毒にも薬にもならない話:3

 生を実感した瞬間はありますか。
私はこの感覚の意味がよくわかっていません。
生きてるんだから実感のしようがないと思っているからです。
仕事終わりのビールも、九死に一生の体験も、リストカットで流れる血と痛みをもってしても「生きてる」実感は湧かない気がします。
部活の引退とかでOBを実感したりすることはあるのにね


 そんな情緒のかけらもない私にも「これが生か」と実感したエピソードがありました。
大学時代、帰り道のパチンコ屋から杖を大きくついてバス停に間に合おうとするおじいちゃんを見た時です。

パチンコを堪能して、あまつさえバスに間に合おうとする杖が必要なおじいさん
とても貪欲に生きてる感じがしました。
というかそれだけ歩けるのに杖要るの?
あるべき老後の姿がそこにはありました。(違う)

 あれから数年、あのおじいさんよりも「生」を感じられる過ごし方ができている自信がありません。
それどころか薄暗い時期すらありました。というか今もから元気なんだけど
おじいさんの何分の一ほどの若さでありながら私は一体何をしているんでしょう。

求められるものが高すぎて、それをこなそうとするので精一杯で、生きてる実感なんて沸く余裕がありません。それどころか周りに尻拭いさせる毎日です。今日も社内で無理を言って聞かせたところ
そんなやつが「わたし、生きてる!」なんて言うのとてもわきまえてないと思います。

それでもたまにあのおじいさんの姿を思い出しては「生」を実感するのです。

あれはエモか、シズルの類か
あの光景を越える「生」を見つけられる気がしません。

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