記録:妊娠初期


十月十日の記録



つわりがつらい。
食べては吐き、空腹感で気持ち悪くなりまた食べやっと少し胃に残り、という日々だった。
食べづわりと吐きづわり両方という感じ。
5週くらいから始まった。

麦茶狂だったのに飲めなくなったり微妙に嗜好は変わったものの、ほかの妊娠前から好きだったものは変わらず食べられたし、フルーツ、ナッツ、ゼリー、ジャンクフード系は好んで食べられたので、ちまちま頑張って食べてた。
確かみかんとか柿めちゃくちゃ食べてた。
つらいはつらいけど水も飲めるし、軽い方なはず、と自分に言い聞かせながら過ごした。


唯一はっきりNGになったのはおでん。
確か検査薬する前日とかに出汁割り飲みた〜いと思っておでん仕込んで、夜食べたらなんか気持ち悪くなって出汁割りどころではなかった。
それからは匂いもダメになり視界に入るのもキツくて残りは全部夫に食べてもらった。冬の時期だったからテレビ見てると不意打ちにおでん映ったりしてえずいてたな…未だに食べたいと思えない。



当初フリーランスでちらほら仕事をし始めたタイミングだったので働けなくなるのが惜しく、6週くらいの時につわりながらだとどのくらい動けるものなのか体験したくて出張撮影に行ってみたけど、不定期にくる吐き気の波に冷や汗かきながら過ごすのがかなりしんどかったので無理するのはやめて仕事はしばらくお休みすることにした。
その後、年が明けて体調が復活し始めた頃ちょろっと再開したものの、感染者数が急増していたこともあり大事をとって自粛。



ピークは確か11週くらいだった。
寝起きがいちばん辛くて、ベッドサイドに蒟蒻ゼリー置いといて目が覚めたら急いで口に入れてた。
健診行くのも辛くて外出るときは必ず飴が口に入ってないとダメだった。待ち時間は虚を見つめて耐えた。
クリスマスや年末、美味しいもの作ったり食べたりしたいけど思うようにできなくてつらかったな。でもチキンは買ってきてもらって食べたな。どうしても食べたい!!!!と思ってるものだと食べても吐かない不思議。笑

正直、最初は嬉しいよりも不安の方が大きかった。もちろん嬉しくて舞い上がったけど、それを遥かに超える不安。未知に対する不安と出産に対する恐怖。
ちゃんと無事に産んであげられるのか、一体どんな生活になるのか、あげるとキリがない。

「もう私だけの身体じゃないんだ、ここにいるんだ」ということを受け止めるのに時間がかかった。
自分の体に起こってることを受け入れるために産科のドラマ「透明なゆりかご」を一気見して、頭が痛くなるくらい泣いた。


なにを食べても食べなくても、あんまり寝なくても、へとへとになっても別に生きてればそれでオッケーだったあの自由が、もう手の届かないところにいってしまった感じがして、虚しい気持ちとえらいこっちゃという気持ちと。
ゆっくりだけど、実感していった。



最初に抱いていた漠然とした不安は、つわりとの闘いで考える余裕もなくなって、1日1日を超えていくので精一杯になって気がついたらどこかにいってしまっていた。
そしていつのまにか「お腹に自分とは別の命が在る」という奇跡が日常になった。

この日常の中で、「生命を維持させる」という責任の重さには時に押し潰されそうになるけど、これは十月十日、そして生まれた後もずっと続いていくものだから、しっかり2人で対応していくしかない。



徐々につわりがおさまってきたころ、出産準備品、育児グッズについて調べ始めた。
やたら数が多くてなにそれ?みたいな初耳のものばっかで途方に暮れたなあ、、、
偵察しにいったアカチャンホンポ、広さと無限に広がるアカチャンアイテムにかなり疲弊した。

でも情報収集してくうちに、そのアイテム達が必要かどうかは生まれてくる子の性質次第なのでは?という結論に辿り着き、産前は基本最低限の準備、必要になったら買うでいいねってなった。ポチればすぐ届くし。

絶対に使いそうなものだけ優先的に購入できるようにスプレッドシートにまとめて、評価高そうなの見つけたらリンク貼ってお互い情報共有できるようにして徐々に購入を進めていった。
あとなんだかんだで直前におさがり譲ってもらえたりしたので、結果的に焦って早期から揃えなくていいなと思った。ありがたや。


初期はこんなかんじの記憶。
中期に続く

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