願いが叶うなら

【一】
 彼には力があった。彼だけの力が。
 彼は誰もの願いを叶える力を持っていた。けれども誰の願いも叶えようとはしなかった。
 彼には人を救う力があった。けれども彼は人を救おうとしなかった。
 彼の力は未来さえも変えることができた。けれども彼はなるがままに生きてきた。
 街のみんなは彼に近づいた。そして口々に願いを叶えるよう叫んだ。けれども彼は何もしない。
 ある母親は息子の体の不自由を直すように頼みにきた。脳の問題らしく神官の祈祷も医学という新しい分野も効果がなかったらしい。しかしそれでも彼は力を貸さなかった。
 そのうち街のみんなは彼を罵り始めた。人殺しだの人でなしだの、それでも彼はただ慎ましく暮らし続けた。
 あるとき、とても天気がよく太陽が心地よい日に彼は草原に寝ころんでいた。そこに以前子供を助けてほしいと願っていた母親が通りかかった。彼女は彼に気がつくと近づいてきた。近くまで来ると手頃な大きさの石に腰掛ける。
 彼は目を閉じて一切気にするようすはみせなかった。そのまま時間が経過する。雲が移り行く。その日はそのまま時間が過ぎていった。。
 何度かそんな日が続いて、何の前触れもなく彼は彼女に言った。
「こっちにきなよ」
 それからというもの彼女は時々、彼と肩を並べて空を見上げるようになった。
 多くの時間を共有するようになって、お互いに言葉は日に日に増えていった。
 あるとき彼は彼女に尋ねた。「君は君の子供について何を感じた」
 すると「悲しい」彼女はただそう答えました。
「君は泣いたのかい?」彼は聞く「泣いた」彼女は答える。
「そうか」
 彼女は思った。
「私は何かわかったような気がする。本当は誰もが力を持っている。けれどその力は知られていない。そして多くは、知られることなく朽ちていく。それが私たち。あなたと似ている。けれど私たちは自分たちでその力をすてている。とてもとても罪なこと。そしてあなた。あなたも辛いのよね。だってあなた人のことが好きだもの」
 ほほえんだ。辛かった。
 彼は空を雲を私たちを見上げていた。

【二】
 男は凄まじい力を持っていた。彼の願いが現実になるのだ。彼がホンの少し願うだけで。例外はない。子供の頃は彼は王様気分で彼の人生を謳歌していた。
何もかもが思いのままで、なにも不満をうまない。彼にとってこの世界は理想郷そのものだった。
 食事には困らない。怪我をすることもない。だれも逆らわない。目障りなものは全て叩き潰して来た。
 彼は幸せだった。幸せだったのだろう、確かにそのときは。
 ふと思ったのだ。何故生きているのだろうか。全てが思いのままならば、未来にはどんな偶然性の余地だってない。瞬間自分の未来が見えた。そして彼はつぶやいた。
「もう、あきた」
 そして彼は戦慄した。この思考は危ない。以前なんとなく、目の前を歩いていた人を殺したことがある。その時はすぐに生き返らせて、周りの群衆も合わせて記憶消去したことで何事も無くすんだ。けれどそのことによって彼は自身が秘める狂気性について自覚した。理由もなく人を殺す怪物だ。それに彼には力がある。一瞬の気の迷いで世界は滅んで しまうもしれない。例えば巨大な隕石が地球に衝突したりして。
突如町のほうで悲鳴が上がった。なにがおきたのか、彼は彼のすみかである城から瞬間移動した。町に現れて見たものは、クレータだった。いくつものクレータによって道路は馬車が通ることのできない状態になって人々が逃げ惑っている。空中に飛び上がり、そう観察しているうちにも小さな隕石群が街に降り注いでいた。街のランドマークであった時計塔が今にも崩れそうになっている。
 なんということだ、ただ少し、例えどんな夢物語だって現実のものになってしまうなんて。
『こんなのはいやだ』
 彼はそう思った。平和な街に戻って欲しいと願った。
 逃げ惑う人々の視線が、ひとつまたひとつと空を見上げて行く。それにつられて彼もまた大空を振り返った。
 澄んだ青でも、けだるい雲でもなく。そこには一つの巨大な隕石が浮かんでいた。狂乱は絶望へ変わる。
『もう全部消えてくれ』
 無。自分。無。それだけ。なんてことをしてしまった。焦ってしまった。いや狂っている。闇の中で彼はひとり。世界はもう消えてしまった。
どうしようもない。ほんとうに。
 どうしよう。

 彼は町のみんなから讃えられていた。先程まで死を確信していた人々は、いまではすっかり安堵の中にいて、いつまでも拍手が響いていた。

【三】
 彼が隕石から世界を救ったことは瞬く間に人々に伝わった。同時に彼の力も知れ渡ることとなる。もちろん人々が彼を放おって置くわけがなかった。
 彼の城に集まった願いを彼は全て叶えていた。
 実のところ人に頼られ、崇められ、必要とされるのは気持ちが良かった。
 ところが次第に雲行きがあやしくなる。
 人々の願いは表面的なものからもっと深層的なものへと変わっていった。嫉妬、妬み、恨み、そんな強欲を彼は垣間見た。
 暗殺を願ったものまで出始めた。しかしその願いを叶えるには彼自身もその対象の死を願わなければならない。
 人々の願いに彼は頭を悩ませた。
 こんなに悩ませられるなんて、いっそ。
 エスカレートした願いによって、ついには海の向こうの世界までをも彼は消滅させてしまった。
 彼は笑った。笑い事などではなかった。
 彼は悟った。願うということはなんて醜いのだろうか。いっそ願いなんて叶わなければ。
 その夜、彼はなかなか眠りにつくことができなかった。いつもならば眠ろうと思うだけで眠れるのだが、何か様子がおかしい。眠いのに眠ることができずに時間が過ぎていく。寝床の中でできることといえば思考を巡らせることくらいだった。そして久しぶりに彼は夢想した。と言うよりも、普段ならば全ての妄想は現実になるはずなのだ。彼の想像が一切現実にならなかったことなんて今まで一度もなかった。
 やはり、願いが叶ってしまったんだろう。「願いなんて叶わなければいい」という願いが。
 これでよかったんだこれで。
 彼はこうして普通の人間になった。

【四】
 彼は力を失った。それでも彼を訪ねてやってくる人波は途切れなかった。
 願いを叶えられない彼にできることは、追い返すことだけ。しかし人々は諦めることはなかった。
 彼は静かな生活を願ったが、その願いは叶わなかった。
 毎日願いを叫ぶ群衆はいつの間にか罵声に怒声を響かせる存在となった。
 結局は人々は彼の力に群がっていただけだった。
 いつしか彼は城に姿を出さなくなった。
「それで一人草原に寝転がっていたのですか」
「そういうことだね」
 彼は力なく笑った。
「そうですか。もう力はないのですか」
「もう全部終わったんだ。海の向こうの境界線を見たことがあるかい。ぷっつり途切れた世界の端。僕が消してしまったんだ。けれどもう元には戻せない。もう遅すぎるんだ」
 この世界を作ったものを神と呼ぶのなら、彼はまさに神そのものだった。けれど同時に彼は愚かな人間だった。
 そして今の彼はあまりにも無力だった。
「もうよくわからなくなってきたんだ。だからいっそ・・・・・・」
「死にたいなんて、願わないでください」
 彼女は彼の言葉を遮って言った。
「叶ってしまうじゃないですか」
 彼女は俯いてそう呟いた。
「もう僕にはなんの力もないんだ」
「力ってなんなんですかね」
 彼女は語り始める。
「運命って未来ってなんなんですかね。命だって生きがいだって、全てわからない。でも知らないこととわからないことは違う。はっきりと違うんです」
 彼女はそのたくましい瞳で視線を投げかける。
「あなたは知らないんです。私のことを」
「それは……」
「私にだって力はあるんですよ。他人の願いを叶える力が」

【五】
 彼は悟った。悲しい事実を。
「そういうことです」
 彼女は泣いていた。
「君が一番に望んでいるのに。なんていう」
「世の中理不尽なんです。欲しいものは手に入らない。いらないものだけ溢れている。そのいらない物たちも、必要としている人がいるはずだとしても、ゴミになるしか無い運命なんです」
 まさにその通りだと彼は思った。けれどそれは違うと彼は願った。
「あなたは私のゴミに何を見ますか」
「僕は」
 彼は願った。彼の力を取り戻すことを。そして、彼女の願いが叶うことを。
 その結果彼は感じた。何事も早まってはいけない。

【六】
 この世界は広い。
 百回願えば百回叶える力を持つ人々が確かに存在する。反対に何度願っても叶えられない願いもある。

 けれども叶う叶わないに関わらず、願うということが人の本質だと僕は思う。

 全知全能の神なんかじゃない僕は、多くの願いが叶うことを祈っている。

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