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大学生活を終えて

まえがき

一年くらい何も書くことがなく過ごしていたので、すっかり書き方を忘れてしまった。
そんなわけで、リハビリがてら自らの大学生活を手短に振り返ってみる記事を書いてみた。

タイトルの通り自分の大学生活を振り返ってみようと思ったが、去年の自分が何をしていたかすらはっきりと思い出せない。
もともと自分は記憶力がないほうなので、こういう時はスマホの写真フォルダを振り返ればなんとかなる。

4年前の今頃、自分は何を思って過ごしていただろうか。
第一志望の大学には入ることができず、何となくで合格してしまった秋田の片田舎にある大学に通うことを決めた自分に、今ならどんな声をかけるだろうか。

感情というものはあっというまに風化してしまうもので、写真に残る風景や表情から「あの時何を思っていたのか」を推察することしかできない。
むしろ、そのくらいのほうが精神的にリフレッシュしながら生きることができて、却って好都合なのかもしれないが。

はじまり

4年前の4月1日、東京発秋田行きのこまち9号に乗っていた。
それまで縁もゆかりもなかった未踏の地へ向かう足取りは重かった。
見送りに来てくれた友人を尻目に滑り出す新幹線に乗せられ、全く想像もつかない大学生活に辛うじて思いを馳せていた。

終点について早々、駅前の「何もなさ」に驚かされる。これが県庁所在地なのか。ここから大学へ移動したら、目の前には何が現れるのか。
早くも(始まってすらいない)大学生活に不安の影が差した。

オリエンテーションについて一切予習してこなかったので、必死についていった。早々にTOEFL ITPのテストがあることを知らなかったり、寮生活のしきたりを覚えるのに精いっぱいだったり。

一人暮らしは初めてだったので、衣食住を他者に頼ることなく充足させなければならなかったのが大変だった。カフェテリアのご飯はイマイチだったけど、そんなのは些末なこと。自由な時間ができた半面、自己管理の大切さを痛感した。

徹夜でゲームやアニメに熱中して、昼間はそれなりに勉強して課題をこなして…宿題はそれなりの量が課されるので、手際よく調理できるようになるまではほどほどに頑張る必要があった。寮のロビーに集う皆さんのスマブラの腕前にびっくりしたり、深夜までITルームや図書館にこもって勉強する学生たちの熱気に圧倒されたり。

何もかもが初めてすぎて、自分は何も知らなさすぎて、却って「その場で何とかする」力が身についたと思う。もちろん不安要素は山ほどあったけど、来てしまった以上はどうにかするしかなかった。

中高一貫校に通っていたせいか、友人の作り方をすっかり忘れていた自分にとって初めの数週間は居場所を見つけるのが難しかった気がする。マイペースに過ごすことで新天地でのストレスを軽減できると悟ってからは、そういったことに神経質になることもなく気ままに過ごすことができてよかった。

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そういった意味で、「一切の都会的なもの」から遮断されたことは幸いだったのかもしれない。
確かに不便だったけど、何もないことで
「自分はこの大学で何をしていくのか」
「自分は将来何をして、どのように生きていくのか」

といった、漠然としたことを考えるきっかけになった。予想もしなかった大学生活の幕開けとは裏腹に、次第にこの環境をポジティブにとらえることができるようになっていった。

「竿燈まつり」との出会い

加速度的に忙しさを増していく大学生活で、最も打ち込んだものが「秋田竿燈まつり」だった。
初めは「なんとなく面白そうだから」「秋田に来たのなら秋田でしかできないことを」と思って参加しただけだったのだが、何度か練習してみると案外うまくいく。

学内でも影響力の大きいサークルらしく、他のサークルと比べても活気にあふれていたように見えた。尤も、竿燈会は「特別団体」という肩書を与えられており、厳密に言えばサークルではないのだが。

8月には年に一度のまつりが開かれるという。見様見真似で練習しているうちに、何となく自分がこの活動に向いていることに気づき始めた。
幸いにして体力と筋力には自信があったので、丁寧に教えてくれる先輩たちのアドバイスを素直に吸収した結果、様々なチャンスに巡り合うことができた。

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国内外20近くの演技に参加する機会をいただき、様々な竿燈名人に教えられ、より秋田への理解を深めることができた。竿燈に携わる人々から話を聞くことで、彼らが何を考え何を自分たちに求めているのかを学び、このコミュニティに自分たちは何をもたらすことができるのか…などを考える、数えきれない貴重な体験をさせてもらった。

自分が大学生活を通して本気で心血を注いだ数少ない課外活動だが、4年間を通じて自分を心身ともに鍛え上げてくれた方々に非常に感謝している。
僅かばかりでもいいので、お世話になった方々にはいつか必ず恩返しをしたい。

留学、そして就活

竿燈に熱中して2年半、あっという間に留学に行く時期になっていた。サークルにのめり込む余り成績が危うくなったこともあったが、周りの人々に助けられながら何とかやってこれた。

しかし留学ともなれば、自分で意思決定し順序良く物事を進めなければならない。竿燈まつりと留学準備を同時に進めた3年生の春学期は実に忙しい時期だった。

初めて秋田へ飛んだ時の心境を思い起こしながら、カナダへ飛んだ。

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最初こそ苦労したが、1か月も過ごせば自然と身体が慣れてくるもの。授業にもついていくことができ、趣味の時間も作ることができた。
ほかの地域に留学している友人たちと比べれば大人しい留学生活だったかもしれないが、母国語の通じない世界でひっそり生活する楽しさを味わうことができた。

留学中から就職活動について考える時間を取り始めた。
自分は今まで何を成し遂げ、将来はどんなことをしたいのか。
自分自身と向き合う時間が増えたので、普段つい後回しにしがちなことにもきちんと考える余裕が生まれた。

きちんと単位を回収し、充実した留学生活を無事に終えることができた。

帰国したのち、本格的に就職活動に取り組んだ。
幸いにして自分の目指す進路は固まっていたので、あとは自らが納得できる高みを目指すだけだった。

自分が望む企業から内定を勝ち取ることはそう簡単ではなかったが、過去に自分が経験してきたことと比べればどうということはなかった。
きちんと自分を顧みて、伝えたいことをきちんと響かせることができれば必ずうまくいく。そう言い聞かせて、今日からお世話になる会社にひとまず自分の将来を預けることにした。

就活は確かに簡単ではなかったが、きちんと自らを振り返る時間を取っていたこと、そして胸を張って誇れる活動をしてきたことが心の支えになったように思う。
一人前の社会人になるにはまだ時間はかかるけど、大学生活を通して自分が学んできたことを少しでも活かすことができたら、それは何物にも代えがたい幸せなことだと思う。

卒業を控えて

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留学後の学期も無事に終え、秋田を離れる時が来た。

初めはあんなに不安を感じていた場所だったのに、いざ離れるとなればこんなに愛着を感じるとは想像もつかなかった。

年月が過ぎればきっと忘れ去ってしまうような出来事も、今の自分を形成している大切な思い出である。カメラロールに残っている情景を振り返りながら、酸いも甘いも知った大学生活に別れを告げている。

しばらくは首都圏で働くことになるが、そう遠くないうちに秋田で勤務することも決まった。またここに帰ってくるその日まで、失敗を恐れず挑戦し続けたい。

おわりに

記憶の断片の美しく輝くところだけを選び抜いたような覚え書きなので、読んでいて正直考えていることがうまく理解できなかったかもしれない。
今回は「わかる人にだけ伝わればいいや」ってスタンスで好きに書き散らしただけなので、許してください。

とにかく、最後まで目を通してくれて本当にありがとう。


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