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㉗きっと、あいつは本番はやるんです! を切った僕にとって永遠の学年主任

小学校中堅教員です。アラフォーです。

今回は、いろいろ整理がついてきたので少し言語化してみます。
すみません。
泣きながらカタカタしてます。
そういうやつです。


2年目に5年生を担任し、次年度3年目に持ち上がりで6年生を担任しました。

所謂、初6ですね。
メンバーも5年生時とほぼ変わらず。少し上のお姉さん方と、頼れる主任と。

そういえば、もうすぐ僕はあの時の主任の年齢かもしれません。



初の6年生だぁああ

5年生の時に担任した元気な子。キーパーソンを6年生でも担任しました。

5年生の最後は非常にアツかった。
僕も2年目で夕日に向かって走る感じだったし、子どもたちと真正面からぶつかり、できる全てを出した。
最終日は、みんなでオンオン泣きながらお別れしたっけな。



この年は体育主任も任され、一気に忙しくなったことを覚えています。

申し訳ないが、やっぱり6年生担任は忙しい。

今では考えられないが、
この時は修学旅行に加え、
林間学校も夏休み中にあった。
卒業文集、たてわり活動のリーダー、各行事の求められるクオリティ、学習内容…なかなかヘビーで、やられていた。


学年主任には幼い子がいて、大体17時半には退勤していた。
昨年からの2年目の付き合いなので、
『◯さんは超人ですか?』 『超人の◯さん、丸付けしたくないですか?』 なんていつも軽口を聞いていた。

そんな生意気な20代の僕にも、いつも笑って対応してくれていた。優しい方なのだ。


時間はどんどん過ぎていく。
運動会も音楽会も修学旅行も、まわりに支えられ 何とか大きなトラブルなく終えることができた。


女子と距離があるな、とか 
ヤンチャ系のご機嫌取りになってないかな、とか 
ああ、あの子と最近話せていない、妥協の授業してるわ…
なんて日々反省の日々ではあったが。



卒業シーズン、カウントダウンをしていた

卒業前になった。忘れもしない。3月12日だ。


卒業式練習は主任が進めてくれていた。

それを眺める僕は、

◯感動の卒業式が待っている、初の卒業生だ。なんて考えていた。

◯何なら練習1回めの「旅立ちの日に」で昨年度からのことを思い出してちょっと泣いていた。

◯子どもたちがサプライズを用意してくれていることに気づき、あと約1週は関係よく、楽しく終えようなんて考えていた。この前、友だちの結婚式でも作ったから、いっちょ動画なんて作ってみるかぁ。


なんて、心がシメに入っていた。と思う。


ふと目についた。

うちのキーパーソンの態度がずっと悪い。

実行委員会が真剣に語るときも、
3年生の時に担任をしてくれていたレジェンド的先生が練習を見に来てくれたときも、
主任が今日のラスト一番いいの出そう!と呼びかけたときも。


(彼は、何だかんだ運動会も音楽会もいつも本番はやりきった。注意はするが、雰囲気良く。きっと卒業式本番はちゃんとやる)
なんて見て見ぬふりをしていた。僕が関係性を悪くしたくないからだろう。



今日の練習がもうすぐ終わる。
最後の集合前に、卒業式練習を音楽の先生に任せ、主任が僕を外に呼んだ。

主「プリングルッスくん、気づいてるやんな?」
『◯◯さんのことですか?』
「あれで、ええと思ってるん? まあ、指導したら荒れるとは思うけどな。」
『きっと、◯◯は本番はやるんです。』
「やるやろうな。でも、それでええんか?
君が彼を2年も担任した意味は、何や?
最後に、自分にポイント持っていってないか?やり通せよ。骨は拾うよ。初主任で、頼りないかもしれんけど。」


この辺から、もはや僕は泣いていたと思う。

『分かっています。僕が間違ってます。置きにいってます。
勝負します。ほな、骨拾ってくださいね。』


主「分かってくれてありがとう。勝負せえ。このあと、話 振るからな」



そして、最後の集合で青臭いこと言いまくって、良い卒業式にしような。大好きやねん。 なんてオイオイ泣きながら語る僕がいました。

主任はずっと泣きながらニヤニヤしていた。
放課後、リポDくれた。


卒業式までの1週は最高のものになった。

サプライズ? 
なくてもええわ! オレはオレの全部、出し切ったる!!なんて思いながら最後まで走りきった。
逃げずに指導も積極的に行い、キーパーソンの彼ともやりあった。





卒業式は彼ら全員の頑張りや立派な姿に、またやり遂げられた何かに、ずっと泣きそうだった。

主任と式後に運動場の石碑前で握手をしたっけ。



あれから1年たった

そんな主任が亡くなって もうすぐ1年である。

恥ずかしながら、お身体が悪いことも知らなかった。

僕の結婚式でご挨拶いただいたり、
ちょこちょこと人生の節目節目でお会いはしていたが、

ここ数年は年賀状だけのやり取りだった。

急な訃報でその日は仕事にならなかった。



お通夜に向かう車内ではずっと泣いていた。
組体操の曲を聞きながら、南中ソーランを聞きながら、卒業式のあの日キーパーソンも泣きながら歌いきった「旅立ちの日に」を聞きながら。


お通夜の後に、奥様と少しだけお話をした。

「主人は、当時ずっとプリングルッスさんの話をしていました。アイツに僕の全部を教えるのが僕の役目やねん。」
「いつかまた仕事したいのは、あいつかな。」

奥様の優しさかもしれません。

でも、すごく救われて、奥様の前でめちゃくちゃ泣きそうだったので、お礼を伝え、退散しました。

とにかく奥様には、主任がどれだけ偉大な方だったのか、僕の教師としての基礎を叩き込んだのはあの人だ、なんて



主任は死なないし、僕も死なない

最近、僕は後輩となにかすることが大好きです。

この夏は、
昨年度組んでいた後輩と教育論文を書きます。4回位さそいました。彼の根負けです。了承をいただき、動き出しています。


主任は、もういませんが僕は今ここにいます。
そして、僕は後輩を育てようとします。子どもたちだって育てていきます。

つまり、僕も主任も永遠なのです。


そういえば、教育ってこんなんじゃないですっけ?


僕が16年目で気づいたことを11年目の彼が気づけば、それって世界がよくなっていると思うのです。

偉大な先輩になります。
そして、嫌がられながらも逃げずに、愛をもって後輩を育てるのです。


暑苦しい話、失礼しました。




読んでくださりありがとうございました。
今回はフザケたくなかったので、画像も封印しました。

PC打ちながら くそ泣いているアラフォーが今います。娘にティッシュもらいました。

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