見出し画像

プーさんの街に6か月暮らして

はじめに

留学生活も残すところ2か月となった。
一度くらいは留学生らしい体験記のようなものでも書こうかと思ったが、それに見合うほどの華やかな体験をしてきたわけでもない。

そこで今回は、私が留学を通して体験した「ある違和感」と、それを通して何を考えどのような結論に至ったかを記す。


私にとって「引っ越し」というイベントは、幼いころから至極日常的なものだ。転勤によって頻繁に住む場所が変わり、小学校を卒業するまで5年以上同じ場所に住むことすら経験したことがなかった。
中学受験を通して再び新たな環境に身を委ねることになり、引っ越すことはなくとも自らの交友関係は大きく変化した。そして大学進学の際には、実家を離れて一人暮らしを始めることを選んだ。現在はカナダに留学中で、これが人生で7度目の引っ越しだ。

つまり、私にとって「変化し続ける環境に身を委ね、その場所で自分は何を求めどう行動するのか」が当たり前のスタンスとなっていた。今までもこれからも、この考えは自分を形作っていくための揺るぎない要素のひとつだろう。


私の在籍する所謂「国際系」の大学では、想像していたよりはるかに多くの価値観に出会った。常識や既成概念といった「当たり前」にとらわれず、地域や言語を超えてそれぞれの目指すものに向き合う姿勢は、これまで私が持っていた価値観に刺激を与え続けてきた。

私の通う大学は1年間(2学期)の留学が義務付けられており、私はカナダのとある大学へ留学することに決めた。留学することに対しての抵抗感は全くなく、これまで幾度となく引っ越ししたときと同じような体験をして、新たな環境への順応を感じ始めたころに帰国するのだろうなと思っていた。
とはいえ、海外に居住した経験がなかった自分にとって、何の面識もない土地にいきなり放り出される感覚はとても新鮮だった。

バスを小一時間乗り継ぎやっとの思いで大学についたと思えば、入寮手続きは翌日の昼からだと言われ大学構内のベンチで一泊。翌日は学食もまだ営業していなかったため往復で10㎞先のショッピングモールに歩いて行くなど、何も知らないなりに楽しみながら生活していた日々がつい先日のことのように思い出される。
異文化を肌で体感するだけでなく、ここで稼いだ単位を日本に持ち帰ることも同じくらい大切だ。何とか毎日講義に出席し、久々に真面目な学生生活を送る覚悟を決めたのも留学ならではの日々だった。

中央アメリカの冬は想像よりも厳しかったが、慣れてしまえばそれほど苦にはならなかった。数字を見ても想像がつかないほどの寒さのはずだったのに、「-15℃になれば暖かいほう」などと平気で考えるようになったほどだ。
今でこそ不自由なく生活しているが、たった数か月で異世界に馴染んでしまう人類の適応能力には目を見張るものがあると思う。


母国から遠く離れれば離れるほど、故郷を恋しく思う気持ちが高まるのは自然なこと。私も幾度となく友人や家族と連絡を取り、その全てが力強い心の支えとなった。今やSNSを通じてリアルタイムで思い出を共有しあえる時代。面白いと感じた出来事を積極的に発信し、それに対する反響にささやかな喜びを感じていた。

当然、世界各国に留学している大学の同期もこぞってSNSに近況を報告しており、お互いにどんな日々を過ごしているのかが手に取るように伝わってきた。普段はほとんど投稿すらしないような人でも積極的に近況をシェアするような様子を見ていると、我々にとって「非日常を体感する」ことがいかに刺激的で、それをシェアするSNSの存在がどれほど大きいのかを改めて思い知らされた。

留学して最初の学期が終わればどの大学も長期の休みに入り、大学生たちにとっては天国のような時間が訪れる。たくさんの同期が世界各地を訪ね歩き思い思いの時間を過ごす様子をSNS越しに眺める時間は、疎外感とはまた違った不思議な感覚だった。

その一方で、私はまだ見ぬ世界へ旅立つような気持ちにはなれなかった。絶え間ない引っ越しを乗り越えやっとの思いで新天地に順応したことで、ようやく腰を据えてのんびりできる時間を満喫したかったのだろう。新たな趣味を開拓したり映画やアニメに没頭したりと、自分なりに充実した時間を過ごしていた。偶に外出し、ホームセンターやリサイクルショップなどに入り浸る様は自分でも自信を持って「一風変わった留学生活」と形容できるようなものだった。

独りでいる時間が増えたため、今まで以上に自分の進路や生き方について考えたのもこの時期だった。就活の足音が近づくにつれ、自らの経験に則って築き上げてきた信条や原動力を整理し、論理的に説明できるようにしておきたかったのだ。

どんな経験が自らの人生に大きな影響を与えたのか、生きていく上で大切にしたいことは何なのか、どんな長所を突き詰めどのように短所を改善するべきなのか…
時には友人の助けも借りながら、”今ここにある自分”を形作った人生観を少しずつ再構成していった。対話を通して客観的な視点を取り入れるだけでなく、自分の意見を言語化することで改めてそれを築いた過程に気づかされることもたくさんあった。

これほど深く丁寧に人生を振り返り、複雑に絡み合った記憶と感情のひとつひとつを読み解き新たに編み上げる作業は、まるで心の拠り所だった信念を疑い根底から検証していくような作業だった。その過程で様々な一貫性と矛盾を見出すことに面白さを感じた反面で、自己と他者が時には衝突しあった中で育まれた複雑な思いを自らの目の前にさらけ出していく作業は決して心地よいものではなかった。

そんな孤独で内省的な毎日を過ごしていると、必然的に「留学中の同期は何をしているのだろう」という疑問が浮かんでくる。SNSを開けば、そこにはたくさんの素敵な写真や文章がひとつひとつの思い出を雄弁に物語っていた。「○日間で△か国訪問しました、明日からは◇と✕に行きます!」などという投稿を目にした日には、彼ら彼女らの行動力の高さに目を白黒させていた。

「人の持つ花は赤い」と言うように、そんな様子を毎日バリエーション豊かに見ていれば自然と羨ましく感じてしまうのが人間の心理というものである。自分なりに新発見の連続の日々を過ごしていても、SNSの窓に映る色とりどりの景色には敵うはずもない。まして過去の自分に向けられた剥き出しの感情に再び晒される日々は、楽しみどころか苦しみばかりが押し寄せてくるものだった。
いつしか「同期はこんなにも楽しそうにしているのに、自分はどうしてこれほど辛い日々を送っているのだろうか」というネガティヴな感情が心の中で大きくなっていた。

とはいえ、年末年始も自身の行動に変化が芽生えることもなく、ひとり静かに自室で過ごす日々が続いた。気が付けばあっという間に新学期がスタートし、少しだけリフレッシュした心で前の学期の経験値と共に新たな日常生活に引きずり戻されていった。


転機が訪れたのは1月中旬のこと。年末年始にヨーロッパや北アフリカなどを旅して回っていた友人と飲んだ時のことだった。彼もご多分に漏れず多少の無茶をしてでもたくさんの国や地域を回り、様々なヒトやモノと交流したことを楽しそうに話してくれた。
彼の話に私の好奇心は確かに刺激されたし、面と向かって話を聞くと旅の醍醐味が手に取るように伝わってきた。それと同時に、私にはそのような旅は合わないし楽しめないだろうということにもはっきりと気づいた。例え無理して真似してみたところで、恐らく得られるものはそう多くないのではないかということすらも感じていた。

SNSのフィルターを通して、他人のいいところばかり目にしていないか?
そういった冒険をどんなに羨ましいと思っても、本心ではそれを望んでいないのではないか?

そして、自分とは違う生き方を羨むのではなく、それを踏まえてどのように自らの価値観を豊かにして「自分らしさ」と「自分の強み」を高めていくべきなのだろうか?


望むならば気の済むまで世界を飛び回って様々な文化や価値観に触れ、自分探しの旅をすればいい。
けれど、自分にとっての最適解はきっと自らが経験してきたことの中にあって、それは新しい価値観と「受動的に」邂逅してこそ気づくことができるものなのだろう。なぜなら、これまで「能動的に」経験してきたことは複雑に絡み合いながら「自分にとっての最適解」として既に自らの内面に確立されていて、今回新たな価値観に巡り合いその双方を検証したことで己の中にある思いへの揺るぎない自信を確証したからである。

新たな価値観を創出する際にその変化がどうあるべきか、すなわち「能動的な変化は受動的な変化を凌駕するのか」ということで、私の心は大きく揺れ動いた。しかし、他人の生き方が必ずしも自らにも最適な化学反応をもたらすわけではないし、少なくとも今の私にとってはそうではなかった。
そして、自分の思いと向き合った日々は、自分の考えに裏付けられた揺るぎない自信をもたらしてくれた。傍から見れば味気なく見栄えもしない留学生活かもしれないが、私にとって見失ってはいけない「人生の道標」を見つけたような、そんな大切な時間だった。

また、たくさんの友人に話を聞いてもらったことが今回の気づきに不可欠だったことも忘れてはならない。私にとって対話は考えをまとめることに最も適したツールである。こうした話ができる友人というかけがえのない存在に頼ることができる安心感と、これからも積極的に他者の悩みを聞き互いに心の支えとなれるような存在を増やしていきたいという使命感を覚えた。

年齢を重ねるにつれ、新たな価値観に出会い疑問や違和感を抱く機会は減ってしていくのかもしれない。しかし、自分の感性が凝り固まってしまうことなく新発見に満ちた生活を送るには、これからも自分に合ったペースで環境を変え続け、それに身を委ねることこそが肝要なのかもしれない。そしてその都度「変えるべきこと」と「変えてはいけないこと」を吟味しながら、自分の人生をより豊かにしていきたい。

おわりに

この文章がどれほどの人に届くかはわからないし、ましてその中に留学や将来設計などで悩みを抱えている人がどれほどいるのか、私には知る由もない。

しかし、このような形で言語化したことでより多くの人に自分の考えを共有できるようになったし、私にとって対話で意見を述べるよりもはるかに難しいような内容ですら、きちんとした文章の体裁を以て公開することができた。留学生活も残すところあと僅かだが、帰国するその日まで気を抜かず充実した日々を過ごしたい。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

どしどし感想お待ちしてます。Twitterを主な活動拠点にしているので、そちらもご覧ください!