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特別単独公演「CRYAMYとわたし」 / 日比谷公園野外大音楽堂 第一部

日も落ち切らない16:55過ぎ。かつて彼らのライブの出囃子として鳴らされていたというJoy Divisionの「Disorder」をキッチリ一曲流し切り、17:00、静寂の中、カワノ以外のメンバーたちが入場。リラックスした様子の彼らに向かって飛び交う歓声は、約3000人収容の会場を後方までしっかりと埋め尽くした観客の数だけある。それだけに、響く声はまさに体験したことのないほどの大きさだが、その声たちはどこか緊張感を含んでいる。日比谷野音には少しだけ風が吹いており、その風は彼らの身につけていたシャツや髪、頭上に掲げられたフラッグを揺らしていた。
メンバー3名が楽器を抱えた頃、カワノがゆったりとした足取りで現れ、観客席を一望しながらマイペースにステージを横切った。決心の表れだろうか、それともいつものようにただの気まぐれか…約一年前、トレードマークでありチャームポイントでもあった長髪を何の躊躇いもなくバッサリ切り落とした頃から、彼はこれまで隠してきたバンドを始めてからここに至るまでの痛みや傷を、アルバムで、姿勢で、発言で曝け出し始めた。それは見ていてこちらも苦しいほどのもので、疲弊し、心をすり減らしながらも力を振り絞ってこの日に向けて走り続けてきた。
常に人間の生を描き出してきたバンドの、最も死に接近したようなアルバムを作り上げ、そのツアーを周り終えた、そんな彼の表情までは、ここ後方立ち見席からの距離では窺えない。しかし、おそらく彼もまた複雑な心境を抱えながらステージに立つことを選んだのだろう。あるいは、さっぱりと何もかも削ぎ落ちた無の境地だろうか。今となっては確かめようのないことだ。

カワノがギターを抱え、マイクスタンドに息を吹きかけるその直前、彼はその身に驚くほど張り詰めた空気を纏った。場の緊張。観客の一瞬の硬直。メンバーがカワノに合わせるべく身構える。その瞬間に彼が吐き出した歌は、4名が開幕の一曲に選んだ曲は、カワノの独唱をもって、「君のために生きる」と宣言する「WASTAR」だった。

日比谷野音には、野外ステージという関係でその他の例に漏れずに厳しい音量制限は(おそらくだが)あるはずなのだが、笑ってしまうほどに音がデカい。なんら日々のライブハウスに劣らずの轟音が飛び込んでくる。むしろ、野外ステージという特性か、CRYAMYのメンバー・スタッフ一同がこだわり用意した最高のサウンドシステムの力か、格段に思いを込めてメンバー・スタッフがよく準備してきたであろう演奏が、屋内ライブのように音がこもらず反射せず、その場に留まらずにどこまでも飛んでいく。むしろ、ようやく何物にも阻まれず飛んでいくこのサウンドこそが、これがCRYAMYの真骨頂なのではないか。
彼らの演奏はミステイクや揺らぎも魅力に変えて非常に生々しく聴衆の鼓膜を揺らし、その推進力がカワノの一曲目からありえないほど全開の声を潰さんばかりに歪ませた叫びを飛ばしていく。結局、この一曲目で既に高まり切ったテンションはついに最後まで落ちることはなく、むしろ終演に向かって凄まじい角度で上昇し続けるだけだった。

そして何より、それを受けて波を打ち、震え、受け止める大観衆の姿がそこにはある。
2019年6月に東京・DaisyBarで初めてのワンマンライブとして開催され、昨年の渋谷クアトロ、そしてこの日の日比谷野音と、ワンマンライブは必ず「CRYAMYとわたし」と名付けられてきた。この公演の、ある意味真の主役である観客一人一人の存在は、CRYAMY4人が大切に思い、守ってきた大事な人で、その一人ひとりが生きてここにたどり着いたことが、何よりも美しい出来事だったのではないだろうか。
手を上げるもの、涙を流すもの、彼ら4人の姿を見逃すまいと視線を向けることに集中するもの…彼らを見届けるべく集まった一つ一つのエネルギーと思念が渦巻き、一曲目にしてもう日比谷野音はCRYAMYのためだけに存在するフィールドになっていた。

こうして彼らをこれまで支えてきた人間が3000人近く集まったという事実は非常に美しく、一見すると素晴らしいサクセスストーリーのように思えるかもしれないが、振り返ってCRYAMYの歴史を辿れば、実のところ、彼らは結局ここまで恵まれた環境に置かれることはなかった。

結成まもないころ、同世代のバンドがすぐにリスナーの支持やなんらかの後ろ盾を得て駆け上がる一方で、彼らはいつまでも楽曲のヒットには恵まれず、また、業界の人間によるサポートを受けられずにいた。結局、最終的に限られたスタッフと共に全て自分のレーベルを拠点に活動する、という方法をとることを彼らは選んだのだが、表には決して見せなかったがその道のりは、他のバンドやアーティストに比べても非常に険しいものだった。
だからだろうか、彼らの活動には…「DIY」だとか「自主レーベル」だとか、耳障りも良く、また、ときに有象無象のバンドがそれをカジュアルに(時にバックの大人の影を隠す意味で)主張するのを見ることがあるが、そばで見ていて、そんなものとは到底比べ物にならない必死さが彼らにはあった。日本ではまだまだ類例の数少ない完全自主でのバンド活動という非常に過酷な道を、20代そこそこの頃から彼らは歩んできたのだ。
大規模プロモーションやSNSマーケティングに頼らず、フェスティバルやプレイリスト枠への参加交渉、金の話、その他あらゆる音楽業界の政治的なしがらみを軽蔑拒否して、自分の足だけでできる範囲のことをやって観客の支持を得ることにこだわってきた。そんなやり方で、他のバンドよりも時間をかけてしまっても大箱でのワンマンや自主企画をソールドさせてきたし、無謀と言われていた海外レコーディングすら実現し、自力で成し遂げてきた。
加えて、彼らの演奏を届けるためのさまざま力を貸している周辺スタッフすら、彼らが都度、雇い入れているような状況だ。
ひょっとすれば、普通のバンドであれば、カワノやそれについていくメンバーがかかなくてもいい汗を彼らはかかざるを得なかったのかもしれない、と思うこともある。

そして肝心のライブ活動も継続が難しかったことは想像できる。彼らはライブをすることを愛していたが、その想いは届くことはなかったようで、この国に数多くあるはずの演奏の場に、ついに居場所をつくられることはなかった。各地イベンターやライブハウス、フェスの用意するステージに名前を挙げられることは、どんなアルバムを作ろうがほとんどなかったように思う。さらにいうならば、クアトロやリキッドルームといった、所謂収容数の大きな大箱と呼ばれる会場で演奏した回数すら、ついにここまで両手の指で数えられるほどしかなかったのではないだろうか。
だからか、音楽業界やライブ・コンサート興行を司る人間の誰にも必要とされずに、彼らはいつも自分の主催イベントやリリースツアーで全国を回っていたように思う。自分達で抑えられる範囲で曲を出し、場を用意し、ツアーを回ることでしか演奏の場が与えられることがなかった。結局、それもいろいろな無理があったのか、2022年末〜2023年以降は徐々にライブの本数自体も減っていき、翌年アルバムを伴って何とか全国ツアーを計画するも、この日の野音ワンマンをもって、ライブのオファーをことごとく断ってしまっていた。どこまで行っても、大好きな場所すら自分で用意して自演するしかない、そんな寂しいバンドだった。
実際、彼らの音楽に触れてきた人間というのは、同世代を生きたバンドたちと比べると極端に絶対数は少ないだろう。そもそも初めから決して潮流を捉えた音楽ではなく、かといってメディアを使った派手なギミックやSNSでの人の関心を引くための下らない手段を取ることもしなかったため、彼らがリリースをする・ライブをすると言う情報は、おそらくほとんど世に広くは届かずに消えた。世間が彼らを見つけて騒ぐこともついぞなかったし、その歴史がアーカイブされることもなかった。だから、彼らの存在は、限られた、彼らを本当に必要とした人間にしか届くことがなかった。

だが、この景色を見たらどうだろう。彼らやここに集った人々はどう思ったのだろう。ここに集まった一人ひとりが抱えてきたであろうさまざまな感情渦巻くこのステージが実現したのなら、その受難の日々もきっと大いに報われたのではないかと想像する。冒頭の「WASTAR」から「crybaby」までパンキッシュに駆け抜け、立て続けに演奏した頭の4曲を終えて、カワノが日比谷野音の会場を完全に埋め尽くしている客席を睨みつけながら「これを見たらどうでも良くなった」と呟いたように、日比谷野音に集った一人一人の表情を見たら、これまでの苦悩や悔しさはもはやどうでも良くなったのではないだろうか。そして、それは彼らを応援してきた、ここに駆けつけることを決めた人々も同様に。
CRYAMYはどんな逆境でも諦めなかった。自分のケツは自分で拭いた。仲間を大事にした。周りに流されなかったし、ダサいことや卑怯なことは絶対にしなかった。その上で、最後に届くべきところに届いた。そして、それに大いなる意味があった。これほど、彼ら四人にとって嬉しいことはないだろう。それは、彼らに携わった数少ない仲間たちも同様だ。信じた人間に託した思いを、投げかけた言葉を、また誰かがこうして返しにきてくれたのだから。

「みなさん、よく来てくれました」

優しく呟いて、カワノのギターが再度音を出し始める。ここに集まった一人ひとりの表情を確かめた後、感謝と共に「ステージから見るみんなのいろんな顔を見るのが好きだった」と観客に告げて、「まほろば」。そこからは8曲ノンストップの怒涛の展開を見せる。

次々と繰り出される楽曲の緊張感と、ワンマンライブならではの時間を贅沢に利用した、新旧折混ざるセットリスト。随所に差し込まれた、スティーブ・アルビニの職人技と献身によって生み出された「世界 / WORLD」の不穏なムードを纏ったハードコアゾーンの楽曲は、頭上の青空を音で黒く塗りつぶすように叩きつけられていく。このアルバムの随所に差し込まれた数々のロック・レジェンドたちの楽曲からの引用・オマージュも、旧作の楽曲たちと混じり合うことで、いい意味で彼らの楽曲に違和感を与え、フックになっていた。

「世界 / WORLD」の楽曲は、その特異なサウンドとあまりにも攻撃的な印象から、帰国後の数本のライブやその後の全国ツアーで主軸となり演奏されてきたものの、チャートアクションの派手さとは裏腹に大いに賛否を巻き起こした楽曲たちでもある。それゆえに、その変貌を目の当たりにして彼らに別れを告げて離れていく人もいたであろう。しかし、そんな異物ともみなされてきたであろう楽曲たちは不思議と完璧に彼らのセットリストに溶け込み、むしろ楽曲の持つ鋭さと重さがライブの深みを増すのに非常に効果を発揮していた。かつて作り上げた楽曲の支えを受けながら…逆に、かつての楽曲をより強靭に推進しながら、CRYAMYの歴史に完璧に飲み込まれ、入れ替わり立ち替わり、次々と繰り出されていった。
それを象徴するような、前半のハードコアパートの白眉は「豚」〜「E.B.T.R」の流れだった。オオモリのキープする不穏なリズム進行の上を泳ぐタカハシの冷静なベースラインと、フジタの超不協和音のアルペジオとファズで潰れ切った轟音を行ったり来たりする「豚」で作り上げたヘヴィなムードを飲み込んで地続きのまま、メロディのメランコリックさを保持しながらも音源よりもより凶悪で残酷な響きを伴って届けられる「E.B.T.R」。「世界 / WORLD」の先行カットの意味合いが強い「#3」と「#4」だが、まさにこういうケミストリーを起こすために過去に並んだ楽曲は生み出されていたのかもしれないと、唸らざるを得なかった。

長編曲「HAVEN」の演奏後、静寂を挟む。メンバーはギアが上がって熱る体を沈めるように俯きがちにいるように見えた。しばらくしてカワノが口を開き、懐かしむように亡くなってしまったかつての友人を偲ぶ。そうして選ばれたのは、もう数年ライブで演奏されることはなかったであろう「物臭」だった。客席からは悲鳴を抑えたような、複雑な心境を伴った声がそこかしらから漏れ出ていた。レーベル設立前にリリースされた自主制作のシングルである「crybaby」収録曲で、観客からの支持はありつつも、カワノ曰く「友達をネタにしてるみたいでやりたくない」と、ダントツで披露されることが少なかった楽曲である。

長いようで短い彼らの活動期間の内で、CRYAMYを愛する・もしくは愛していたが離れていった一人一人(この日彼らを支えたスタッフたちも含め、だ)が、このバンドの歴史に立ち合い共有した時期はそれぞれ違うだろう。
デイジーバーで数人の観客の前で無軌道に汗をかいていた時期から、気分やその日の調子で良いライブも悪いライブも交互にやっていたような時期、そして、今の完成された演奏と歌声で観客を圧倒していくようなスタイルの時期まで、ここに集った人が彼らと出会った時期は千差万別であり、ひょっとしたら同じバンドなのに全く別の印象を抱いているのだろう、とも思う。結成時から非常に厄介なバンドでもあるCRYAMYは目を背けられ、軽蔑され、離れられてしまうことは、全くもって責めることができないほど仕方のないことで、彼らは昔から歪つで、ヘンテコな集団だ。彼らを「最悪のバンド」と評す人も何人も見受けられた。だから、おそらくだが、彼らの全ての歴史を、目を逸らさず、常に居合わせ、共有できた人はごくわずかだったかもしれない。
でも、こんな日を迎えることができて、「物臭」をここで聴くことが叶って、少なくともこの場に居合わせた人たちにとっては、彼らの背中に少しだけ追いつけた、そんな喜ばしい日にもなることができたのではないだろうか、と思った。もちろん彼らを好きになった歴など関係ないのだが、ひょっとしたら少しだけ寂しさを感じさせてしまっていたかもしれない、人によっては埋めがたいと思われた空白の日々を埋めるには十分な素晴らしい楽曲のチョイスだった。
何より、カワノはああ見えて、時にファンサービス精神の旺盛な男だ。そして、4人とも愛想はないが、実に観客を(少なくとも、目の前に姿を見せてくれた人たちのことは)とても大事にしている。
歴の長さや居合わせられたライブハウスでの多くの事件の数に関係なく、この一番大事な瞬間である日比谷野音ワンマンという、ここを逃さず目に焼き付ける・ここまでを見届けることを選んだ人間には、実は最初から決められていたような、当然のご褒美だったのかもしれないと、少しだけ想像してみた。そして、そもそもがこの日のために整え、準備されてきた演奏は、この日、駆けつけた人一人のためだけに用意されていたのだろう、ということも。

旧知の友人を偲ぶ「物臭」を経て、その友人との思い出を歌ったと言われる「Delay」、そして再会の叶わない全ての人を思う「ALISA」と、特定の喪失と人物に当てられたと思われる実にパーソナルな歌詞を、寂しさや悔恨も隠すことなく連ね切った頃、日比谷野音に降り注ぐ日差しは角度を変え、段々と風景が変わっていった。

夕焼けに照らされ始めた野音を再度一望して、カワノはギターをつま弾きながら、つらつらと言葉を積み重ねていく。
隠すことなく、彼は自分の本性のようなものを、やや偽悪的に感じる語り口で切り出そうと喋り出した。綺麗事のような歌を愛したこと。しかし、己の醜さは直視できないレベルに達した最低の人間であること。中でもショッキングだったのは、明確に自分の暴力性を懺悔したことだ。人を殺そうと思ったことがあること。そして、カワノにとっては、生きていてはいけない人間だと思う奴もいるということをなんの躊躇もなく吐き出したことだ。
しかし、その後に続く言葉で彼は、ここまでバンドを通して出会った多くの人たちの前に立つことで、出会った人たちのおかげで、そういった本来の汚い人間ではなく、自分が歌にするような心から望んできた人間であろうと努めることができたことを、この日集った観客に感謝した。そして最後、その独白はこんな言葉で締め括られた。真摯に、真っ当なトーンで、どうでもいいものなどない、と宣言するように。

「皆さんのお陰で人間になることができました」

自分を否定するしかなく、バンドを続けていく中で時に他者からも大いに否定され、騙されて、素直な人間性を失うしかなかったカワノのこれまでの旅路。そんな男の理想は、あくまでも正しく清い、人らしく人であることでしかなかった。
それは彼が既に取り戻すことのできない人間のありようだ。カワノ自信が自分を評して言うような、残酷で、野蛮で、冷酷冷血で、他人を省みることなく、同時に、自分の人並みの時間や穏やかな暮らしも必要ないと切り捨てた最低の人間の対極にある姿。それが歌われた大曲「GOOD LUCK HUMAN」が、沈む夕日を望む歌詞世界とリンクして連ねられていく。

その演奏の進行と共に、バンドの放つ爆音の音圧は高まっていく。これまでカワノから大いに振り回され、傷つけられてきた3人のメンバーが轟音を歌に被せていく。彼らとは互いに憎しみあってバンドを続けてきた、とカワノは随所で強調して言ってきた。果たしてその真相は不明だが、3名は尋常ではない集中力と強い覚悟で彼の背中に向かって音を浴びせ続ける。そこにある感情は、おそらく3名が3名とも、違うはずだ。「背中を押してあげるよ」の歌詞を受けてのギターソロで、3名が出す音はピークに達し、その爆発を持って日比谷の景色を巻き込んでいく。一瞬で駆け抜けるような8分間の音の洪水は、4人のこれまですら押し流してしまうように、濁流を日比谷野音の客席に流し込んでいった。

そして、最後に鳴らされた、彼らのアンセムの一つである「ディスタンス」が、彼らの余力を絞り出すように爆音でかき鳴らされた。加速する速いビートと音の洪水を絶叫が食い破ってどこまでも飛んでいく。CRYAMY誕生と共に生まれた彼らのはじまりの歌は、この日のために生まれてきたように、この場に集った一人ひとりのめずらしい人生を賛美するように、悲しい歌で掬い上げるように、壮絶に飛び立っていった。

カワノはこう言っていた。

「バンドなんかやっててもあんまり楽しいことなんてないし、楽しいからバンドをやってるわけじゃない」

「ある意味、そういう悲しいし惨めなやつがバンドをやってるから、みんな俺のことを信頼してるんだ」

彼は悲しい歌を、このような悲壮な覚悟でこれまで使いこなし、一方で、今日ここで使い果たそうとしている。今日のためのこれまでだ、と、野音の大観衆に示すように、轟音と絶叫をもって第一部は締め括られた。

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