2024/05/09 落ち込む自由、無根拠の引力

7:15起床。目を開けたら彼がこちらを至近距離でガン見していて「ヒッ」と声が出る。「最近みずまちゃんがそろそろ起きるかどうか見て分かるようになった」とのこと。見ないで。朝はどうか、見ないで。

「ちょうど雨が止んでるからチャンスだよ」と彼が先に出勤した10分後にドアを開けたら、雨が降っていた。最近買った新しいリップを塗って遊んでいたからだ、もー。
出勤の日は、納得できるうきうきを装備しないとおうちを出られない。イヤリング、マスクの色、靴下の色が服装と合うか頭の中で組み立てながら歯を磨いている、いつも。

今日はファミマで、今年一番愛した「さばたく」おにぎりがなくなっていたし、メインで進めているプロジェクトが全然うまく進められなくてしょんぼりしていた。自分が本当に仕事ができない(できる側ではない、のほうが適切かな)人間だと実感する。

セブンでまんまとおやつを買った帰り道に、昨日の雨さんのnoteを思い出す。
https://note.com/ameagari/n/n1f8ab5f8aaa3

「いつかすこしは出来るようになるから大丈夫」。

かなり私を見てくれている上司の言う「出来るよ」よりも、信頼しているリーダーにいちゃんの言う「大丈夫だよー」よりも、なんだかほっとした。全部はできるようにならないかもしれない(そもそも出来るようになる必要も無いかも)し、今すぐではないけど。身近な人ではない、無根拠の言葉だからこそ、しかしいろいろなことはそこかしこで何とかなってきた、なにかもっとおおきな規模の歴史というか、理みたいなものがぽん、と差し出された感じ。(ありがとうありがとう)

明日もいやな会議があるけど、なんとかがんばるぞー涙。思えば私は入社一年目の頃、何かに落ち込む暇も余裕もなくって、「次はどうしたらうまくいくだろう」と考えることすら出来なかったんだった。休職したころのことは、思い出そうとすると反射的に涙が出てくるくらい体にだけ刻まれていて、なんの仕事に時間がかかっていたのか、誰がどう言ってたとか、ほとんど思い出せない。

意欲が高くて、新人にしては異例の部署に去年配属された女の子が休職するとの人事情報が出ていて、理由はもちろんわからないけど、少しでも彼女が安らかな気持ちでいられたらいいなと思った。少なくとも今の私には「落ち込む」ことができる環境があって、落ち込む自由があるのだ。けっこうなことじゃないか。自由というのは、獲得することも勿論大変で重要ではあるけど、実は自覚することの方が肝心だと思う。

今日はセブンとファミマのフィナンシェを半分ずつ食べ比べしました。にゃごにゃご(ねむい)

セブンでフィナンシェを買います