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有難う

自分のことが世界一嫌いだった。それこそ赤の他人である凶悪殺人犯や、汚職まみれの政治家より嫌いだった。

自己肯定感がとにかく低い。
lim f(自己肯定感)→0
の極限式で簡単に示せる。

自分の嫌いな理由はすぐに思いつく。外見とか、能力不足とか、内向的な性格とか、ネガティブなものの見方とか。自分の反省点を挙げろ、という課題が出たら秒殺で課題提出できる自信がある。

その原因となったのは、小学校の頃に経験した「いじめ」だと思う。

今より社会をわかっていなくて、正論is trueと信じていたあの頃の私は、正直鼻につく子供だった。体が弱くてしょっちゅう学校を休むくせに勉強だけはできたからそれもウザかっただろうし、運動を重視する母校で運痴の私はさぞ煩わしかっただろう。
いじめられる原因の役満を自然に作っていた。

いじめられてるのかなぁと感じ始めたのは四年生からか。体育で組む人がいなかったり、給食を一緒に食べてくれる人がいなかったり。ランドセルに「皆殺し」と書かれた紙(今思えば謎でしかない)が入っていたり、好きな本を隠されたり。

地震訓練と称してボールの籠を上から被らされて数人から蹴られたりして背中を痛めたことはちょっと大事になった。
なぜか正義漢を振りかざして、他のいじられている子を助けようとしたらトイレで男子たちから殴られたことは怖かったかも。
運動会で二人三脚をするときにお前と肩を組みたくないと言われたことは自分の拒食気味や潔癖症の根幹にある気がする。

…これ以上はやめよう。

とにかく小学校でダークサイドに落ちていた私。でも、ただ加害されてるだけなら単純にあの人たちを恨むことができた。

自分のことが嫌いになった大きなきっかけは、担任主導のホームルーム。
私に対するいじめを議題として取り上げたとき
なぜ私をいじめるのか、から、私の嫌なところをみんなで言っていこう。の会になった。
そこでわたしの外見、性格、態度などなどを批判され、終了のチャイムが鳴ると同時に担任から「私さんもここをなおして、みんなともっと仲良くなれるといいね」と言われた。
  あ、わたしが悪いからいじめられてるのか
と幼心にも思った。


自分のことをゴミのように思うようになったのは高校生。
一貫校のため私をいじめていた人たちとずっと一緒の学校にいるわけだが、幸いにも深く関わる必要がなく過ごすことができた。クラスとか部活とか。
でも、逆にそれが原因なのか。私の友達が彼ら彼女らを褒めたり良い面を私に伝えたり…とにかく成長したあの人たちの「良い面」を聞き続けてきた。最初こそ「いやでもあの人性格悪い」くらいは反応していた。仲の良い人に対してだけだが。でも、

  あの人ってそんな面白いところがあるんだ
  あの人はそんなに努力しているんだ
  あの人はそんなすごい功績を残したんだ
  じゃあ、そんな人たちにいじめられていた私は、やっぱり悪い人間なのでは? 
  小学校の頃のことなんてもう忘れるべきなのでは?
  私の方が、ずっと過去に囚われて、うじうじ忘れないで、嫌な奴なのでは?
  ごめんなさい

って思うようになった。
そして「んーでも今はいい人だよ?」って言われると、余計に自分のいじめのことが過去の時効が過ぎた事件のように思われて、風化されたような気がして。

嫌な記憶だったから自分の感情をなんとかして捨てようとしてて、気づいたら当時の相手を恨むどす黒い感情はどんどん薄まっていった。かわりに沈殿物として残ったのは、過去に囚われるダサい自分。
あの人たちを嫌いと思っているのは私だけ。なら、私が嫌っちゃいけない。否定的なことを言っちゃいけない。話しかけられたり同窓会に参加してと言われたら怒らせないように参加しないといけない。

  嫌だな。
  これを嫌だなと思う自分は社会に適合できてない。
  自分に価値なんてあるのか?


気づいたら、大っ嫌いな自分が形成されていた。


クソ重いごめんこっからは明るい

 


でも、今の私には、私のことを好きでいてくれる人たちがいる。
私が一番自分の嫌いなところを「きれい」と言ってくれる人。
自分の中で疑問にも思っていなかったことや考えを「立派」とか「寛大」って言ってくれる人。
いじめられていた時期の私に対し、「不登校にならずによく学校に行っていたね」「強いね」って言ってくれる。
いじめに対して「お前は1ミリも悪くない」って言ってくれる。 

自分のトラウマ?みたいな小学校時代のことを語ったりそのことについて話されたりすることはふぅん、くらいですむ。
でも、この言葉をかけてもらったとき涙腺が崩壊した。

自分のことみたいに泣いてくれたり、すごい熱量で言ってくれたり、夜中の3時なのに自己分析や自己肯定感向上のことばを検索してくれたり。

自分の好きなところ、なんて勉強しかなかったけど
こんな私に対して時間を使って、寝る時間も削って、それこそ私のいないところでも話し合ったりしてくれて
そんな友達を持ててることは、私の誇れること。


当たり前の対義語である
有難う
を送りたい