2024/06/16 日曜日とぷりきゅあ

暑くて暑くて最近眠れない。冷房つけっぱなしで眠りたいが、彼は喉を痛める&寒いと言い、結局窓を開けて寝ている。無風の日どうしたらいいのよう。首に少しあせもができた。

寝つきが悪かったせいで少し寝不足なのに、早朝に、したくなってセックスしたら活動不能になり、少し眠った。(彼はしゃきっと目覚めていたが)近所の家の目覚まし時計は、「じじじじじじじじじ」と鳴ることがわかった。


買い出しがてら、スーパーでおひるごはんを買う。それぞれ好きなパンを選ぶ時間はすごく好き。本当はジャーマンポテトを潰してチーズ乗せて焼きました!的な大正解惣菜パンを食べたかったが、起き抜けであまり体調も良くなかったのでつまらなそうなサンドイッチを選んでしまった。
サンドイッチに入れるチーズはクリームチーズに限る。今日のサンドイッチはそうで、当たりだった。


お昼を食べてゴロゴロして、会社の人が娘さんと観ているという、『わんだふるぷりきゅあ』を観る。1話からはじめて鑑賞。ある日謎の理由で巨大化&凶暴化してしまった動物が街を襲い、彼ら&街を救うためにぷりきゅあが戦うのだが、まず出てくる動物がかわいすぎる。泣く。そして、ことあるごとに「わんだふるだ!」とニコニコ言っている。泣く。悪者の動物に対して、ぷりきゅあが抱きしめて「どうしてガルガルしてるの?この世界はわんだふるだよ」と笑顔で語りかける。泣く。泣く。

赦しや憐れみを飛び越えて、生きることに対して疑いを持たない、今、ここに在ることが全てであるその姿勢が眩しい。


ぷりきゅあを2話まで観て、筒井康隆『誰でもわかるハイデガー』の続きを読む。なんでも、ハイデガーによると、人間は必ず死を迎えるから、そのことをちゃんと分かって受け入れた上で生きていくのが「本来的」生き方、騙し騙し楽しいことをしたり身近な人と喋ったり、死から目を背けながら過ごしていくのが「非本来的」生き方らしい。自然で平均的なのは間違いなく「非本来的」生き方だけど、死ぬことがわかっていてなお生きることを引き受けるのが「本来」の生き方、てのはなんかムカつくな(ムカつくとかいう話ではそもそもないが)
騙し騙し生きていたら、いつか死を迎える、そういうのが理想。

しかしぷりきゅあの眩しさは、「非本来的」とされる生き方とはまた違う気がする。子供向けアニメだから当たり前(?)かもしれないけど、まず死の気配が無いし(言っている子の中身はワンちゃん🐶だし)、悪者に対して「世界はわんだふるだ」と誤魔化しているわけでも毛頭無いのだ。ただ生きていく、という、その一点に対する、そう、信頼。覚悟でも受諾でもない。
「わんだふる」の定義?そんなものだって、無い。わんだふると言えばわんだふるなのだ。


「本来こういうはずだったよね」、とされるものすべてに抗いたいし、予定が頓挫すればするほどニコニコしていたい。年々、自分が渇望しているのは「眩しさ」だと感じる。すべてをひっくり返す強さじゃなく、昼寝していたらあまりの暑さと日差しに思わず目を覚ましてしまうような、そういう強度に私は憧れ続ける。

https://x.com/ninitonaku/status/1802200907914088697?s=46&t=sK5xyZvPY_WjuZgizitApQ


セブンでフィナンシェを買います