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「世界 / WORLD」オフィシャル・インタビュー8.ウソでも「ウン」て言いなよね / My Name Is Beautiful Liar

乾いたギターの音と、これまた乾いた囁く様な歌声からこの曲の幕は上がる。ここまで全曲、硬く重い轟音と掠れ歪んだ絶叫で叩きつける楽曲で徹底して固められてきたが、この曲の音像はこれまでのCRYAMYの質感に回帰したガレージロックサウンドになっている。しかし、これまでよりマイルドな質感で柔らかく、遠くの方で歌われる多声コーラスはふくよかな空間の響きを伴って鼓膜をまた違った意味で揺らしてくるようだ。

この楽曲は、ある意味では偏執的に自らの人生で体験した「喪失」や「欠落」を検問し、容赦なく批評する狂気で叩き上げることを課してきたであろうカワノの詩に、これまで決定的に欠けていた一つの側面がある。失うことを恐れる気持ちと、喪失を回避するために心を砕く、そんな姿だ。ここで綴られる思いは、このバンドを進めるにつれ「大切なものを失った」「もう何もない」と繰り返し主張するカワノの姿と反するように…もしくは、だからこそなのか、彼にとって大切な存在に向けて「失いたくない」と歌われている。

客観的に見てもCRYAMYは、カワノは、他人の存在を必ずしも必要としていない。それはバンドのスタンスや自由すぎる活動のスタイルにもよく反映されている。誰が欠けようが、何をなくそうが、お構いなしに日々を送るし、平然とする。誰も彼らを根本から揺るがすことは不可能だ。そして時にそんな姿は他者から憎しみも買うし、周りの景色を遠ざけてしまう。その限りなく寂しい男は、だからこそ眼前にいる障害を何度も超えて会いにきた人間を「よく来たね」と歓迎し、その都度大切にできるし、極めて素直な心情で歌を歌えるのだ。

そんな彼らがようやく口にできた「何かを失うことへの抵抗」は、カワノの自称する「無抵抗な弱者」という地点をわずかでも踏み出そうとする、美しい矛盾の様に響くのだ。

ラスト、またしても、カワノは耐えきれず絶叫した。まったく、こうすることでしか伝わらないことだ、と言わんばかりの、よくも悪くもな徹底的な一本調子は、ここまでくるとかえって清々しいよ。

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ー…こういう曲がカワノらしいメロディだから、安心する笑

カワノ 前半がああだからね笑

ー試練を乗り越えてようやく辿り着いた…って感じ笑 シンプルなガレージロックで…やっとっすよ、ええ笑

カワノ 不便なアルバムですんません! ようこそお越しくださいました笑

ー笑 この、多声のコーラス。これもすごく生々しい。コーラスって、もっと楽曲に馴染むイメージだったんだけど、本当に全く独立して歌ってるように聞こえる。

カワノ 珍しいっしょ。空間の反響しかり、一気に歌がパッケージングされてるからだと思うよ。あとは、伴奏に馴染むようにEQして声の帯域をいじったり、エフェクトをかけて飛ばしたりしてないから。もう、本当にとりっぱなした音。

…あとは、メンバーに歌わせてみたりとか。昔だったら絶対に嫌だったし笑

ーそう、それは思った。「あ、これメンバーみんなが歌ってるんだ」って。…っていうか、コーラス入れるの嫌だったんだ笑 

カワノ うん。

ーなんかこだわりがあってCRYAMYはあんまりコーラスやらないのかなぁと思ってたんだけど。

カワノ いや、シンプルに、マジで嫌だっただけ笑 基本的に、自分の書いた歌詞を歌わせたくないんすよ…。

ーひどい話だなぁ笑 …そもそも、なんで嫌なのよ。

カワノ う〜ん、理由は色々あるけどねぇ…。…あぁ、別にね、ライブ来た人が客席で歌うのはいいんだよ! それはもう、託したものだから、託された側は勝手にすりゃあええよ。でも、ステージ上の人間が、一種の表現として歌う、みたいなね、あれは自分の歌を自分以外のやつがやるのは、すごい嫌だね。歌がうまけりゃいいって話でもないし。

ーお前の歌詞を歌ってるときに、ってこと?

カワノ そうそう。まぁ、俺らも曲によってはほんのりコーラス入ってる曲もあるし、誰かがアレンジとしてやりたい、って言えばやらせてはみるけどね。第一、和音・和声として考えるなら正確に音符を当ててくれればそれでいいのかもしれんけど…そういう問題じゃない、っていうか。理想論だけど、歌に関して言えば、これはもう、自分がこめているものと同等の重さを引き受けるくらいの気持ちで歌ってほしくて。

ー…それはお前の分身を用意しろ、って言ってるくらい不可能なことだと思うけどね。

カワノ そう! 不可能なんですよ! どだい無理な話で。で、なんとかしようとしても、このお話は結局、俺と心を一つに! とか、そういう話になるし。でも、それは俺、ナシでさ、洗脳みたいで嫌じゃん。もうこれは、努力や矯正云々でどうにかできる次元じゃないわけ。言葉にする以上に凄く難しいニュアンスが俺の中にはあって。

ー偏屈なやっちゃな…。

カワノ …あとねぇ、そもそもの話…こんなこと言ったらあれだけど、俺ら四人が心を一つに、なんて、最初っから目指してないし笑

ー笑 バンドとしてはダメだけどね、それ笑

カワノ うん、だから、このバンドの、歌とか魂の重みは俺が全て引き受けてるんだよね。そこの領域での一体感とか、協力とか、そういうの、ないわけ、最初っから。誰に渡すわけでもなく、俺が全部持ってる。

ーでも、それはなんとなくわかるよ。作詞作曲者がお前、っていう意味でもそうだし、その、感情とか魂の部分では、あくまでお前の歌ありきなんだよね。歌というか、発する何か。ごくごく個人的なものに止まって聴こえてはいるんだよね、良くも悪くも。

カワノ でも、俺としちゃあ決して悪い意味ではない。リズムを刻むとか、フレーズをなぞるとか、外部じゃオペや照明がいて、それぞれの人間がいろんなやることがあって、背負う役割が一人一人違うってだけで。結果として、俺がそういう精神的な部分はすべからく抱え込んで重心を傾けることでバランスを保つ、っていうのがこのバンドにあったやり方だった、っていう話でもあるしね。むしろバンドらしいとすら思う。

ーなるほどなぁ。コーラス一個とっても、そこまで外界を切り離すことを徹底するのはしんどそうだけどな。

カワノ いやぁ、そんなことないよ。むしろ、こうやって「曲と俺」のセットから、他のあらゆる人の思想や人格・人生を切り離してるから、お互いにやることやれてるバンドだと思うんだよね、俺らは。

…なんか、バンドをやってると、チーム感とか、ライトな話だと仲の良さとか、もっとキモいのだと、メンバーやスタッフがボーカルを支えて…みたいなのを、すごい想像されるんだけどさ…。別に、そう努めることは素敵なことだとは思うけど、我々に関しては違うというか。…俺は極端な話、他3人のメンバーやスタッフ…お客さんもね、みんなが自然に過ごしていて、その自然体な姿が、俺の思ってることとか、俺の曲から反することや徹底的に衝突すること…もしあったとしても、これは俺、当たり前のことだと思ってるのね。

ーほお。

カワノ むしろ、その辺がこじれてるのがずっと普通な気もしてるし。なんでもいいんだけどさ、大の大人の男どもが5人、10人と集まってるチームだけど、俺たち一人一人の女の好みやプロ野球のチームの好き嫌いから、思想の右か左のどっちなんだ、ってディープなところまで、わざわざ掘ってないけど、絶対一人一人が違うわけだから。でも、それでいい。ただ、ここは俺にとって大事だから一線引いておこう、と、そういう部分に、俺の歌と詩があるわけ。

それでもやる曲にしてもさ、多くのコーラスは主にたかしこがやること多いけど、別に、たかしこに俺と同じ思考をなぞったり考えを統一してほしいとかは、もう今更、全くないわけ。俺の死んだ友達とか、家族とか親友とか彼女とか、そういう人を思った歌をさ、同じように思って、とかは不可能だし、求めないし。…キモいし笑

ーそれはそうね笑

カワノ んで、それとはまた…逆のベクトルで言えば、…めちゃくちゃ極端な話をするけど、そうだねぇ…(長考)例えば、ですよ。例えば…俺、子供に高圧的な大人が嫌いなんですけど…ある日、電車乗ってたら…たかしこが…あんな歌を歌っときながらめちゃくちゃ子供に冷たい、とかね笑 もう、赤ちゃんが泣いてたら、めちゃくちゃ不機嫌そうに舌打ちするとか笑(実際はそんなことありません)

ーはっはっはっ!

カワノ まぁ、「赤ちゃんに優しくしよう!」って歌は俺の曲にはないけど、ね笑 でも、これもさぁ、もしかしたら全くない話じゃないじゃん。あいつ、子供に冷たそうな顔してるし、なんなら誘拐とかやってそうだし。売人みたいな顔してるじゃん、なんか。

ー言いすぎだろ笑

カワノ で、もしこれが、「たかしこよ、コーラスは一体感! 心を一個に!」でこれまでやっとったらさ、俺の心のありようからは乖離しちゃってて…俺はもう、最悪なの笑 大激怒よ笑 そんな精神性でコーラス入れるんじゃねぇ!っていう。…それとか、たかしこが俺の嫌いなユーチューバーが好き、とか、もしかしたらそういう些細なことも気に触る日もあるかもしれない。…あいつばっか生贄にして申し訳ないけど…その、一体になることや、歌に気迫を込めることを追求し出すと、そういういろんなことが許せなくなるんだよね。自分の信念みたいなところから、ショッボイこだわりみたいな部分まで、自身の思う姿と反する人間が、歌うことが許せなくなってきちゃう、というか。それが、ちょっと怖いっすよね。

ーうんうん。

カワノ お客さんにもそうでさ。「CRYAMYを聴いてる人は、こんな人間でなくちゃダメだ!」とか、「明らかに黒い物でもカワノが白、っていうんだ、だから俺たち私たちも白って言わなきゃ」って、そんなのは望んじゃいないわけよ。もし、俺がそこまで望んでしまうようなことがあるのであれば、そうなるとまた話は戻るが、歌のテーマに殉じることを他者に強制することには結局なる、というか。それは嫌だし…奇妙な話じゃん、そんなの。宗教じゃあるまいし。俺たちはお客さんも含めて、一致団結! ってやってるわけではないし、精神性の部分を共有しているわけではないし、そこに厳密に同調しろ、っていう願いも俺が持ってないし、そうさせてない…。そんなんだったらさ、俺がわざわざ生い立ちも年齢も性別も違ういろんなひとたちがつどうフロアに向かって歌うことも、同様に、他のいろんな技術を持っている人の力を借りて音を出すことも、やる意味がないとも思うし。

歌の世界で「これは俺の心だ」って一線を引いてるからこそ、最悪、みんなとどっかで一個一個ソリが合わなくても…俺はいいと思ってるわけ。さっきのは嘘の例えだけどさ…仮に、たかしこがマジで子供を鬱陶しがってたとしても、それはもういいし、しょうがないわけよ笑 別にメッセージを発してるのは俺で、重みを背負ってるのは俺な訳だから、みんなは…もはやどうでもいい、っていうか。もう、逆に、たかしこがユーチューバーになっても…嫌だけど、いいよ…笑 楽器ちゃんとしっかり演奏してくれたらオッケーで。お客さんも、来て我々の演奏を見て、聴いてくれるだけでいい。

そもそも、メンバーもスタッフも、あの人たちは俺の書いてる歌詞とか、どういう精神性で歌っているのか、曲を作っているのか、とか、興味が昔からないし。ただ楽器弾くのが楽しい人たちとか、ただいい音を作ることが仕事の人たちの集まり、ってだけで。もう、この時点で何も一丸とやってないから笑 自分に与えられたフレーズを弾くとか、ライブに備えて練習をするとか、音を作って準備をするとか、目の前で自分がやらなくてはいけない仕事を遂行するだけ、っていう。ある意味ストイックで、だけど、いい意味で誰も責任感がない。それがいいんだよね。俺がその、魂的な部分はみんなには背負わせていない状態。…結果、これが一番俺もストレスなくやれるし、バランスがいいんじゃないかな、って思ってるし。

ーなるほどね。

カワノ 反対にさ、他3人やスタッフは俺に対して「お前、それはマジでやめてくれ」みたいなこと、これまでも今も、たくさんあると思うのね。人付き合いも嫌いだし、愛想もないしさ。人間性も終わってるから、人からも嫌われまくるわけだし。今は表面上すごく穏やかではあるけど、そこも結局は魑魅魍魎の世界ですから。いろんな輩と会う中で、穏やかではない神経に陥ることになる局面もあるわけで。

…音楽の領域でも、それはそうで。他3人のメンバーは、多分こんなアルバムになると思わずに新曲を待ってただろうし、いざ出来上がって、聴かされて、狼狽えて、やらされてる間も嫌だったと思うわけよ。アメリカにも連れ回されてさ。スタッフも、これをライブで、ってなると、そもそものマイクのチョイスからセッティングからやり直しでさ。

ーうんうん。

カワノ でも、みんなはため息ついたり、飲み屋で俺の陰口叩きながら、でも、それに対してはサボったり咎めないで、ただ仕事をこなしてくれてるわけじゃない。無理に俺の元に縛ってるわけでもないんだけどさ。…まぁ、事実だけ述べれば、お金を払って、仕事をしてもらって、っていうドライな部分ももちろん切り離せないけど…それ以上に、それぞれが俺も含め、互いに譲歩はしつつだけど、誰に縛られるでもなく、自分に従って、自分に与えられた役割を全うしてる、っていう。絆とか、そういう綺麗なもんじゃないにしろ、男の付き合いで成り立ってる感じ。

まぁ、結局、互いに、思うままにやることを許しあってるのかもしれんね。…で、まぁ、その上で…これだけは譲れないというものが俺にはあって。…コーラス云々もそうだけど、他にもね…音がどうだ、態度がどうだ、って色々、わがままは言うけど…。でも、まぁ、どれだけ身内でも、ある一線を引いたら、必要以上に…過剰に望みすぎないし、背負わせすぎない、期待しない、ってことだな。

ーなるほどねぇ。でも、お前もそういう同調とか一丸とかをメンバーやスタッフ、もっと言えばお客さんにも求めてないだろうけど、それはみてる側も求めてないっていうか。…少なくとも俺は四人が四人、好きにやってるのが、俺もみんなも想像するCRYAMYなのかな、って。

俺は嵐がギスってたり、ストイックになりすぎてシリアスになってたらクソ嫌だけど、お前らに関しては、別に…とっ散らかってようがまとまってようが、通常運転だから。そこは大して重要ではない笑 各々ぶつかってるのが、俺も、バンドっぽい…ちょっと古い、不良がロックやってた時代のバンドのイメージ。

カワノ そう。…結局、そうやってバラけることで4名のプレイの一個一個や、他のスタッフたち、…ビデオやアートワーク、グッズとか、そういうのも含めて、それぞれの感情や思考の発露が、それぞれの干渉しないところでデカく存在するわけでさ。それがかっこいいと思ってて。…一本槍になるカタさもあるけど、それぞれが役目を負ってぶつかりながら動くっていうカタさもある。

…で…これ、なんの話だっけ…?

ーコーラスを珍しくメンバーが背負ってるな、って。そうはいうけど、みんなで歌を歌っているじゃん。

カワノ あぁ、そうだ。…まぁ、その、色々言ったけど、一方では…ここまで理屈を捏ねておいて、すごい単純だけど笑 この作品においては…そういうこだわりとか厳格なところを崩して、…別に強固な理由はないけど、みんな、歌うか、って。自然と、ね。…その、まだやっぱ、ちょっと、って気分もないわけではなかったけど、シカゴに、スタッフみんなも含めて、来たんだぞ、ていう証拠をね、残したかった。声ってすごく人の存在を表すものだし、シカゴにももう滅多に来れるところではないしさ。

多分、その、意識の問題だけど、詞を届ける、っていうよりは、アルバム全体を通して、いろんな人が存在して出来上がった、って、そういう息遣いを…なぜこの曲か、って、これも理由はないけど、この曲に残したかった。…なんか偶然にも、みんなんで「ここで」ってコーラスしてるけど、うん…なんか、まさに「ここで」って感じ。本当に、キワキワのバランスで進んできた人間が、ここシカゴまで! って、これは偶然だけど、そう思うことに…今、した!

ーははは笑

カワノ ふふ笑 …シカゴにまで渡った理由は、勢いや賭けもまぁあるけどさ、何より自分のベストを尽くすこと、自分の足跡を音で残すこと…もっと言えば、単純にでかいことを成し遂げることが、本質を辿ればこのレコーディングにおいては一番重い、って、俺は思ってるのね。まぁ、みんながそこまで考えてはいなくても、俺はそれ、大事だし…メンバーもスタッフもね、こう、何かを残していってほしかった、ていう、我儘…ですね。

まぁ、あとは…知らん笑 みんながそれぞれベストを尽くしていた、というだけで。何を思ったか、何を感じたか、とかは…どうでもいい笑 ドライに聞こえるし、バンド幻想・共同体幻想をぶっ壊すようで悪いけど、はなから我々は、そういうバンドだからね、コレは。

ーコレって笑

カワノ まぁ、でも、そういう…非常に奇妙な集まりだけどさ、こういうアルバムは、だからこそできたのかな、ってね。…という、人と一線を引く、という話を散々したあとですが、この曲は紛れもなく、その一線を超えて誰かに向かって歌ってるんだけどね笑 ひどく矛盾をしている。

ーははは笑

カワノ 今に始まった事ではないがね笑

ー…この曲は、作詞に変化を感じるなぁ。あまりこれまでなかった表現があるというか。

カワノ そう?

ーこれから先の喪失を避ける努力、っていうのかな。…でも、中には努力も通り越してすごく強烈な言葉も使ってるけど。こういう曲なのにところどころではお前の露悪的なところが抜けきってない笑

カワノ ふふふ笑

ーでも、綺麗な景色と、内面の毒っ気が交互に映るけど、それはそれで、この歌の中にある愛情と、その覚悟の表れでもあると思えるから、アルバムの前半のような胸焼けする気分にはならないんだけどさ。

カワノ この歌は攻撃する対象に向かって吠えてないからねぇ。…例えが難しいけど、そうだね…。今まさに、巨大隕石が落ちてきてるとしよう、日本に。

ーあぁ、出たよ、カワノ・隕石論笑(カワノは極端な状況を例える時に確実に隕石が日本に落ちてきているのでそう呼ばれるようになった)

カワノ 笑 …で、前半の歌は、こう、その、降ってきている隕石にですね、「野郎! ぶっ壊してやる!」と、まぁ、力の限り迎撃するような、…で、ミサイルがのうなって(無くなって)茫然自失な感じ笑 一方で、こいつは、怯える家族に…その、防衛にあたってる俺がですね、「お父さんが死んでもお前らを守るぞ!」っていう、なんか、そんなイメージ笑 強い言葉があるけど、その、ニュアンスとしては「死んでも」っていう、そういう言葉を使うイメージですわ。

ーあぁ、なるほどねぇ。完全に「アルマゲドン」もどきだけど、わかりやすい笑

カワノ まぁ、物事をそうやって切羽詰まった状況でしか考えられない俺もおかしいのかもせんけどな…。

ー笑 でも、サビでは綺麗なコーラスと一緒に、一個一個、自分の美徳を並べて、それを捧げてる。…俺が思うにさ、カワノの歌詞は喪失している状態がベースというか…。ある意味徹底してるじゃん。

カワノ あぁ、そうかもねぇ。何かを獲得したとか、そういう喜びはあんまりそういうのは歌になっていかない。…まぁ、東京でそういうのがなかったのもあるけどさ。だし…いるか?そういう歌、って、思う。

ーうん。お前はそういうのを歌にする必要がない、と思ってるんだろうけど。「WASTAR」ですら、結局あれも、何かをうしなった人間のラブソングで。でも、この曲は、喪失に至る手前の視界を歌ってるよね。今ある大事なものや人を失わないために、できるだけのことをする、って歌詞。ラブソング。襲ってくる喪失に、恐ろしくて足がすくんでいるのではなく、むしろ、一歩前に出て失わないように身をやつす姿がある。

カワノ ああ、それはもう、今の俺が腹決めてやってることの表れだと思うっすよ。やっぱ、昔だったら喪失に対してどうしようもできなかった自分だったと思うんすよね。ぶっ壊れるものをただ見るしかできなかった自分。危機が迫っても狼狽えているしかなかった自分。

でも、今の俺は…冒頭に話したみたいに、時間軸がぶっ飛んで、今現在を生きている自分には、もうそんなに時間が残っていない。言葉をいじくり回して遠回しにして書いてる時間も、安全な場所を探したり作ったりする時間も、メソメソして味方を作ってる時間も、…もうなんもかんもないっすから。俺の体と、心と、歌しかない。俺が君に捧げられるもんは、もはや自分自身そのものしかないんだよね、という。

…あの、変な話ね、俺、これまでもずっと必死こいてやってきたけど、やっとっすね、こう、ここまでストレートになってる状態。…みんなからしたら、変な曲ばっかのアルバムかもしれないけど笑 …俺は今、すげぇ自分で真っ直ぐだと思ってる。…まぁ、その、世間一般の人が思う、ストレートで、王道で、素直で、…ってのとは、絶対違うんだけど。…そうっすね、仮に俺の真っ直ぐが、歪んでるとしたら、…俺はこれ、真っ当に自分の意志で歪めたんで。迷いなく、真っ直ぐ歪んだ、ええ。それは確実に言えるから。…そしてそれは、形はどうであれ、めっちゃ真っ直ぐじゃん、って…。

…やばいね、普通に言葉にしたらめっちゃイタくない? 大丈夫?笑

ーはっはっはっ!笑 ここまでぶつくさ小難しいこと言いくさっとったのに、って?笑

カワノ …マジで、音楽あってよかったっすわ〜! いや、これ、やばかったっすね、こういう気持ちを、曲にしてなかったら笑 素面でこれ、普通に恥ずいっすわ、急に笑

ー笑

カワノ もはや隕石、落ちてほしい笑

ーもういいって隕石は笑

カワノ ふふ笑

ーでも、そういう真っ直ぐなエネルギーっていうのは、…ぶっちゃけ、形はまぁ〜非常に、歪んでるけど笑 でも、形ではない、精神のストレートさは伝わってるよ。伝わってるし、特にこの曲はそれが、歌の形にも綺麗なメロディーの質感として表れていて、単純に綺麗な曲だと思うし。

カワノ …そっか!

ー前半の流れを聴いた時は、失礼ながら、めちゃくちゃ不安だったわけよ、正直笑 でも、アルバムを通しで聴いていって、この曲が流れたときに、その、お前のいうストレートさみたいなものは、俺も感じ取れた気がしたんだよね。…この曲聴き終わってようやく、「シカゴ、いって良かった!」みたいな笑

カワノ ふふふ笑

…この間、改めて録音が終わってから新曲聴いてみたんだけど…その時、すごいこう、清々しい気分というか。こういうアルバムを作って戻ってきたこと、自分のこれまでに区切りのついた感触、…なんかこう、しみじみきてて。スタッフからも、…みんな俺に会うと大体みんな嫌そうな顔するんだけど笑 なんかね、「見たことないくらい穏やかな顔してたなぁ」って言われて。この一連の制作を経て、自分の中にくっついてた重たいものが落っこちたんだろうね。

ーうんうん。

カワノ …やっぱねぇ、今になって思うのよ、俺はシカゴで本当に得難い時間を過ごして…これから先、音楽を続けてもああいう瞬間っていうのは訪れることはないだろうな、って。あそこが俺への…バンドを続けてきてから唯一のご褒美で、折り返しだったんだ、って。…まぁ、シカゴ、行ってよかったよ、本当に笑

ーいやぁ、本当にいいもん作ってきたよ。

カワノ …まぁ、この曲は、歌物っぽくなって、聴きやすくなって、サウンドが穏やかで…っていうけど、結局最後は大きな声で絶叫するけどね笑

ー笑

カワノ これしかできなくて笑 これぐらいやんなくちゃ、お前らどうせ伝わらないだろ、って笑

ーいや、でも、それがいいのよ。それこそ、サウンドの回帰による安心とかとは全く矛盾するけど、もはやこの絶叫でも、俺は「ああ、カワノにやっと会えたな」って気持ちになるというか。

カワノ う〜ん、この時何考えてたんだろう…。大きな声を出して気持ちよくなりたかったのもあるだろうし、何か胸に熱いものがあったのかもしれないし…。忘れちゃったけど。でもまぁ、おっきな声で叫んできたからね、これまでもずっとさ笑 …もうこれが、みんなにとっての俺の姿になってるのかもなぁ。

自分で作った歌や、それを大声で叫ぶ姿は…何もかも自分で受け入れて、引き受けて煮詰めて作り上げたもんではあるんだけど…それが、いろんな理由で自分だけの世界を飛び越して、誰かに届いて、残って…。さっきは、ワガママな自分のことばっか話しちゃったけど、ひょっとしたら、誰かの中に自分の姿を残せるっていうのは幸せなことだよね。それがさ、こう、長く生きてくると、そういうものは死ぬほど鬱陶しかったり、悪い理解者やくだらない仲間を呼び寄せてしまうこともあるけど…うん、もはやそれでもいいのかもね、そういう姿も、誰かの中に得られたんなら、嫌なことも、我慢できる。

…同じようにさ、ある意味、この歌も、俺から見たそういう誰かの姿に向かって歌ってるのかもしれないね。俺が獲得してきた誰かの姿。難しい話をたくさんしたり、ありえもしない約束をした人たち。一人一人、浮かぶんだよね。なくしてはいけない人たち。

ー…20歳超えたくらいから、ふっといなくなる連中も増えたしなぁ。

カワノ 本当にそうだね。…これからは、逃げ切った中年や老人は長生きするだろうけど、悩める若者はいとも簡単に死んでいく時代に入ったって、俺は大袈裟じゃなくそう思ってる。…でも、そういうふうに過ぎ去った人たちを思えば、眼球には彼ら・彼女らの姿も残ってる。

…さっき、喪失に抗う、って話をしてくれたけどさ、それは今生きている人たちだけに限ったことじゃないのかもしれない。とっくにいなくなった人たちの…俺の中に残ってる姿。まぁ、生きているうちに、何かしてやれたらよかったんだけどさ。できなかったから、俺たち。

ー…久々にお墓参りに行きたくなってきたよ。

カワノ …一緒にフィリピン、行く?笑

ー笑

カワノ 来年の夏くらいに笑 あっち〜ぞ〜! …でも、お墓参りで思ったけど、極端な話、俺たちは手放すことはたくさんあっても、失うものってないのかもしれんな。自分から手放さない限り、誰かの姿は、何か思い出の景色は心に残り続ける…失うことはないんだよね。お墓が残って、そこに誰かが足を運ぶみたいにこうやって歌にもなっていく。で、その歌にまた誰かが訪れる…。

…今思ったけどさ、こうやって歌にしていること、すごく大袈裟に聴こえるかもしれないけど…逆にさ、ある人が誰かから手放されないために、君のために力を尽くすよ、って、ただそれだけの歌なのかもね。何もできなくても。で、それで全然、いいしね。

ーうんうん。

カワノ それは、繰り返しの話になっちゃってるかもだけど、誰かのために力を!って心の動きの先の話だな。…結果、最後は何にもできずとも、誰もが無力でもいい…無力なままでも孤独ではなくなってほしい、っていうか。さっき、「待月」で、過程ではなく結果を問う、っていう、そういうメッセージの話をしたけど、一個、結果として何かを成す、の反対…「何も成せなかったということ」もまた俺にとっては大切な結果というか…そういうことを歌っているんだよね。ってか、…もはや、無力故の、って言うかね。無力だから、いずれ訪れる喪失を恐れるのかもね、人は。

ー何を成したか、っていうことを問うことは重いし、大事ではあるけど、一方では、何も成し遂げられなかったということそれ自体にも重みは存在する、と。

カワノ うん、そう。すげぇ難しいよ。矛盾してる、って言われるかもだけど、この問答は「結果」から目を背けないための、「結果」を問う上での矛盾を生まないための物でね。どちらも見つめる、っていう。そりゃね、「無力」を「無力」のままで終わらせて、一側面で切って捨てれば楽ではあるだろうけれど、決してそうじゃないっつうかね。その、何も産まなかったということ自体も「結末」ではあるわけでさ。…うまく伝わるかわからんが、「姿勢とか過程を評価しろ」みたいなのはファックと思ってるけど、その、最後ね…、最後、結末としてあるものは、何が残ろうが残らまいが、同じ地平で見る、っていう…。あぁ、まぁ、難しいこと言ってるから、わからなくても、いいけど笑

ーいや、わかってるから大丈夫だよ笑 でも、反対にさ、カワノ自身はこのアルバムで自らたくさんのものを手放していってるし、自分でも、「記憶に残ろうとか思ってない」って言い切ってるじゃん。もはや意識的に自分を蔑ろにする、っていう。他人のためにできる限りの力は尽くすけど、肝心の自分は大事にされる対象にカウントされてない。自分のすることに関してはすごく厳しいジャッジを下している一方で、自分自身の安定とか喜びは…ひょっとしたら意識的になのかもしれないけど…蔑ろにしてしまっている。それはどう思ってるの、自分で。

カワノ …まぁ…俺は自分のことはどうでもいいんだよね、自分がどうなろうが笑 これはあくまで俺から見た誰かへの行為、ってフォーカスの仕方で、そういう、喪失を恐れるっていう風情も、どこまで行っても自分の視界からの話でしかない。なので、対象が自分自身位は向いてないし、自分が損なわれようが知ったこっちゃない、っつう。…だから、自分の瞳ではどう頑張って自分を見ようと思っても不可能なように、自分を対象に入れてないんだよね。これはもう、正直に言い切っちゃうけど。

ーそっか…。

カワノ まぁ、その、みっともない、と思ってるんだよね。「俺のこと大事にしてくれよ〜!」みたいなの笑 それをする人のことを否定する気もないし、そういう人を見た時にクソだ、とは思わんけど、自分でそうなっちゃってる自分を想像したら、そういう姿で生きてるのはみっともないし、それは格好がつかないなぁと思うというか。そうしたいんだったら、こうやってわざわざ人に聴かせる形で世に出す意味がわからない。

ーなるほどな。誰かに大事にされるために歌ってるわけではない、と。

カワノ でも、だからこそ良いわけじゃん。その…「自分を大事にする」って意味合いとは全く違うけど、「街月」でさ、自分に対して慰め歌うこと、っていう話をしたけど…その、この歌は、歌を向ける対象に自分を含んでいない感情だから、歌詞はどこまでも純で、実際であると思ってるんだよ。自分を対象にしてしまうことで生じる、例えば、狡い感情とか、卑劣さとか…どうしても己から湧くものを落とし込む余地がないから。そうやって、この歌は、自分がぽっかりと抜け落ちることに成功したから大きな意味を持ってるんだよね。

ーでも、自分に向かって歌う、自分のために歌う、って側面が完全に抜け落ちるのは歌い手としてどうなのか、って思っちゃうけどね。ある意味じゃ不自然とすら思うけど。

カワノ うん。だからこそ、次に自分が自分を見つめる、歌える「天国」を置いたんだよ。ラスト2曲…「人々よ」を歌って、一番最後はちゃんと俺の歌で「世界」を叫びきらないといけないから。だから、「天国」、歌うんだよ。自分めがけて。俺もお前も、含めてだ、っていう。

だからまぁ、いいわけさ。この曲は、俺から誰かへ、に終始することは。最後、本当に美しい世界というものを歌うためには…俺はまず身も心も、そいつに向かって捧げることを約束せんといかんのだからね。

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