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血絆、甘い、性的な、魔法

僕は!ものすごく!興奮している!

今週も沢山のニュースがあり、その中でも”レッチリにジョン帰還”は、なんで今?!いや、今だからこそ?!なんだかよくわからないが、ジョン・フルシアンテというギタリストがレッド・ホット・チリ・ペッパーズというバンドに再々加入する…、そして、10年前に、レッチリに加入したジョンの右腕とも言えるジョシュ・クリングホッファー脱退と入れ替わりかのようにアナウンスされたそれは、驚き、喜び、不安…様々な感情を呼び起こされつつ、まあなんというか、…もう一度、ジョン・フルシアンテの話をしようよモードになった私を、神よ、お許しください…。そして私はレッチリを細かくずっとチェックしているタイプのファンではなく(そういう楽しみ方ができないみたい)やっぱ概念的、かつ思い出話になると思うんで期待しないで下さい…。

リアルな話、世代別ジョン・フルシアンテ

めんどくさいからレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レッチリって書きますね。レッチリを知ったのは初めて組んだ高校の部活バンドで一緒になったYちゃん、というOLIVIA…知ってる?(以下の画像)

似の美少女…(どちらもどこへ行ったんだろう?お元気ですか?)がGLAYのファンで、GLAYが好きだと言っていたからレッチリの曲をやりたい、かつ、緑色のムスタングを持っててかっこよかった。(フェンダー・ジャパン製、恐らく弾いていたジョン人気にあやかったモデルでしょう、彼女の1本目の?ギター…当時私がどれだけ眩しく感じていたか、読者諸君は想像に難くないであろう)…そんな彼女が貸してくれたのが”カルフォルニケイション”。シンコーミュージックのバンドスコアを割り勘で購入し、生徒会室で四人分コピーをし、Yちゃんが一曲目の”Around the World"

を、やりたいのだと言いました。それまで(じゃんけんで負けて…)ギターヴォーカルとしてニルヴァーナやセックス・ピストルズ(バンドスコア的にも簡単だったから)をカヴァーをしていたのですが、これはちょっとどうしたらいいのかよくわからない、となり、頓挫したんですが、でも私はこれ唄えなきゃいけないのかって、ひっそり覚えました。そんな記憶はなかなか消えないもので、今でもこの曲だけバッチリ唄えますね。兎に角あまりにも聴いたことのない音楽を封入したこのアルバムは、沢山聴いて、色んなことを妄想しました。レッチリの歌詞は意味不明だとよく言われるけれど、ヤル気と諦念を行ったり来たりしていて、音楽と非常によくマッチングしてやしません?歌詞を書いているのはアンソニー・キーディスかな、きみの考えていることがよくわかるって言える、…共感するかは置いておいて。(する曲もモチロンあるよ!)少なからず影響も受けている気がします。

繰り返しますが私は”カルフォルニケイション”でレッチリを知ったので、あのヘニョファンク…?ギターソロ、こんな…、うんしょうんしょって指板と弦を押さえてなぞってるだけ、みたいな、カラカラなよさみがすごい!!!な、ギターに大層衝撃を受けました。けれども”ブラッド・シュガー・セックス・マジック”や”母乳”でレッチリを知った方々はもっとびっくりしたのではないでしょうか。ジョンの”忘れた”都合に合わせて、もともとメッチャやれるチャド・スミスやフリーが控えめな演奏をした駄作、と断言してる意見もききましたし、デイヴ・ナヴァロともっとやって欲しかったとかね。ジョンは1度目の脱退の原因のひとつであった、(すさまじい)ドラッグ(の後遺症)で、歯、幻覚を追い払おうと掻きむしった腕の肌(全身?もっとかもしれない…、クシャナ並?)、なんとギターの弾き方まで、全てを失ったのだそうです。ジョン自体が、ヒレル・スロヴァクという、同じくドラッグのあれこれでバンドが喪ったギタリスト、の、欠員により加入した、レッチリに憧れた少年だったわけで、これはバンドの中心であったジョンの兄貴格アンソニーやフリーにとって、どれだけの『なんだかなあ』を想わせたか。言うまでもありませんね。

どんな噂も遅すぎるのさ

あれはなんだったんだろうか。ジョンのセクシャリティについて、ゲイの噂がありました。ありましたよね?一度目の脱退について、フリーにガチ恋してフラれたからだ、とか、アンソニーにガチ恋だったのに、バンドとして生活を共にしたらあまりにも女狂いで辟易したのだ…、って話はレッチリファンの中で共通認識だった気がするのですがいかがですか?演奏パフォーマンスで腰を振りまくり、男性器に靴下を被せたアーティスト写真で有名だったような、所謂悪ガキやんちゃ坊主な彼ら、の、最盛期のブラシュガツアーをトンズラしたジョンの行動は意味不明、意味不明すぎて、彼はゲイだったのだ(ソロの一枚目のアルバムは女装した姿だったからかもしれないです)と、喪失感に落とし前をつけていたファンの創作だったんではないかなと今は思っています。そんな言説がまかり通るような時代でしたし、私も暗い悦びみたいなものを感じていました。ゲイ=繊細な芸術家、みたいな。やっぱジョンはホンモノなんだ、みたいな。本当に失礼極まりないですよね。

音楽という状態の魔法という状態
ブラシュガはプロデューサーのリック・ルービンの屋敷で録音されており、その光景はドキュメンタリー映像作品として発表されています。内容はちょこちょこしか覚えてないのですが、幽霊が出るという噂に耐えられなかった(かわいいなオイ)チャド以外の生活の様子も撮られていてなんともイイもんなんですよね。こんな風に音楽を作れたら素敵だなあ、って、世界中のロックに憧れるキッズは夢を見たと思うんですよ。私はジョンがフリーだったかな?アンソニーだったかも…に、息抜きにストリップ?を見に行ったら、ストリッパーが自分の股間に自分の拳を入れるショーをしててヤバかった、みたいなことを話してるシーンが印象的でした。年上で百戦錬磨のフリーもしくはアンソニーはそれを茶化すというか、あーなんかいるよねそーゆう凄腕が、みたいな感じなんですが、ジョンは無表情で素直にシミジミ感動してる…みたいに見えたんだけど…。ちょっとコントみたいなシーンですが、それがなんだか男性の同性同士の気安さみたいに思えて、拳を股に入れるなんて考えただけで失神しそうな、だけどロックバンドの一部分になりたいと悶々していた十代の私は寂しくなりました。このブラシュガの世界観に女性として入るためには、なんというか、そこまでやんなきゃいけないのかな、とかね、考えちまって。

時は流れ、いろんな男性がいるってことを分かった私は、ジョンが復帰することについてレッチリ好きの人、青春にレッチリがあった人、とお喋り出来るのがとても楽しい。もし自分がジョンの立場だったら、キュートで魅力的な女の子とフリーがいて、どちらと一緒に夜を過ごしたいかってなったら、間違いなくフリーと音楽をつくりたいよね!ってなるなら(なるなら、ですよ)性別も年齢も全然関係ないなって、ナハハ。思いました。ジョン・フルシアンテの話…、他人の心の中に居るジョンを知ることも、私にとって音楽を楽しむことと同じですね。(…アンソニーはもうジョンを蹴り飛ばしたりしないで欲しいな!)







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