盗作を証明することは難しい
生成AIが出てくる以前の問題である。
まず問題となるのは、「どのくらい似ているか」を客観的に表す指標が存在しないこと。
次に、「偶然似てしまった」場合には盗作とは認められないこと(著作権侵害とは認められないこと)。
そして、盗作を主張する側は、盗作かどうかの真偽に関わらず、名誉棄損で訴えられる可能性があること。
以上から、著作権侵害に関係する訴訟を起こすのはとても難しいものになる。
たとえば、盗作を指示した者と実際に製作した者の間でやり取りがあって、それを録音していた、なんてケースでもない限り、白黒つけるのは非常に困難である。
加えて、「自分が盗作された」わけでもないとなると、本当にどうしようもない。
「このイラストは、自分の好きなイラストレーターのこの作品のトレスだろうな」と一個人が思ったところで、本当に打つ手がない。
このような事情もあってか、盗作した・してないの議論は早々に感情論になる。
あまりにも批判が多く、大手出版社が絡んでいる場合には、当該書籍が絶版になったり、賞の受賞が取り消しになったり、ということもあるようだけれど、基本的には「大衆を信じ込ませた側」の主張が通ってしまう。
これは裏返すと、「(本当はオリジナルの作品を制作したのに)盗作を疑われた側」にとっても、容易に悔しい状況となり得ることを意味する。
本来、証明責任は疑う側に求められるわけだが(推定無罪)、大衆の一人一人が裁判官のような「正しい判決を下す訓練」を受けているわけもない。往々にして、我々は「信じたい方」を感情で選び、彼らの主張を信じてしまう。
かといって、「信じられるものなど何もない」という結論をいつも導き出してしまうことも、危険といえば危険である。
実際に盗作をしても、「やってない」の一点張りを続けていると、一定の層が「証拠がない」と本気で言い出してしまう。このことは、奴らが逃げ切ってしまう危険を増加させていると思う。
では我々は結局どうすればいいのかという点については、いったん判断を保留にすることが一つの解決策になり得るのではないかと提案したい。
おそらく、100回のうち1回だけの盗作を見破るのは無理である。
それに比べると、100回のうち99回も盗作をするような人間を見抜くのは比較的簡単である。
したがって、疑わしい人物が現れたなら、「この人は今回こういうことがあった」ということを自分の中で記憶・記録しておく(判断は保留)。
その者のその後の行動を見、一つひとつの事例について「疑わしい」「少し疑いが晴れた」などと判断し、それらを加重的に修正していく。
こうすることで、より正確な判断に繋がるだろうし、副次的な効能として、一時の感情で言い過ぎない(暴言を吐かない)ことにもつながると思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?