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昨日は職場でひと悶着あった。
自分の職務に対し、かなり上層の方まで含めての指摘があった。

結果、直属上司との2時間の面談の末、僕が記載した児童に向けた文章に対して2行程度、不適切な表現があることを認め、これを訂正、撤回する処置となった。

当初は僕の現況行っている職務に対して児童らが動揺、困惑している現状があることを受け、児童らに僕自ら説明せよ、との指示であった。応じない僕に対して上司は敢えて「命令」という言葉まで用いた。

しかし、断固として応じないと突っぱねた。それをやってしまえば僕が現在進行形で進めている職務、計画は無に帰し、僕自身が課している職責を全うできないと説明。それぐらいなら僕は今直ぐにこの職を退くとまで伝えた。

正直、我ながら驚いた。この情熱と言うか、青さというか、そういったものは、何十年も前の自分と変わっていないことに。

てっきり、自分は良くも悪くも、もう十分大人になっていて、聞き分けや処世術をもって軽快に日々を送れているものだと思って疑わなかった。

ただ、その情熱とか青さとかそういったものが、今なお消えていなかったことに対して等倍の恥ずかしさと、誇りを感じた。

やはり僕は僕で、どんな環境、状況であれ、僕がやるべきと思ったことをやる。それだけなのかもしれない。そこにもはや理由も必要ない。

こういった情熱や青さは、僕はどこかで培ったものなのだろうか、先天性の物なのだろうか、それすらも判らないが、もうここまで来たら一生涯消えないものとして生涯大切に抱えていくほかない。

上司は僕の職務の計画行程、その意図、着地点の狙い等の説明を受けて、最終的に全面的に支持する、という対応をとった。

特に嬉しくはなかった。
なぜならばこんなことは、上司はとうに理解したうえで服務していると思っていたからだ。まさに計画や意図を一から十まで説明しないといけないのか、理解力とは、洞察力とは、と幻滅した思いが少なからず残った。

まぁ年に一回くらいこんなことがあっても良い。とにかく今件では自分自身に驚いた次第だ。

なんとなく、僕の今の人生のサイクルは、3年6か月で周期しているように感じている。そのくらいの周期で変遷しながら、人生が動いているような感覚がある。

今の仕事を始めてもうすぐ7年。つまり僕にとっては2周期を迎えようとしている。今回の件も含めて、そろそろ何かが変遷しようとしているのかもしれない、なんていうことを感じた。


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