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インネパ料理屋さんのエスニック戦略とアイデンティティ


先日、大学院の授業で、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトについて学んだ。
なんのこっちゃだったのだが、社会学では基本的な用語らしい。

定義としては以下である。

ゲマインシャフト(Gemeinschaft)とは、家族集団、仲間集団、地域集団などの地縁や血縁に基づいて自然に成立している集団のことを指す。
ゲマインシャフトは、基礎集団とも呼ばれ、その名前の通り、近代以前から存在していた。

ゲゼルシャフト(Gesellschaft) とは教育機能に特化した学校組織や生産機能に特化した企業組織など、特定の目標の達成のために人為的に創られた集団を指す。
ゲゼルシャフトは、機能集団とも呼ばれ、近代によって重要度が上がってきたと言われている。

近代化になるにつれてゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へ変化しつつあるものの、私たちは両者のバランスの中で生きている。
また、ゲゼルシャフトが進んでいく先に、私たちはゲマインシャフト ー 共同体意識 ー アイデンティティを欲する様になるらしい。

例えばと或る農村地帯では、近代になり観光業が急速に成長し始めた。利益を得た現地民は、ボロボロの民族衣装から新調したTシャツに変わっていく。しかしながらその後、Tシャツから、また民族衣装へ戻ったのだという。

つまり、他人からのまなざしを当事者が意識することによって、自分の文化を再認識し、アイデンティティを守るようになるのだ。



それでは日本におけるカレー文化はどうだろう。


日本でカレー文化が流入したのは、1853年、浦賀沖にペリー率いる黒船の来航が端を発する。そのため本場インドから直接伝来された訳ではなく、インドを植民地としたイギリスを経由し、日本にやってきた。

おかしいじゃないか。カレーのルーツがインドなのにインドカレーよりも前に別のカレーが日本に伝わっているのだ。そのカレーとは、ブリティッシュカレーというものだ。すなわち、日本のカレーはインドから伝わる前にイギリスから伝わっていたのだ。

水野仁輔 「カレーライスの正体」第4回『カレーはインドからやってきた?』


ペリー来航から約60年後、本場インド式カレーが日本で生まれたのは、英領インドから逃れてきたインド独立運動家R・B・ボースの来日が契機である。
日本では英国からのカレー、つまり欧風カレーの存在を知ったボース氏は以下のように述べている。

「インド貴族の食するカリーは決してあんなものではない」

中島岳志(2005)『中村屋のボース』白水社


その後、ボース氏は、新宿中村屋にて喫茶部の開設を機に、日本で始めて本格的な「インドカリー」を売り出すことを提案し、現在では同店の看板メニューである「恋と革命の味」インドカリーが生まれた。

新宿中村屋のカレー(筆者撮影)


また、インドカレーのはしりの店の一つであるアジャンタは、現在麹町に店を構える老舗のインド料理店であるが、その前身は阿佐ヶ谷で生まれた。
同店はジャヤ・ムールティによって1947年に「カレーと珈琲の店・アジャンタ」という店名で創業された。

ここで注目したいのは、同メニューは「インドカレー店」の料理として出されていたわけではなく、あくまで「喫茶店」でのメニューの一つとして売り出されていた点である。

ここからは根拠となる文面が見つからなかったため、あくまで推測であるが、インドという当時の日本とは馴染みのない国の食文化を、どう商いとして成立させるか。当時の流行りであった「喫茶店」のメニューとしてインド料理を売り出すことは自然な流れだったのだと考える。

「いつか、東京にもっともティピカルなインド料理店をつくりたい‼︎」

浅野徹哉(1989)『風来坊のカレー見聞録 アジャンタ九段店の調理場から』早川書房


実際に、喫茶店のいちメニューとして始まったインドカレーは、その後、一定の地位を日本で獲得した。戦後は東京をはじめとしてインド料理店が開店していった。現在、インド料理は食文化の一つとして日本国民に当たり前のように受け入れられている。

そして、現在のインネパ料理店でも歴史が繰り返されているように感じる。

1980年代、日本ではエスニック料理ブームに伴い、インド料理店が次々と生まれた。インド料理店ではコックの存在が不可欠であり、インド移住者と同様、大勢のネパール人がコック要員として日本に呼び寄せられた。


その後、インド料理店で雇われていたネパールコック達は、ある程度の資金を得て、自分の店を持つようになる。
その際、インド料理の調理スキルがあったことも勿論だが、日本ではネパールという国はイメージが弱いことから、自国の食文化ではないものの、既に日本国内で一定の地位を得ていた「インド料理」店を営むようになった。

一方で、現在ではインド・ネパール料理店と呼ばれる様に、一見インド料理を提供している様に見えつつも、実は内装にネパールの国旗やエベレストの写真を飾っていたり、ネパール料理をメニューに入れていたりする。
この背景には勿論、近年増加するネパール移民に対しての集客目的もあるのかもしれない。
しかしながら、(個人的な思いも込めて)インド料理店を営み、経済的な権力を獲得していく中で、日本人や在日インド人、在日ネパール人のまなざしを受け、次第に自国の守るべきアイデンティティの重要性を見出したようにも感じるのである。

インネパ料理店でよく見るネパールの写真(筆者撮影)


当初は利益獲得のために、喫茶店のいちメニューとしてインドカレーを売りにした後、インド料理店を展開させていき、日本における自国文化の認知を構築したインド人。
同じくインド料理店を営みつつもネパール文化を店内に散りばめ、自国文化を次第に認知させていくネパール人。ちょっと強引かもしれないが、いずれもエスニック戦略とアイデンティティ形成の過程として興味深い共通点と言える気がする。




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