【2021年 釜石生活ふりかえり】
そいえば釜石のこと、ちゃんと報告せずに終わっていた!ことに気づき、お世話になった方々への感謝と、自分の後々の振り返りために振り返り、記しておきます。
◇釜石での生活
2021年の7月~2022年の3月まで、
(株)かまいしDMCでインターンをしていました。
週5フルで働きつつ、休みの日は車で三陸を周遊したり遊びに来てくれる同期を案内したりと、三陸満喫の日々を過ごさせて貰いました。
私が1番、釜石の人にモノにコトに感謝しているのは、色々なことに挑戦をさせてもらったことで「世の中に"正解"はないと気づかされた」ことと「自分の好きなことが分かるようになるきっかけを作ってもらった」ことだと思います。
これまでは、日々、何が正しそうか・評価されそうかの選択の積み重ねで、何が「好きか」を真剣に考えたことがなかったし、「どうやって生きていったらいいんだろう」という問いの、存在しない正解を、周りの他者や情報の中に探していたような気がします。
その中でも釜石での生活は、ハッキリ、私はこういうもの・コト・人が好きだ、こういうことを大事にして生きたいのだと言える軸が、形成されつつあるきっかけを与えてもらったと思います。
それらは、大袈裟ではなくて文字通り私の生きる原動力になって、生きることが好きだと、思えるようになりました。
郵便機乗りで、砂漠での不時着など極限状態を何度も経験していたサン・テグジュペリ。彼ほどの生々しい生の実感と比べるには恐れ多すぎますが、山以外の場所ではじめて、私なりの、日々生きる実感を感じられたというのが、釜石での経験でした。
◇滞在中やっていたこと
釜石に住み込みでフルタイムインターンをするために、住む場所も車も貸していただきました。
おかげでDMCイチの高給取りとイジられ(イジメられ?w)、市内の美味しいご飯屋さんを巡ったり、来てくれる同期を車で案内できたり、さらには週末ごとに沿岸を車でふらつき、地域ごとに異なる街の特色や復興の過程、現状を知ることが出来ました。
「いのちをつなぐ未来館」関連:開館・閉館作業、防災プログラムの運営スタッフ、語り部さん(川崎杏樹さん)が使う資料作成、防災学習の教材動画撮影・編集、企画展作成、館内ガイド(後半の数ヶ月)、大量発生するヤスデのお掃除、施設周りの草刈り、3.11当日のお仕事(献花のお花お渡しなど)、天文部(星空観察会スタッフ。楽しむ要員)
本社関連:企業向け研修の運営スタッフ、企業向け研修の資料作成&一部考える、釜石高校での英語講座のお手伝い、市内の旅館泊まり歩いて、材料になる写真撮影ふるさと納税商品ページ作成(入力)、ふるさと納税商品梱包、HPのライティング、来訪者アンケート集計(春秋二回)
休日関連:地域のフットサル・バトミントン会、三陸を車でウロウロ、友人を案内、会社の先輩や知り合いの方々と山に登る、鍋をつつく、飲み歩く、カフェ巡り、川辺でぼーっとする、図書館で本を借りる、知り合いの方の元で家庭教師
◇インターンして学んだことetc..
「正解がない」ことを身をもって知った。
正解を探そうとしてもそんなものどこにもない。つくっていくしかない。そうじゃないと何も動かない、動かせない世の中。
そう実感した背景はいくつか。まずひとつは、多様なステイクホルダーの思惑がある中で、現実の制約も踏まえて最適解と思われるものを考え、あくまで政府ではなく自分たちで主導権を握って、したたかに具現化してきた釜石の復興過程を学ぶ中で。
地域の方のご経験を題材に研修づくりをする過程で、「その経験のどこから学ぶ"べき"か」ではなく、「"あなたは"どこが興味深いと思ったのか」を聞かれて、どうしても答えられなかった経験。
そして、被災経験や伝承にまつわる、答えのない・答えないほうがいい問いにも沢山触れたこと。誰が語る「資格」があるのかという問いは、際限なく中心・周縁を生むし誰も語れなくなる。その人に固有な体験を固有なものとして尊重する必要があることは私なりに理解しつつ、しつつも、当事者ではない人の語りの固有性も尊重して一緒に伝えることをやっていかないと、伝承自体が廃れてしまうとも感じる。なんとなーく、まちがどんな仕組みで、どんなステイクホルダーが関わり合って成り立っているのか知れたことで、地方を訪れる際にその地域の理解が深まる事例を得られた。
上司に弱み・クセを指摘してもらって自覚できた。主体的に動くこと、自信のなさ、脳内反省会の多さ、相手に合わせて伝える力など
ライティングの仕事を通して、自分が心から「いい!好き!」と思うモノコトへの共感を集めるのが好きと気づいた。
キラキラしてる物事の背景にある泥臭さを知れた。
観光よりもやっぱり教育に対する興味が強いことを自覚した。
田舎度の高い地域の教育の強み(地域で頑張る大人の顔が見えやすい、つながりやすい、力を借りやすい)に気づく。
◇釜石に行って、ちょっと自分変わったなと思うこと
心が動くもの、好きなことがわかり始めた。
初めて「暮らしを含めた人の生き方」に触れることができたことで、どんなモノが好きか、何に囲まれていたいか、どんなことすると落ち着くのかetc…規範に沿って自分を適応させるのではなく、自分の心に従う感覚が分かり始めた日々、感性を動かしていないと死んでしまうと気づいた。
釜石は、海も山もすぐそこにあって、気を抜いていても、一日のどこかに絶対、感動するような風景に出遭う。そういうものに、素朴に心を動かす積み重ねが、生きることではないかと思った。「余白」を意識して生活するようになった。物理的なスケジュールも、脳内も。
色々な地域を旅するのが、余計楽しくなった。入ったときに物差しになる見方、事例を得ることができた。
震災前後のことや防災の取り組みを具体的に知って、東北育ちの自覚が強くなったり、いざという他者を守れる人になりたいという意識が芽生えた。
帰りたい場所ができた
自分の心に従って勇気を出した自分の決断が誰かに感謝されることもあると知った、自分自身が心のまに生きていた方が、周りも幸せにできることを実感した。
言葉が出てこないことを少し開き直れた。言葉がするする出てこない人でも魅力的な人はいっぱいいる。
などなど
同年代の子がいない中で、色んな人に、お兄ちゃんお姉ちゃんが出来たみたいに可愛がってもらって。話を聞いてくれたり、ご飯差し入れてもらったり、山に連れて行ってもらったり、お酒を飲んだりドライブしたりetc..。「この人たちのために頑張りたい」と思える関係性が、自分にとって大きな原動力なんだと知りました。
もう岩手に実家がない自分にとって釜石は、実家というか、ほんとにお兄ちゃん・お姉ちゃんのいる、安心できるおうちという感覚です。
改めて、ほんとうにほんとうに素敵な時間を、ありがとうございました。
◇おまけ
目的のない一年。
目的・目標は決めていたのですが、達成したいという気持ちがついていかず、実質、目的のない一年を過ごしました。自分の時間や雇ってくれている側の時間を無為にしてしまっているようで、しんどくもなって。
「余白」がある分考えて、わけがわからなくなって、時々仕事を休ませてもらったりしていました。インターン生用に仕事を切り分けるだけでも大変だったかと思うんですが、休む時間をいただけたことに感謝です…。散々泣いたりグダったりした後で、ある社員さんの言葉で、「その時々に心が動くものを大事に」生きていれたらいいやと開きなおって徐々に元気になりました。
やたらと何かに焦っている状態を自覚して、それを受け止めた上で今に集中できるようになったことが、休学期間の一番の収穫かもしれないと思ったりします。
防災意識のギャップについて。
釜石に来る前まで私もおんなじだったのに、東京の友人と会った時の、災害への危機意識の低さにショックを受けて、親しい人ほど感覚を共有できない寂しさを実感したりもしました。だからこそ、伝えていくことの価値、避難道追体験など、実際に歩いて想像して記憶を分有していくことの意義を感じています。
ほぼ毎日、伝承施設に出勤していると、生き死にの誰かの記憶が常にまとわりついていて、生きることに理由をつけなければいけないことが、やましいいことだと思っていました。でも東京に帰ると、そうじゃない。生きる理由を探してしまうし、なんで生きているのか、ほんとうに簡単に分からなくなる。
他者との比較について。「私が他者をどう思うか」「何を与えたいか」ではなく「どう思われるか」という意識が拭いされない。この人すごいと思うほど「評価されたい」という気持ちが強くなるけれど、それを恐怖ではなく前向きな努力の方向に、そして私が評価されることではなく、相手の幸せを願える意識を常に持っていられるようになりたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?