「ひとりで死ね」る社会へ


令和に入っていから、社会的弱者と言われる人たちが、明らかに攻撃的になってきているのはニュースを見ていれば感じてくるところだと思うのです。

で、こういったニュースに対して「他人に迷惑をかけるな、死にたいのだったら一人で死ね」という意見をたまに目にします。

閑話休題。自分の話。
自分は昔から人と比べて明らかに要領が悪く、コミュニケーション能力も自己肯定感も低いので、かなり生きづらさを感じており、死にたいなーと恒常的に思っています。
じゃあなんで死なないの? と訊かれれば、それは死ぬのがとても痛そうで怖いから、という回答になります。自分で死のうと思ったときぱっと思いつくのが、飛び降り、首つり、飛び込み といった手段になってくるのですが、この辺り、どうも痛そうじゃないですか。
苦しいから死にたいのに、死ぬ前にもっと苦しい思いをしなければならない、というのはどうにも億劫なのです。


で、この問題、というか自分が抱えている悩みにはそれなりに同様の悩みを抱えている人がいて(=社会的ニーズがある)、かつ「安楽死」という解決策が明確に存在しているはずなのに、これっぽっちも前向きな議論をされていません。

「他人に迷惑をかけるな、死にたいのだったら一人で死ね」
と言うのであれば、出来るだけそれが出来るような社会になってくれればな、と思うのです。なってくれないかなぁ、、。


(本当は「安楽死」が根本的な解決策ではなく、死にたいと思っている人たちが生きたいと思えるようになるのが根本的な解決策になると思うのですが、実現可能性という観点でそれは難しいかなと。)




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