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特別単独公演「CRYAMYとわたし」 / 日比谷公園野外大音楽堂 第四部

この時点で演奏時間は三時間をとっくに超過していた。

メンバーがいなくなったステージで、カワノは力を使い果たして尚、よろよろと立ち上がる。そして、スタッフから手渡されたアコースティックギターを手に持ち、マイクスタンドの前に四たび、立った。

ツアー「人、々、々、々」で、CRYAMYは全国各地をセカンドアルバムの曲を主軸としたセットリストで転戦した。そして、その各地のライブのエンディングナンバーを飾る楽曲を、カワノはメンバーのいなくなったステージ上で一人、アコースティックギターで歌い、奏でてきた。
カワノはギターを構えると、何も言わず、ゆっくりと客席に視線をむける。とうとう、ライブの終わりが目の前にやってきた。

息はすでに切れて呼吸も乱れている状態で、ゆっくりと、それでいて柔らかく、カワノは最後に向けて言葉を紡いでいく。音楽で言いたいことなんかこれだけだ、と、彼はこう言った。

「身体に気をつけて」

「悪い人もいるけど、いい人もいることを忘れないで」

「長生きしてね」

そういって、強くコードをかき鳴らしながら、「人々よ」の演奏が始まった。
ここまで強烈に喉を酷使し、肉体も精神も限界の中、振り絞るような演奏だったが、その声はパワフルに夜の日比谷を支配している。Cメロで、丁寧に、囁くように歌い上げた声からの、最後のサビでの巨大な歌声で、胸が苦しくなってしまった。
僕たち・私たちが生きていく上で、上げることなく閉じ込めてしまった声、上げても届かずに消えてしまった声、声にもならずに忘れていった声…「声」という二文字に、例えば「痛み」、例えば「悲しみ」、例えば「諦め」や「後悔」…一人一人の抱え、耐え、失ったかもしれないあらゆる全てを内包して、カワノは野音のステージで、一人のシンガーとして、命懸けで立ってくれた。立ち見席から思わず前に身を乗り出す人も、指定座席を外れて歩みを進めてしまう人もいた。声を殺して泣くものも、じっと真剣な眼差しで見つめる人も。年齢も性別もバラバラで、生きてきた環境すら違う、多くの人の声を、まるでこの空の下に解き放つことを許してくれたような、そんな時間だった。

「人々よ」を奏で終わると、カワノはふらふらと力なくアンプに手をつけて項垂れた。その、今にも倒れそうに揺れているカワノに急ぎ足でローディーが駆け寄り、肩を抱く。何か会話をしたところで、カワノはギターを受け取ってうなづき、また力のない足取りで一歩一歩、マイクスタンドに戻ってきた。

メンバー3人が順に入場。カワノには、アコースティックギターに変わり、いつものジャガーが手渡される。観客が固唾を飲んで見守る中、ギターは正しいチューニングを取り戻し、コードが一発、鳴り響く。

「きた」

そう呟いて、カワノは、視線を客席の方に向けた。

カワノはここに至るまで、ライブのたびに、歌を届けることと同様か、時にはそれ以上に多くの言葉を観客に投げかけ、手渡してきた。全国各地、さまざまな場所とさまざまな時の中で、彼が、時に気楽に、あるいは反対に、時にとてつもなく重く吐き出し、手渡し、受け止められてきたであろう言葉たち。それはこれまで、果たして、どれほどの意味を持って人に届いてきただろうか。
「たかが歌だ」「たかが言葉だ」と良く誤魔化すようにカワノは笑っていたが、その根底には、わずかでもそれらを信じる意志があったし、だからこそ、それを大切にしたライブをここまで続けてきたのだと思う。

数々のライブ・ツアーを駆け抜けてきたCRYAMYだったが、年々、段々とその歩みは遅くなっていった。地方に出向くことも無くなっていったし、海外レコーディングを挟んだとはいえ2023年に至っては散発的なライブ本数になってしまった。
そんな中で発表された全国ツアーとそのファイナルとなる野音ワンマン。そのツアー開幕直前、この野音に至る道のスタートとなったTour Day 0、カワノはこのように観客に語っていた。

「頑張れ。俺も頑張るから、みんなも頑張れ」

CRYAMYはその、互いに交わした約束を、ここで果たそうとしている。力強い視線をもってして、最後の力を振り絞った、四人の演奏が始まろうとしている。冒頭、「WASTAR」の第一音目を待つときのように、フジタ、タカハシ、オオモリがカワノに集中する。観客は、カワノが最後に何を言い残すのか、それをじっと待ち、見つめる。

そうして、このライブの最後、これまでの数々の届けられた言葉を、丁寧に端的に、そして最も力強く、総括するようにカワノが語ったことが、この、CRYAMYというバンドそのもののようだ、と思う。

「多分…いや、絶対だね。…絶対、この曲はみんなが、悲しかった日に一人で聴いた時もあっただろうし、車の中でムカつきながら飛ばしながら聴いた時もあっただろうし…通勤の時とか帰りのときの、携帯のイヤホンから聴いていた時もあっただろうし…」

「これからも…これからもずっと、みんなの曲だと思ってます。この曲は、正真正銘、「CRYAMY」と「あなた」…そのための曲だと思ってます」

「今日はありがとうございました!」

カワノの独唱が始まる。力強い歌声。最後にフィードバックノイズを重ね、それに続いて、カワノは三言、告げる。

「みんなのために歌います!」

「俺たちの歌だと思って歌います!」

「…ありがとう!」

観客は万感の思いでステージを見つめる。4名のノイズが響き渡る。最後の演奏が始まる。第四部最終曲、そして、この単独公演の最後の曲は、CRYAMY最大のアンセム「世界」だった。3000人の観衆はその一音目を受けて一気にうねる。この日最も巨大な音が日比谷野音に迫り、これまで彼らが積み上げ、伝え、残してきたもの全てを押し流すように、あるいは一人一人に託すように迫る。日比谷野音単独公演「CRYAMYとわたし」の最後が幕を上げた。

メンバー四人はすでに限界を超えているのか、ほぼ気力だけで演奏を続ける。その必死さが最後の最後、今日の日の最大の臨界点に至るための伏線だったかのように演奏は激しさを増し、進んでいく。その上に乗るカワノの声は、ヴァースではメロディを紡ぐというより、もはや歌詞を捲し立てて喋り続けるような勢いで、そこからの豪快にブチ切れる、それでいてコーラスでの四文字「あなたが」のメロディアスなシャウトが今日で一番でかい声で、奇跡のような演奏だった。
ギターソロを経ての長いインプロヴィゼーションに突入してからは、「終わるな!」と思わず声に出ていた。会場に集った人々は、それぞれがそれぞれのやり方で終わりに向かう彼らの姿を目に、身体に、記憶に焼き付けようとしている。
カワノはインプロの最中、ずっと絶叫していた。今日MCで語っていたことを再度反芻するように、彼は今日の三時間半をかけて観客に語ったことを、再度大きな声で身を捩りながら絶叫している。加速するビート、地を這うように揺らすベース、混沌を極めるギターノイズが、永遠にも一瞬にも感じられる時間鳴り響いていた。

インプロヴィゼーションを終え、三拍子のリズムに切り替わると、カワノはコーラス用のマイクを客席に向ける。そして、加速するCメロを終え、再度轟音が押し寄せ、

「うおおぉぉぉぉぉぉ!」

ブレイクし、無音の中、カワノの絶叫が響く。
そして、次の瞬間、四人の音が合わさり、そして、向けられたマイクに向かい叫ぶ我々の声が重なり、カワノの「あなたが」というメロディが、今日一番の絶叫を持って放たれ、加速する。爆音のノイズの中、繰り返される叫びの中、CRYAMYは最後まで全力で、命懸けで、そして何よりも巨大な音で駆け抜けていった。

最後の叫びを叩きつけ、バンドは最後の力を出し切ったかのように音を無軌道に爆発させる。
そのとき、カワノは、ギターを振りかざして地面に叩きつけようと、ギターを叩き折ろうと試みて、結局すぐにやめた。不思議なほどにいつも通り、小馬鹿にしたような顔でにやついて、地面にジャガーを放り投げた。そして、ステージ最前までやってきて、今度は真剣な顔で深くお辞儀をして手を合わせ、彼は今3人を残してステージからとっとと去っていった。
力を出し尽くすようにドラムを叩き切ったオオモリ、倒れ込んでしばらく立ち上がれなくなったタカハシ、マイクに向かい「ありがとう!」と絶叫したフジタ…フィードバックノイズを残し、彼らもまた続いて、日比谷野外大音楽堂のステージから姿を消した。
そして、全ての音が止まったのは、日比谷野音の規定の音止め時間キッチリの20:30であった。

静寂を取り戻した日比谷野音のステージには、観客の万雷の拍手と、惜しみない声援が、先ほどの彼らの演奏に負けないほどの凄まじいボリュームで響き渡っていた。ステージ上でスタッフがそれを制止するも、彼らは叫び、泣き、拍手をやめない。

「ありがとう!」

「ありがとう!」

「ありがとう!」

その歓声のほとんどが、これまでのCRYAMYのライブでいつも彼らへと捧げられていた、そんな感謝の声だった。

ありがとう、CRYAMY。彼らがこの日の最後の最後に決めた声は、万雷の拍手で届けられる「ありがとう」だった。こうして、CRYAMY日比谷野音単独公演「CRYAMYとわたし」は、「CRYAMY」の掻き鳴らす三時間半の轟音と歌と、美しく尊い「わたし」の声をもって、完璧に締め括られた。

力を使い果たし、痛みと傷をそこらじゅうに抱えながら走り切った四人の男たち。その最後の顛末は、結局語られることはなかった。筆者は「世界 / WORLD」を評して、「美しい映画ではなく、見るにたえないドキュメンタリー」だと伝えたことがある。
彼らが何を望み、何を求め、これからどういうふうに生きていくのか。わざわざ確かめたりは、僕たちはきっとしないだろう。ただ、あの美しい光景を、記憶が薄れ、思い出すことができなくなっていってしまっても…あの場に居合わせたという事実と実感を抱えて、彼らと同じように、これからも生きていくのだと思う。

この日の演奏を胸に、僕たちは生きていく。
カワノが伝えてくれたように、長く、健やかに、そして、自分を、他人を信じて。きっとできると思うのだ。だって、彼は言い切ってくれたのだから。彼らの歌は、「CRYAMYとわたし」の歌だ、と。

______________

数日経って、カワノに後日、どうしても確かめたくて、一つだけ尋ねたことがあった。

「ギターを破壊しようとしてやめた理由はなんだったの?」

カワノは、枯れ果てろくに会話もできない程の掠れ声を喉でくすくすと鳴らしながら教えてくれた。

「最後、もう力が出んくてね。握力入らんくて、持ち上がらんかったんだよ。だから、壊すのやめた。そんだけよ」

困ったような表情をしていた彼の顔が、僕が最後に会った彼の顔だ。

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