天のお父さまのひとり子がイエスさまだと思ってました、でも神さまはお一人だとも

先生に教えてもらった 主とイエスさまと天のお父さまは1人なんだということ  

そうすると神のひとり子の イエスさまはどうなるんでしょうか 

天のお父さまのひとり子が イエスさまだと思ってました 

でも実はひとりなんですよね だって神さまは1人のはずですから  

そこが聖書を読んでも よくわからなくて・・・ お暇なときに教えてください💞 

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父・子・聖霊というのは表徴です。中のいい神さまが3人いるのでも、神様親子がいるのでもないのです。

イエスさまが一番大切な戒めは何ですかと問われた時に

「イスラエルよ聞け、汝の神は唯一の主なり」

と答えられました。無限なる存在は分割できませんので一者です、根源なる存在は全ての根源ですので一者です。これが一番大切です。

聖書を読んでいると、

イエス様って神さまなの?神さまじゃないの?

父なる神と子なる神って別の存在なの?父と子って同じなの?

ってどちらか分からなくなるように書いています。

とくに、使徒の手紙まで読むと、スエデンボルグは否定していましたが、私は個人的に思うのには(感じるのには)、使徒たちは、特にパウロの手紙と言われる手紙の筆者は、父なる神とキリストを別物に捉えているのではないかと。キリストは神とは別の仲介者として、すなわち、別の存在として把握していると感じます。

さて、それでは、神さまご自身からのその答えはと言いますと、

「イスラエルよ聞け、汝の神は唯一の主なり」

この言葉を前提にして、ここから、イエス様の言葉も聖書の言葉も受け取っていくとその迷いはなくなるよ、疑問が氷解するよ、この言葉を前提にした理解が本当に聖書の、神の、キリストの、預言者の言っていることだよということになります。

実に簡単。

聖書に答えがちゃんと書いてあるじゃないか!これが御言葉の中の第一であると。

イエスさまが神なら、イエスさまは父です。父と子に分けて考える学者が、結局、突き詰めていくと「イエスは神じゃない!」と叫んでしまいます。アメリカの神学大学を2つも出たニッキ教団の牧師が本当にそう叫んだんですよ。

この文章を今読まれているクリスチャンの人は自分で点検してみてください。

お祈りするときに、「天のお父さま、~」と呼びかけたときの心の向きと、最後に「主イエスキリストの御名によって」と主イエスの名前を挙げたときの心が向かっている向きは同じですか?

違っていたら、心は「天のお父さま」と「主イエスさま」を別物として対しているんですよ。

それは一神教ではありませんよね。二神教、あるいは聖霊さまも含めると三神教、あるいは多重人格教です

(そんなものがありうるならば!ペルソナが違えば人とは別存在でしょ!人格が、その性質(名)がその人なのだから)。

また、学生時代に教会の友達とこんな話をしていた時に、その子が呟いたんですね、

「父の右に座された主イエスさま─」と。

そう、聖書にはそう書いてあります。でも、無限無辺なる方の“右”ってなんですか?無限に右も左もないでしょ。東も北も南も西もありません。

「右」によってあらわされているものがあるんです。

「わが勝利の右の手で救う」

って、片一方のきき手だけで救うっていう意味じゃないでしょ。「右手」で表されたものがあるんです。

そしたら、イエスさまが「父の右に座した」という言葉で表された霊的天的な意味があるんです。無限な父について右左というときは、時空の世界でいう右左でないことは明白です。

無限の神は誰も見ることができません。

私たちの見ることのできない無限の神を「父」と呼びます。その無限の神が、ご自身を私たちが把握できるように、世に表してくださったのが、2000年前のナザレのイエスです。

無限なるものが形をとって私たち向きの神(私たちが把握できる、接することのできる、受けることのできる神)となって現れた存在だから「子」と呼びます。

「ピリポ、こんなに長くいて私のことがわからなかったのですか?

 私を観たものは父を観たのです。

 どうして父を見せてくださいと言うのですか」

「私と父は一つです。」

と。

私たちの霊魂がお互いに見えませんが、肉眼で見える肉の姿を見て私たちは互いの実態である霊を把握します。無限の神は見えませんが、肉体をとって表してくださった“神の子”を通して、イエスさまの実態である無限の神を知ることができます。それはすなわち、イエス様の存在そのものです。それを“父”と呼びます。

だからまた、イエスさまはまたご自身のことを

「わたしは門です」

と仰いました。イエスさまを通して、全歴史中、宇宙中で2000年前太陽系の地球に人として誕生したイエス様を通してだけ、神を知ることができるのです。だから「独り子」と言われています。

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