勿論恥ずかしいです。だけど指摘されたり、迷惑かけたりしたら、誠心誠意で…頑張ります、謝ります。悪いのは私だ!ホントーにすいませんでした!)更に始末に悪いのは、イキッた状態の人は時に魅力的なところ。破滅へ向かって突っ走る人は、まるで自分の弱さを代弁してくれているようで、応援したくなったり、擁護したくなったりします。それを眺めるギャラリーは熱狂するかもしれない、過去ヒトラーがその渦中に居たように。

…ではあの時、ジョジョはウサギを殺せば良かったのでしょうか?…ウサギを殺してキャンプのヒーローになれば、彼の承認欲求は満たされたのでしょうか。そうですね。そのときはヒーローになれたかもしれない。でも、たった一瞬…一日だけですね。彼はヒーローではありません。ヒーローなんて、存在しません。たった一日、なれたような気がするだけです。…みたいなことを考えました。素晴らしい映画でした!ありがとう『ジョジョ・ラビット』!!!ラストシーンは救いだぜ!おススメです🐰🥕

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